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4
由紀恵が、洗濯していたズボンに気付いた。両手で広げると、納得したようにうなづく。そして何かに気付いたようだ。
「おか釣りしてたけど。あの女だったのね」
由紀恵の標的が憲治に向けられた。どこかで不倫の現場をつかみたかったのだろう。
丈二は異様な夫婦の関係を感じた。
「おか釣りに行ってたんだ。釣れたのが、あの大学生?」
いつも由紀恵が憲治へ、止めるようにいっていたはずだ。他所の女性と一緒に歩くのが、おか釣りだと気づいた。
(あれはウワキとかフリンと言うんじゃないかなー)
丈二も言葉を聞いたことはある。憲治が相手と腰へ腕を回していた恰好に、イヤラシイと感じていた。
「そうよ。ステーキの前に片づけちゃいましょ」
由紀恵が笑顔で喋るけれど、口角を上げたスマイルの、口角はさらに引き上がる。これは鬼の形相とも呼ばれる。
立ち上がる由紀恵。丈二は左側に並ぶ。お盆を受け取ると、風にあおられたので小脇に挟んだ。
憲治は立ったまま、泣いているのか笑っているのか、微妙な表情。この状況で立ち去れないし、声をかける雰囲気でもなかっただろう。
丈二はステーキが二人分しかないのを思いだす。
「お父さんには上げないよー」
「な。何のことかなー」
憲治は戸惑うようにしながらも、声をかける。
「おか釣りした男には、あげなーい」
由紀恵がいつもの調子で喋る。未成年に気を使って、不倫とか浮気という言葉は使わないのだろう。意味は分かるはずの憲治が強く首を横に振る。
「不倫はしてない。あの子とはなにもない」
父親として子供への気遣いはないようだ。
「あの子ってだーれ?」
「いや。あの。あれだ」
二人がやり取りしているところで、パトカーのサイレンは止まるが、赤い回転灯が当たりを照らす。3人の不良たちが、そわそわして、どこかへ行こうとする。
「良いところへ連れて行くから」
菜音代がどさくさに紛れて逃げるつもりか、3人と歩き始める。
「ちょっと待ってくくだい」
警察官たちがさっそく登場。
「未成年が喫煙していたと通報があったのですが、あなたがタバコの提供者ですね」
大人の菜音代が責任者と考えたらしい。
「ちがう、違うのよ。この子たちとは関係ない」
菜音代は不良たちから離れるけれど、ぐいっ、と由紀恵が前に近づく。憲治の左ひじをしっかりつかんでいた。
「説明してちょうだい」
「たまたま会っただけ。不倫はしてないです」
「そうだ。ただ偶然」
憲治の言葉を遮る由紀恵。
「台風も来るのに釣りに出かけたと。やっぱりおか釣りでしょ、種馬男が」
やり取りに警察官たちが無関心。テレビとかでは大騒ぎするはずだが、と丈二は不思議だ。
(捕まえないんだ。警察が捕まえるのはなんだろう)
考えて閃いた。
「誘拐だよ。誘拐されそうになったんだ。お父さんが」
「誘拐!」
警察官たちは反応する。不良たちは神妙にしているので、刑事事件の誘拐が重要。
「ちょっと、訊いていいですか」
他人の家族を巻き込んだ事件があったと解釈したのだろう。
「これは」
菜音代も一言では説明できないだろう。
由紀恵も誘拐というのに興味を持ったらしい。
「欺き誘ったでしょ。誘拐未遂ですよねー。この男は詳しく知っているはず」
憲治を引っ張り、警察官の前へ歩かせるので、丈二は後ろに回り、尻を押した。由紀恵も手を放して、一人になった憲治。
「詳しくお訊きしたいですな。ご同行ねがえますか」
警察官は丁寧なことばだけれど、半ば強制だ。
「誘拐じゃない。不倫、いや、そうではなくて」
菜音代も不倫を認めると慰謝料も払わなければならない。それを考えているようだ。
うまく説明できない二人。憲治と菜音代は連れていかれる。
「さて、走ったからお腹も空いたね。ステーキだー」
「あれっ、あの空き巣だ」
アパートへ向かいながら丈二は、足を曲げて膝で近づく空き巣を見つける。
「救急車を呼んでくれ。足が。足が」
アパート側からも警察官たちも走ってきた。
「現場から逃走して、ここへ逃げたのだな」
「怪我か。おや、なにか持っている」
左手に掴んだのをひったくるように取り上げる。
「名義が女名前だ。知り合いか?」
「それより。救急車。救急車を、足がー」
「自傷したのか。銃刀法違反か?」
「えっ。ち。痛い、痛ーい」子供みたいに喚く。
救急車はまだ来ないけれど、ぴーぽーぴーぽー、のどかな響きが風の呻りにまざって聞こえてきた。
「台風も近づいたかな」
丈二は階段をゆっくり上りながら由紀恵へ言う。
「これから凄い嵐が起こるから。ステーキで腹ごしらえよ」
「凄いの、どれぐらい」
「そうねー。父さんが吹き飛ぶかもね」
「良いよ。お母さんがいるから」
丈二は由紀恵が言おうとする意味に気付いた。
「そうかー。中学校卒業までは待つつもりだったけど」
「お金とかは大丈夫?」
「いまも正社員だぞー」
そうだった。由紀恵の勤める会社は横文字の難しい読み方だけれど、主任らしい。もう母を恋しがる年齢でもないけれど、ぎゅっ、とされた感触はたまに経験したい丈二。
由紀恵はロボットでもないし、母としての深い愛情で包まれていると知った丈二。生身の人間同士として親子関係が深まったと満足した。
突風と一緒に水滴が顔にかかる。
「雨だ! 洗濯物がー」
由紀恵は階段を急いで上る。台風のときは雲の流れも急だ。
「任せて」
丈二は二段飛びで、階段を駆け上がり、由紀恵を追い越す。
「気を付けてねー」
由紀恵は急ぎながらも、のんびりしているようだ。
「走れー走れーむすーこーよー」
どこかで聞いた流行歌を真似て歌い始める由紀恵。
「ちょっと、お母さん」
ずっこけた丈二。
「二人だけでも騒々しい未来が待っている」
未来予想図を描いて再び走った。
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