第2章

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 「実はここ半年程あのヴァイオリンを誰も弾いてないんだ。元々は祖母の妹のものでね。アステル芸術財団という芸術分野の社会貢献活動を行う公益財団法人を通して、コンクールなどで受賞した学生にずっと貸したりしてたんだ。でも去年その大伯母が亡くなってあのヴァイオリンが戻ってきた時、一体どうしようかと祖母が手元に置いてたんだ。ヴァイオリンって使わないとダメになってしまうんだろ?どうか弾いてやってくれないか。きっと祖母もヴァイオリンも喜ぶ」  「で、でも……」  奏さんはいいかもしれないけど、肇さんはそう思わないかもしれない。なにせまだ私の詐欺容疑は完全には晴れていないわけだし……。  困惑した表情で彼を見上げたちょうどその時、再び赤信号になり奏さんは車を停止させた。  彼はそっと腕を伸ばすと、膝の上にあった私の手を優しく持ち上げた。  突然手に触れられたことに驚いて、私は目を見開いたまま彼の澄んだ瞳を見つめ返す。  「もちろん無理にとは言わない。君が弾きたいと思った時でいい」  綺麗なダークブラウンの瞳がゆらゆらと私を見つめている。夜の街の光を反射しているからか、少し仄暗い光を帯びているようにも見える。  そんな彼の瞳に何故か危険な香りを感じて一瞬ドキっとする。でも彼はそれを慌てて隠すように目を伏せてしまった。  「ヴァイオリンのことは肇には俺から伝えておく。どうかな」  「……わ…わかりました」  私はゆっくりと首を縦に振った。  そもそもガリアーノのヴァイオリンを弾くなんて滅多にある機会じゃない。それにどうせ弾くのだってこの一度だけ。だったら、彼へのお礼も含めて何か一曲弾いてみたい。  「では、ガリアーノのヴァイオリン、お借りして弾かせていただきます。でも、あまり期待しないでくださいね。本当に昔のようにはもう弾けなくて」  私がちょっと気恥ずかしそうに笑うと、奏さんは「それでも楽しみにしてる」と柔らかく微笑んだ。
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