もしかめ

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もしかめ

 蒸し暑い夏の午後。  公園に立ち竦んで何人かが周りを取り囲み、僕を囃し立てる声が聞こえる。  手には古びたけん玉が宙ぶらりんで糸に吊されていた。 「おい、けん玉星人。早くけん玉してみろよ!」  名前も顔もボヤけて思い出せない誰かが背を押し急かす。強張った身体は思い通りに動かずにいた。  「失敗したらお前のこと無視するからな」  無邪気で無慈悲な誰かの声が鮮明に聞こえ、今にも泣き出しそうになりながら足を肩幅に開いた。  膝を曲げて意識を手元に集中する。  失敗するな。落とすな。大丈夫、何度もやってきたじゃないか。  赤い球を見つめたまま自分に言い聞かせ、張り裂けそうな胸をなんとか鎮める。  まるで水中に居る時のような息苦しさのまま、重力によって張り詰められた糸を力一杯に引き上げた。  コマ送りで塗装の剥げた赤い球が飛び上がり、夕暮れの空に同化して消えていく。      「うわぁ!」  飛び跳ねるように起き上がると、そこはいつもの見慣れた自分の部屋だった。  心臓を強く握られていたんじゃないかと思うほど動悸がする。  おまけにびっしょりと汗が服を濡らしていて、最悪な気分で胸を抑えた。  悪い夢をみたせいか、はたまた部屋のエアコンが壊れているせいか。  真夏の熱が閉じ込められた部屋は蒸し風呂のようになっていた。  時計を見ると夜中の三時だ。  動悸がなんとかおさまってきたのを自身の手で確認して、水を飲もうとベッドから立ち上がった。  ワンルームの味気がない部屋を跨いでキッチンに赴き、コップに水道水を注いで一気に喉へと傾ける。  干からびた身体が潤うのを感じていくらか気分は紛れた気がした。  それにしても二十の歳にもなって子供の頃のトラウマを夢に見るなんて。 恥ずかしさを超えて自分が情けなくなってくる。  明日のバイトのため早々にベッドへと戻り眠り直そうとした所で、部屋に飾られた賞状とけん玉がふと目についた。 『けん玉世界選手権 準優勝 藤原(ふじわら) 健太(けんた)』  夢の中で見たあの頃、小学六年の僕が必死になって練習して受け取ったものだ。  初のけん玉世界大会ということもあり、大人が混じる中で運よく入賞できた僕はテレビの取材を受けた。  それが今やなんの役にも立たず、埃を被るただの置き物と化している。  うちの爺ちゃんがけん玉協会の会長ということもあって、褒められるままあの頃は楽しくけん玉をしていた。  それがテレビに出て周りにからかわれ始め、虐めのようになると、次第にけん玉を触ることがなくなってしまった。  過去から目を背けるように賞状から視線を外し、ベッドへと向かう。  そういえばあの夢の続きはどうなったのだろうか。今更どうにもならない事を考えながら眠りについた。
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