1.心の核爆弾

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1.心の核爆弾

今となってしまえば諸説ありだけど、最初に内語が溢れ出したのは衆議院の予算委員会での総理大臣の答弁時だとする者が多いようだ。議院運営委員会において予算案の年度内成立の日程が与野党によって合意され、総理以下すべての閣僚が出席した締め括り総括質疑での話だ。 「総理! もっとちゃんと答えてください! 相次ぐ不祥事を根絶する気があるんですか?……なんですか? ねちねちしつこく同じような質問をって、何を言ってるんですか?! ここは国会ですよ!」 手を挙げて発言しようとした総理は引きつったような表情で、立ち尽くしている。 「おい、今の総理のトンデモ発言、聞こえたよな?」 「ああ、変な感じで聞こえた。総理どうしちゃったんだ?」 「何のことですか? わたしには聞こえませんでしたよ。彼女はマジで怒ってますけど、総理が暴言を吐いたってホントなんですか?」 そうした周りの議員の声もマイクは拾っていた。 「えー、わたくしはご指摘の問題について日々真摯に取り組んでおります。この委員会におきましても……」 ーーこれだから、全くうるさいおばさんだなぁ。どうせ時間潰しに重箱の隅を突っつくだけなんだから。 「総理! またそんなことを! すべての女性と国会への侮蔑です! 看過できません! 発言を撤回しなさい!」 「そんなこと言ってません! 思ってもいないです!」 「嘘を吐け! こっちにも聞こえたぞ!」 「そんな発言をするようでは総理の資質を疑います! 自ら退陣されてはどうですか?!」 野党から怒号が飛ぶ。 「今度は聞こえた!」 「直接脳みそに響いてきた! ヤバすぎるぞ、これは」 記者席からも「聞こえたぞ!」という声が挙がる。総理のいる場に近い議員席ほどではないが。 「どうしよう、わたしはまだ聞こえない!」 予算委員会の国会中継を視ている人はほとんどいないが、その録画は何度も各局で流され、コメンテーターがそれを見ながら深刻そうな顔で思いつきを言うという番組構成が朝から晩まで一週間は続いた。『総理本音ダダ洩れ事件』とか『地獄耳おばさん』とか各局で大喜利状態だった。 ところがそうしたワイドショーやニュース番組で、同様のことが起きてしまった。 「……この総理と土浦委員のやり取りについては、単なる不規則発言以上の問題もあるのではないかと言われており、政府の前向きな対策が望まれるわけです。……誰ですか? 『おまえはコメントをそんなふうに締めるしか能がないんだな』ってひどくないですか? こそこそ言ってないではっきり言ったらどうですか?」 女性経済評論家が怒鳴り散らす。勘のいい読者諸氏であれば贅言を費やす必要はないだろう。MCが興奮して叫ぶ。 「始まってます? スタジオでも始まっているようです。竜ケ崎さん、聞こえるんですか?」 「え? あ、聞こえます。この人がぶつぶつ言う声が聞こえちゃうんです」 「違います! 言っておきますが、俺はぶつぶつなんて言ってないから。この人が勝手に俺の頭の中を覗き込んでるんです!」 ホントにそう思ってたんだ。語るに落ちるとはこのことだとその場にいた出演者、スタッフの多くが思った。これもまた聞こえる。 「やめて! 一斉にわたしの頭に叫んだりしないで!」 「竜ケ崎さん、落ち着いてください」 あまり気の利いた発言がなく、このままだと降板だとマネージャーを通して言われていた芸人がチーフプロデューサーを指差してぶっ込む。 「あ、いいですか。この人ひどいです。こんな異常時に『やったぞ! 視聴率爆上がりだぜ』なんて」 これに味をしめたのか、凋落著しいテレビは、内語を聞き取る能力に長けた芸人やタレントを集めて『嘘つきは誰だ!~本音で語るあれこれ』とか『共演NG量産ショー~あの先輩実は嫌いでした』といった番組を流した。 ところがこうした番組はあまり視聴率を稼げなかった。直接的には『内語溢れ』が画面を通しては聞こえず、おもしろさに欠けていたからだが、それ以上に人々は深刻なパニックに陥っていて、テレビどころではなかったからだ。 人々は近しい者から溢れ出る内語を受け止めきれなかった。 友人、恋人、夫婦……それまで信頼していた人間に目の前で『メイクを変えたって? 無駄無駄』、『こいつにも飽きて来たな。職場に新しい子も来たし』、『連絡なしで飲んで来るとか、ATMのくせに勝手な真似しないでよ』とか聞かされてはたまったものではない。ふだんの素振りからひょっとしたらと思っていたから心が複雑骨折になってしまった。離婚件数は急増し、婚姻件数は急減した。 教師と生徒、上司と部下も同様だった。『勉強しても無駄だよ』とか『実績もないくせに説教だけは一人前だな』といった具合で、教育現場や雇用環境への影響は深刻だった。リモート授業やリモートオフィスがあの疫病の時より進んだ。 知らない方がよかったことを知ってしまい、心を病んだ人も増えたが、精神科医自体が患者と会うのを忌避した。その現象はいつの間にか『内語溢れ』と呼ばれた。 見知らぬ人がすれ違いざまに溢れさせる内語は鋭利な刃物のようだった。侮蔑的で差別的で偏見に満ち、何より発した本人が自らの暗く冷たい心にショックを受けた。……渋谷のスクランブル交差点は再び空っぽになった。 良い面もあると言う人もいた。犯罪、特に詐欺や脅迫が極端に減った。内語を聴ける刑事にかかれば一切合切明らかになるからだ。もちろん自白だけでは有罪にならないことは憲法で明記されているし、『内語溢れ』は自白と同等と見做しうると最高裁も判示した。しかし、『被疑者は〇〇という事実を内語した』と供述調書に書くからダメなわけで、被疑者しか知らない事実を黙って聞き取り、それを元に証拠を探して起訴すればいい。刑事が休暇を取って海釣りをしていたらたまたま死体が掛かったといった不自然なものになるが、不問に付された。 総理がひどい目に遭ったこともあり、事態を重く見た政府は『内語溢れ』関係閣僚会議を設置し、その下に専門部会を置いて対応策を検討することになった。広範囲の専門家が各省庁から推薦された。実質的な責任者になる官房長官は一つだけ条件を出した。 「内語が聞こえないような学者は外せ。年寄りとかには聞けない人がいるそうだが、そんなのがいたんじゃ議論の邪魔にしかならない」 この事態はどの省庁の所掌範囲になるのか、どの分野の専門家が中心となるのか、そこから議論百出だった。これまで聞こえなかったものが聞こえたのだから、ある種の精神疾患だと言う者はいた。しかし、全員ではないにせよ国民の多くが『内語溢れ』している事態をそんなふうに片付けていいのか? 仮にそうだとしてもウイルスとは桁違いに発症率が高いのに対処可能なのか? 封じ込める? ガラスや壁は効果がないこともないが、聞こえる者には聞こえる。そこら辺は通常の音とあまり変わらないようだ。 世間では大真面目にマスクを口や耳や頭に掛ける人たちがいた。キモ可愛い妖怪の絵が流行った。迷信であろうと非科学的であろうと事態の異常さに比べればマシではないか。 とりあえず厚生労働省と傘下の疾病系研究所に適当な研究費を投下することが閣僚会議の結論の一つとして財務省は用意していた。初等中等教育を所掌し、科学研究費を統括する文部科学省についても増額が予定された。 とりあえず医療分野の重鎮を座長に据え、総理と関係大臣が臨席して専門部会の第一回会合が急ぎ開かれた。リアルな会合が少なくなった中、あえて全員の出席を求めていた。ただ席の間はかなり空いて例のプラ板で隔てられていて、内語を聞き取りにくくするという配慮をしていた。 根回しのお蔭で論点ペーパーと今後の進め方案に意見一致を見ることができた。最後に座長は笑みを浮かべながら言った。 「……では、みなさんから一言ずつお願いできますか。内語でという方もいらっしゃるでしょうが、まずは発語していただければ」 みんな微笑みながら『あまりおもしろいジョークじゃないな』、『この先生は世渡りだけで政府に使われてきたんだよな』といった内語がさざ波のように広がった。 何人か口早にあるいは吐き出すように「非常時」とか「重責」という言葉を使ってとりとめもない発言をした。テレビのコメンテーターに求められるのと真逆の能力が専門家には必要とされる。ひょいと手を挙げた委員がいた。 「あ、いいですか。みなさんがおっしゃったように『内語溢れ』について現状では何もわかっていないわけです。感染症で言えば感染源も対処方法もわからない、わかっているのは不明確な病像だけといった感じです。人々は経済的、社会的、心理的、その他もろもろひどいダメージを受けています。戦国時代に火縄銃ではなく、核兵器が現れたというのがわたしの印象です。正直言えば神様に『あなたの愛は溢れると言いますが、内語が溢れるようになったのは我々への罰ですか』と問いたいです……」 一同はその宗道とかいう教授の話を静かに聞いていた。彼の話に感銘を受けたからではなく、彼が内語で歌を歌っていたからだ。どこかで聞いたことのある古い洋楽だと思うのだけれど、はっきりしない。
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