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舞踏会
あれから一年が経った。
サブリナの生活は一気に向上した。
生活に必要だと思われるものが、次々と鳥によって運び込まれたからだ。
暖かいブランケットも、美しいハンカチも。
何より、鷹が本を持ってきてくれた事が、サブリナはとても嬉しかった。
そして、魔法石のランプのおかげで、夜でも灯りに困らずに読書ができる。
これ以上何を望めばいいのだろう。
そう思うほどに幸せだった。
「日に焼けてないから、サブリナは色白なんだろうね」
ある日、ロイが私の肌の色について尋ねてきた。
「……私は、とても汚いわ」
今は石鹸があるから清潔にしている。
けれど、私は十年以上も体を洗っていなかった。
「汚くなんてない」
ロイに自分の容姿の事を言われると、とても恥ずかしくそして落ち込んでしまう。
彼は想像で私を見ているから、きっと凄く美しい姫だと考えているのかもしれない。物語に出てくるような塔の上に囚われた姫。
「それより、今度の舞踏会でダンスを踊るんでしょう?練習したの?」
私は話題を変えた。これ以上自分の見た目に触れてほしくないと思った。
ロイは王宮で開かれる舞踏会へ招待されていた。
第三王子のフリップからの招待だった。
「そうだな……まぁ、持ち前の運動能力で何とかしている」
「……そうね」
舞踏会というのは独身の男女がダンスを踊るパーティーだ。そこで相手を見つける言わば、公開お見合いのようなもの。
社交界デビューした令嬢たちが、お化粧してドレスを着てめいっぱいお洒落して将来の夫を見つける。
平民であるロイは普通なら王宮で開かれる舞踏会には参加できない。
けれど、王都学園で特待生に選ばれた者は、特別に身分に関係なく招待される習わしがあった。
ロイはフィリップ王子の友人でもあったため、問題なく参加資格を得る事ができた。
「今回の目的は『王妃の涙』を盗む事だ。計画を詰めよう」
ロイは真面目な顔でそういった。
王妃の涙とは、王妃が舞踏会でつけてくるだろうサファイアのネックレスの事だ。
王妃は沢山ある宝石の中でも特にこのネックレスを気に入っている。
新聞に何度もこのネックレスを付けて式典に参加している写真が載っていた。
私たちはそのネックレスを盗む。
今回、王妃はそのネックレスを付けて舞踏会に参加する。
普段、高価な宝飾品は全て厳重な金庫に保管されている。
王妃の物は王妃専用の保管庫だ。
そこから盗み出すことは難しい。けれど王妃が身に付けているのなら、それは盗むチャンスがあるという事。
どうやって奪うか、いろいろ考えた。
王妃の侍女に扮してそれを奪う計画が一番現実味があるだろうという話になった。
けれどロイは、王妃が宝石を身に付けている最中にそれを奪いたいと言った。
「彼女が身に付けている宝石をどうやって奪うの?」
「俺がフィリップに変身する。そして王妃に近づく」
「王妃にネックレスを見せてと言うの?そもそも、フィリップは王妃の子じゃないわ。四人目の側妃の子よ。王妃はフィリップとそれほど親しくない」
私は不安だった。失敗する事を恐れた。
それからロイは自分が考えていた方法を私に話した。
できるだけ、綿密に計画は立てるが、なにせ動くのはロイ一人だ。
誰かの手を借りる事はできない。一人でもやり遂げられる、短時間で、単純な方法でなければならない。
「フィリップはその夜、自分のお気に入りの令嬢と逢瀬の約束をしている」
彼はロイにそのことを自慢げに話したそうだ。
十七歳の若者に、年頃の娘の体は魅力的だろう。
王子であるからといって遊ばない訳ではない。
フィリップが会場を出た、そのタイミングで、ロイは彼に変身する。
王妃に近づき何とか王妃の飲み物に薬を入れる。
ロイは私に薬を見せてくれた。それは液体でワインに溶ければ無味無臭だという。
「これは肌に発疹が出て体が痒くなる薬だ。一時的な物で特に害はない」
金属アレルギーのような症状を引き起こし、王妃がネックレスを自ら外すのを待つ。
「首の周りが痒くなり、ネックレスは外すだろう」
「会場で外すかしら、王妃なのだから別室まで下がるんじゃない?」
「たかだかネックレスを外すのに、部屋に戻るなんてしないだろう。会場内はダンスの音楽やなんやらで賑わっているはずだし」
そこで、それを受け取る侍女に扮したロイが、そのままネックレスを持ち去るという、いたってシンプルな計画だった。
ロイはフィリップに変身した後、けしてロイ自身の姿に戻らない事で、万が一誰かに捕まったとしても難を逃れる事ができるだろうと考えていた。
彼は逃げるのは得意だ。
「俺は、生まれた時から逃げ足だけは速いからな。自信がある」
「そうね。自慢になるのかは分からないけどね」
私たちは笑い合った。
「ダンスの練習をしなくちゃいけない。下手過ぎても目立つからな」
「学園の令嬢たちに頼めばいくらだって相手はいるでしょう」
「サブリナに教わりたいな」
そうね。そうできればいいけれど。
「私には無理よ。私ね、社交界のダンスもたくさん見たから、きっと踊れるわって思うの。でもね、同じようにサーカスを見て私も玉乗りができるわって思っちゃうタイプだから、あてにしない方がいいわ」
冗談交じりにそう言うと、ロイは眉を上げておどけた表情を見せる。
「サブリナは、運動ができる方なの?部屋の中で体を動かしたりしている?」
その必要が今までなかったから、激しい運動はしない。
「そうね……そこまで広い部屋じゃないから、走ったりはできないわ。私も運動をして体力を付けなければならないわね。病気ではないのだし、寝たきりでもない。もったいないわね」
「ああ。いつか、そこを出る事になるだろうから、その時の為に体力はつけておくべきだ」
私はいつかこの塔の外へ出る事ができるのだろうか。
ふふっと私は笑った。
ロイ、私はこのままここにいるわ。
外へ出ようとはもう思わないの……
あまりにも塔での生活が長かったせいで、私は憶病になっていた。
多くを望まなければずっとこのまま生きていける。
望みが叶わなかった時の絶望は誰よりも知っている。
鉛のように重苦しくそして悲惨で、もう私には耐えられそうにない。
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