4人が本棚に入れています
本棚に追加
ぼうっとする尾府手を横目に、日江はスタスタと進んだ。釣られて尾府手もついていく。主従関係は決まったも同然だった。
日江は周囲を見渡した。商品棚の陳列や目を引くディスプレイの全てが空虚だ。ここにいるのはショッピングモールを憎む男と、人質だけ。
「本当に誰もいないなあ」
呑気な尾府手の声が後ろからする。
嗜めるのが犯人としての行動かもしれない。しかし、日江もあまりの静けさに気が滅入っていた所だった。
日江は眉をひそめた。命を握られている立場である尾府手が背後で勝手に行動していたのだ。
尾府手が入っていったのは、花屋だ。町の花屋とは違い、大手飲料水会社が新しく設立した整頓された店だった。
日江は店前に飾られている薔薇の束を見やった。バケツ一つすら安物ではないのだろうことがわかる。ブリキのバケツに黄色の薔薇が差してあった。
「父の日は黄色い薔薇を送るんだよ」
顔を上げると、尾府手がまた中のものをチョロチョロ触りながらこちらに顔を向けていた。
「幾ら人がいないからって、触りすぎですよ」
嗜めても、尾府手は意に介さない。やはり俺を舐めていやがる。
「いいんだよ。俺はここの社員だし」
思ってもいない言葉に、日江の口が少しだけ開いた。そして、更に驚いたのが尾府手の表情だった。店内の装飾に異様に触れているのは、まるでその頬に流れる涙を隠すかのようだった。
この状況への恐怖がそうさせるのか、と考えて違うだろうと思い直す。しかし、日江に彼の気持ちが分かる筈もなかった。
「父が、十年ほど前に、青い薔薇の栽培に躍起になったことがある」
日江の口からでたのは慰めではなかった。
「難しいだろ」
結果を分かりきっているからか、尾府手の声は探り探りだった。
「家庭菜園で作れるわけがないのに、躍起になって」
「君がテロを起こしたのも、その、家庭の事情が問題なのかい」
話題の飛躍とあまりにも無遠慮な問いかけに、日江はカッとなる。
「違う。このショッピングモールは違法なんだ。だから俺が壊すことにした」
口を滑らせた日江に、尾府手は頑丈な体で向き合う。彼には、日江が手負いの小動物か何かに見えているのだろうか。
じっと、先ほどまで泣いていた瞳は真っ暗だった。
「だから無関係な人を巻き込むようなことをするのか。随分と極端な発想だね」
詳しく聞かせてよ、と尾府手が言う前に日江の腕が伸びてきた。そして問答無用で襟首を掴んで跪かせた。
小さな体からは想像もできない力業に、尾府手は度肝を抜く。一方で、日江には言い知れない怒りが渦巻いていた。
「さっきまで泣いていたくせによく言うぜ」
これ以上俺を苛立たせるな、強迫されてようやく尾府手は怯んだ表情を見せる。
「す、すまない」
尾府手は日江の腕を見た。長袖で分からなかったが、近くで見ると彼は細身ではない。まったくの逆。鍛えられた腕は、肉体労働者だということを如実に現していた。
腕力でも武器でも勝てない。しかし、尾府手はこの彼を取り巻く孤独に対して身に覚えがあって仕方ない。
「次、余計なことを言ったら撃ってやる」
乱暴に離され、日江は出口へと向かう。
「聞かせてくれ。爆弾を使って、君は、死ぬつもりだったんじゃないか」
ずっと気になっていたのだ。
振り返り、日江は薄く笑う。
「さっさと来い」
最初のコメントを投稿しよう!