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不気味なモール
ショッピングモールの全階を回っていくのは骨が折れたが、尾府手が黙ってついてくるようになってからは時間がスムーズに流れた。
日江は唇を舐める。
今は最上階手前の十二階。本当に人が誰もいない。異様だが、人なんて本当は撃ちたくなかったから良かったのかも知れない。
暗く狭い部屋で思い詰めた決意が、おかしな空間にほぐされていく。しかし、亡くなった親友とショッピングモールへの憤怒は決して溶けはしなかった。
「あっ。人がいる」
背後の尾府手が声を出す。日江より前の方を指していた。
日江の方が先頭に立っているのだから、最初に気づけたのは彼の筈だ。しかし、日江は声がでなかった。
誰もいないレストランフロアの一席にいるのは、禿げ頭の体の大きな壮年の男。後ろ姿からでも、日江には誰だか分かる。
「上瓦」
言葉にすると、日江の中にある怒りに油が注がれた。地を這うような低い声だ。
尾府手は気づかずにレストランフロアにいる男に駆け寄ろうとする。
「すいませえん。あの、貴方もここに閉じ込められたんですか」
尾府手が近づくより先に、電光石火の如く走り出したのは日江だった。
只ならぬ気配に尾府手も動き出すが、日江は壮年の男の襟首を掴んで顔を上げさせている。
「お前」
日江は今にも男を絞め殺すか殴り付けそうだった。
「君は人の首を掴むのがそんなに好きなのか」
尾府手はとんちんかんな声をかける。日江を壮年の男から引き剥がそうとするも、手には妙な感覚があった。男から体温を感じないのだ。まるで死人のようなので、ゾッとこちらの血の気が引く。
「よくもノコノコと外に出られたもんだな」
日江は感情をぶつけているからか、全くもって気づいていない。
「に、日江くん」
「てめえのせいで、ブッチーは死んだんだぞ!」
物々しい言い分に、尾府手の入り込む隙間はない。この人と君の関係はなに、ブッチーって誰なの君のペットかい……。そんなこと今の彼を前に聞けるものか。
兎に角、この日江に取り返しのつかないことをさせてはいけない。俺のように。
「おらあっ」
尾府手は二人の胸を押していた手で、壮年の男の頬を思い切り殴った。その勢いたるや、男は地面へと叩きつけられる。
「なんで」
咄嗟に日江が叫ぶ。
「なんでだ」
尾府手も混乱してしまう。
「あ、あんた何してんだ」
それはそうだ。
尾府手には関係ないし、関係ない人間を意味もなく攻撃した時点でかなりの非がある。
上瓦というこの男が日江の働いていた建設現場の上司で、冷酷な男ということ。日江が職場で知り合った渕川という心許せる友が、過労で自殺を選んだこと。尾府手には全く知らないことだし、これからも関係のないことだった。
尾府手は日江の目をじっと見る。
「よく分からないが、君に馬鹿な真似はさせない」
格好はつかないが、自分よりも年若いこの青年の間違いを止めれるとしたら自分しかいない。なにもしてやれなかった娘に重ねている訳ではない、と言ったら嘘だが。
「人殴っといてなに言っていんだ」
辛辣で全うな日江の反論に、尾府手は唇を噛む。
「君は爆破事件を起こそうとしたろ。君に比べれば俺はまだ許される余地がある」
日江が近寄ってくる。
反射的に尾府手は身構えたが、日江の視線は倒されたまま動かない上瓦の方に向いていた。しゃがみこみ、上瓦を観察する。
「これ、人形か」
日江が呟き、尾府手も近寄った。
尾府手が触れると、やはりあの時のように冷たい。肌も蝋のようだった。目は開いているが、瞬きもしない。良くできた精巧な人形、と言うよりも生々しい不気味さを纏っていた。
ふと、人形が笑う。
「うわっ」
二人が身をのけ反ると、見間違いだったのか固まった表情のままだった。
言い知れない静寂の中で、二人は顔を見合わせた。
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