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舞踏会の話をしてから、私は鏡を見て自分の髪を櫛で梳かした。
髪を石鹸で洗って、その後オイルで頭皮をマッサージする。
これはベテランメイド達が貴族のご婦人たちにしている手入れ方法だ。
子供の頃、真っ黒だった髪はダークブラウンになった。今までのゴワゴワした手触りではない。ビロードのような美しい光沢が出て豊かだ。ヘアークリームのおかげでサラサラしていて指通りもいい。
「誰に見せる訳でもないのに変ね」
一人で笑って髪を揺らした。
肌もローションで手入れをすれば、日に焼けていない分しっとり滑らかだった。
「もしかしたら私は美人なのかもしれないわよ?」
部屋に入ってきたスズメに話しかけた。
先日、ロイとダンスの話をしてから、自分も踊れるようになりたくて、密かに練習をしていた。貴族たちの真似一人で遊んだりしたことはあるけれど、勿論パートナーがいた事はない。
一番厳しい先生のレッスンを聞きながら、架空の男性とワルツを踊る。
「駄目ね、靴下じゃちゃんと踊れないわ。ハイヒールを履かなくてはいけないわね」
そういえば私は靴を一足も持っていない。
外へ出なかったから靴は必要なかった。そう思いながら、冷たい石の床の上でステップの練習をした。
物が増えてから、私にはたくさんやる事ができた。
毎朝、いつものように新聞を読む中央通りのドガ伯爵の執務室を覗く。
彼はゆっくり記事を読むので水面で見ていた私にも読みやすい。
読むスピードは伯爵に合わせなくてはならないけれど、王都で今何が起きているかが分かり面白かった。
例えば、春の花まつりが始まる時期。『チューリップが花屋の前に所狭しと並び、花束を買うための行列ができた』という記事を読んだ後、花屋さんの状況を見てみる。書いてあった通り、花束を買うために、若い男の子たちが列をなしている。花屋さんは大忙しだ。
例えば『串焼きの店で食中毒が発生した』という記事を読んだ後、串焼きのお店を見ると、文句を言いにお客さんたちが押し寄せている。
皆青白い顔で、お腹を押さえながら店主に抗議していた。
私は塔にいても世界を見られる。
花を買うために行列に並ばなくてもいいし、食中毒にもならなくて済む。
……きっと安全で、幸せだ。
ふと、新聞の記事に目が留まった。
そこには今度王宮で開かれる舞踏会の記事が載っていた。
王妃のドレスは今回ブルーだ。ロイヤルブルーは王族の好む最も高貴な色で、参加する御令嬢は、王妃とドレスの色が被らないよう気を付けなければならないと書いてあった。
少し皮肉を含んだ記事を書いた記者は『カイン=オドネル』だ。
彼は以前、怪盗ベルベットの記事に『犯罪者は特別な存在ではなく、あなたの隣にいる平民かもしれない』と書いた記者だった。
彼の事は気になっていた。彼の書く文章からは、彼の調査力、高い取材能力が窺える。オドネルは他の新聞記者と視点が違っていた。
彼の動きに注意を払い、確認しておく必要があると思った。
万が一、怪盗ベルベットの正体を知られるような事になればロイが捕まってしまう。私たちは罪を犯している。犯罪者だ。
調子に乗って無謀な行動をとると、失敗するリスクが高まる。
王宮に盗みに入るなんて危険な事は、もうこれで終わりにしなければならない。
自信過剰になって自分の能力を過大評価し、冷静な判断ができなくなったらおしまいだ。リスクを過小評価してしまうのは危険だった。
「ねぇ、ロイ。今回の『王妃の涙』なんだけど、この仕事が成功したら少し休息期間に入らない?よく考えてみると、宮殿に盗みに入る事はとてもハイリスクだわ」
お金は随分貯まったと思う。
ロイは王都学園に入学したし、学生としての本分もある。
私も、鳥たちと触れ合う事ができて今はとても落ち着いた。
わざわざ危険を冒す必要はない。
「王妃の涙は……サブリナの母親。ベルベット様の物だった」
「……え?」
何故、ロイが王宮に盗みに入ろうなんて言ったのか不思議だった。
私が王妃を憎んでいるから、その復讐のためだと思っていた。
「俺、調べたんだ。元は、あのサファイアはベルベット様の物だった」
「少し……調べるわ」
「ああ」
私は鏡を置いた。
過去の出来事を見る事ができる。それが私の能力だ。
鏡を持ち直して、私の母の昔の姿を映し出した。
そのネックレスは、母が大事にしていた物だった。
私は幼くて記憶にない。
時間をもっと遡る。
母が結婚する時に実家の侯爵家から持ってきた物だった。
祖母の形見のサファイアでそれを加工しなおしてネックレスにした。
大切にしますと両親にお礼を言っている。
母が亡くなった。
部屋の中から母の荷物が運び出された。
母のネックレスは……
母のネックレスを、王妃が持っている。
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