硝子戸の奥

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自宅から日々の買い物に向かう商店エリアまでの途上は、築2・30年はある住宅の並ぶ道行きである。 私同様、長くこの土地に住む者たちが大半で、それぞれ顔見知りであり自治会などを通じての集まりでも互いに交流もあるのだが、ここしばらくはコロナ禍での状況もあり、疎遠になるケースも増えてきた。 私と同じ年代の者でもいくつかは体調を崩して入院や、そのまま訃報を聞くことなどもあり、中には人づたえに転居の知らせを聞くこともあった。 心なしか急速に、この場所から人の密度が薄くなってきたように感じている。 こうして歩いている道に並ぶ家のおもてには人影のない時も多い。 それぞれ住宅は住む者が修繕しつつ暮らしている訳だが、表面に浮かび上がる経年の模様は隠しようがない。 もっと離れた活気あるエリアでは、住人の出入りとつながり住宅は新陳代謝をしていた。 住人が去った後の住まいは解体され更地になり、そこに真新しい建売住宅が生えていつしか他所からの新しい住人が生活をしている、そういうサイクルを見ることができる。 それとは対照的に、こちらのエリアでは新しく増える数はなく、緩やかに人が去っていく、そういう局面にいるわけだ。 生まれ育った子供・孫世代は長じるとこの場所を出ていくし、その上の世代は緩やかに人生を退場していく。 象徴的なのは「空き家」が出来たことか。 それまでの住人がいなくなり、無人になった家。 元住人本人やその親類などと連絡が取れない場合もあるものか、取り壊しなどが始まらないものか、主人の無くなった家はそのまま他の家と同じような顔をしている。 ただ、分かるのは日没後など内部で明かりの灯る気配のない住宅だが、見廻りでもなく住民の有無を確認するわけにもいくまい。 無論、詮索するようなことは性に合わないのでわざわざ自分から調べ回る真似などしないが。 もう一つは目安だが、庭の状態が荒れている状態の一軒家はやはり無人であるようだ。 生垣の植栽が道路まではみ出したりしているだけでなく、玄関までの入り口を覆うように人の出入りを遮るかのような蔓延(はびこ)り方をしているのを見ればただ事ではないように見えるのは仕方ない。 ちょうど……ご近所の顔見知りというだけでなく、古くからの友人同士だった井口さんの家の前を通り過ぎかけて足を止め、その家の正面を改めて見た。 すっかりと庭木の剪定がなされず、玄関につながる鉄製の木戸には(つる)が巻きつきコンクリートの土台のヒビからは雑草が生え出している。 玄関は()り硝子の引き戸になっているが、様子を見て私は愕然とした。 硝子の内側に蔓植物が既に生え伸びていた。 「こんにちは矢部さん」 呼び掛けられて振り向くと自治会員の一人である白野さん通りがかっていた。 どうもと応じる私の横に並んだ白野さんは、玄関先の様子を見てあぁ、と言った。 「家の中にビンボウカズラまで生えちまってるね、あれはまずい」 「ビンボウカズラ?」 「ヤブカラシとも言うヤツだ」 「ああ」私は了解した。「厄介なのですね」 ヤブカラシは繁殖力の強い植物で、生え出すとよく伸びる上に、地上の茎を抜いても残った地下茎から次々に生えてきて、駆除が追いつかないほどに増えやすい。 「あれが生えるとびっしり増えちまってそこら辺を覆っちまって陽の光を独り占め、それで(やぶ)の他の植物をあらかた枯らしちゃうって」 「それは聞いたことあります。ビンボウカズラってなんですか」 「別名の方。これが生えたら貧乏になるとか、びっしり覆われた家が貧しく見えるとか、これが放置されてるのは貧乏暇なしだからだとか」 「身も蓋もありませんね」私は庭先と硝子越しに見えるヤブガラシを見て何とも言えない気持ちになった。 「矢部さんはやっぱり井口さんの消息とか知らないの?何か聞いたりとかしてなかった?」 「まったく……自治会とかでも「見かけない」とか話を聞いてから、電話をしてみたけれど通じなくて」 井口さん宅は子供のない夫婦の二人暮らしなので、いわゆる孤独死とはなっていないとは思うのだけど、いずれ中が確認されなけらばならないかと考えてはいた。 「本当、どうしちゃったんだか。どんどんさみしくなるねぇ」白野さんはいった。 ある夜更け、用事で遅くなりすっかりと暗い道を自宅へ向かい歩いていた。 どの家も消灯し寝静まっていた。 私は通り過ぎながら井口さんの家の前に来た時だった。 伸び繁った蔓植物に覆われた暗い玄関の引き戸硝子を見て私は固まった。 幾重にも重なるヤブガラシのシルエットが見えた。 ……家の奥で電灯が点されている……蔓植物で閉ざされた獄の中で、誰が?
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