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ショコラ
そんなある日、私はショコラ店のショウウィンドウの前で、中に飾られているショコラを盗もうとしている少年を見つけた。
夕方で人通りも多い。薄汚れたボロを身にまとった彼は、こぶし大の石を握りしめていた。
ガラスの面に左手を置き右手を大きく振り上げた。
「ダメ!やめて!」
私は水面に映る彼に向かって、とっさに声を上げていた。
彼は驚いたように振り返った。
「ダメ……見られているわ。捕まってしまう」
聞こえるはずはないのに、私は彼に話しかけた。
彼は、また後ろを振り返る。
左手をそっとガラスから離す。
良かった。
盗みを止めたようだ。
彼は、キョロキョロあたりを見回すと、またそっと、ガラスに手を置いた。
「もしかして、私の声がきこえる?」
彼は、首を縦に振ってウンウンと頷いた。
「うそ、初めて誰かに話しかけられたわ」
彼はまたウンウンと頷いた。
彼はガラス面に手を置いたり離したりしながら私の声を確認している。
「ガラスに手を置くと聞こえる」
ぎこちない彼の声がする。
そうなのね。
「私の姿は見えない?」
「何処にいるの?」
「そこからは、かなり遠い場所にいる」
「このショコラが欲しいんだ。俺はお金を持ってきたけど、店主が売ってくれなかった。今日は妹の誕生日なんだ」
私は、彼の持ってきたお金が足りなかったのだと思った。
けれど、それは大きな間違いだと気づくのに時間はかからなかった。
「よく聞いて、ここの道をずっと行くと川があるでしょう。昨日、その川の橋の上からお金持ちのおじさんが財布を落としたの。彼は、川に流されたと思って諦めて帰っちゃったんだけど、橋の欄干にそれは引っかかってるの。本当はダメだけど、それはもう、誰も気が付かない事だし、彼も取りに来ないから持ってきていいと思う」
お金持ちのおじさんは、落とし物の届けも出していなかった。
だからこの少年にあげてもいいと思った。
お金をたくさん持っていけば、きっとショコラを売ってくれる。
そう思った。
彼は、財布を拾い上げ、沢山のお金をもってショコラを買いに行った。
きっとこれで妹さんの喜ぶ顔が見られるだろう。
良い誕生日になりますようにと水面を見ながら微笑んだ。
けれど、そのお金を見た店主は『盗んだ金だろう』と少年に言った。
彼は店主にボコボコに殴られて財布を取り上げられた。
そして蹴り上げられて店の路地裏に放置された。
彼の顔は腫れて、唇から血が出ている。
服は泥だらけになり所々破けていた。
私はその日、薄い上掛けにくるまりずっと泣いていた。
何がいけなかったんだろう。
人の物を勝手に使おうとした罰だったのか……
けれどショコラ店の店主は、取り上げた財布の中身を出して、自分の懐に入れた。
少年はダメで、店主は良かったのか……
何が正しかったのか。
分からなかった。
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