第5章 (side kanade)

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 (あの子は元気にしているんだろうか。もうヴァイオリンは弾いていないんだろうか。あんなに上手だったのにな……)  奏の心の隅にはいつも彼女がいた。  それにあの夜、彼女に両親は大丈夫だからと、だから頑張れと、希望を持たせるような嘘をついたことがずっと心残りだった。彼女を助けるためだったとはいえ、もし自分が同じ嘘をつかれたら一体どう思っただろう……と。  そうしてあの事故から10年――…  まさかもう一度彼女と再会することになるとは思いもしなかった。  「こんにちは〜。一ノ瀬乃愛と申します。ヴァイオリンを取りに伺いました!」  特殊詐欺の囮捜査で、祖母の家で警察の指示に従いながら待機していた時、突然玄関先に元気よく現れた彼女。  自分の目を何度も疑った。同姓同名の別人じゃないかと何度も思った。でもそれはこの10年片時も忘れることができなかった、彼女だった。  10年前と同じ大きな瞳が印象的な綺麗な顔を、奏は信じられない思いで見つめる。ずっと忘れられなかった彼女が、今自分の目の前にいる。  奏は自分のベッドですやすやと眠っている彼女の指先にそっと指を絡めた。先日この指で彼女が奏の為にヴァイオリン弾いてくれたことを思い浮かべる。  この10年ずっと聴いてみたいと思っていたその美しい音色を聴いた時、心が震えた。彼女が演奏し終わった時のあの笑顔を見た時、どうしても手に入れたいと、生まれて初めて物狂おしい想いに駆られた。  恋に落ちる瞬間なんて、突然であっという間だ。  もしかしたらこの10年、ずっと彼女に恋をしていたのかもしれない。今までどの女性にも感じることのなかった熱が一気に奏の心を染めていく。  でも今までまともな恋愛をしてこなかった奏は一体これからどうすればいいのかさっぱりわからない。どうやって彼女の心を掴めばいいのかもわからない。正直、女性に付き合って欲しいだなんてそんなこと今まで一度も言ったことがない。  でも例えどんな事があって、もう彼女を手放すことなんてできない。その為ならなんでもする。例えどんな卑怯な手段を使っても、だ。  奏は彼女の安らかな寝顔をみながら、そう心に誓った。
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