1章2話 気まずい謁見 *

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1章2話 気まずい謁見 *

【新帝国歴1128年7月13日 アリーシャあるいは若葉】  アリーシャ・ヴェーバー、17歳。ランデフェルト公国、公宮付きメイド、就任13日目。  就任12日目の昼、ランデフェルト公宮の練兵場近くにて、ちょっとした事件が起きた。13歳のランデフェルト公リヒャルトの乗る乗馬が突然、何かにいきり立ち、本来の進路を逸走して暴走を始めた。その進路に偶然いたアリーシャは、立ち上がった馬の前で呆然と立ち尽くしたため、あわやの大惨事になるところだった。  乗馬は寸前で姿勢を変え、アリーシャを避けた。アリーシャはショックによるものか意識を失っており、医務室に運び込まれた。幸い大事なく、翌日、君主リヒャルト・ヘルツォーク・フォン・ランデフェルトのお目通りの機会を得たのだった。  というのが、こちらの世界での、私の物語の始まりだ。 「名前を」  玉座に座る眼前の少年は、厳しく、それだけ告げた。 「アリーシャ・ヴェーバー、と、申します」  私は、その名前を答える。 「なぜ、あんなところに立っていた?」  謁見室の上段から、リヒャルト様は私に尋ねるのだった。 「馬が、好きなので。宮殿の馬を、一度見てみたかったのです」  なんでそんなことをしたのか、自分でもよく分からなかった。メイドの職務とは、家具に徹し、主人の身の回りの世話をすることであって、そういった行動は軽率であり、職務怠慢でもある。  公爵は眉を釣り上げて、私の顔を凝視していた。淡い色の金髪に青い目の美少年で、その頬にはまだあどけなさが残っているが、逆に浮かんだ表情はどことなく険しい。  その出で立ちは、白を基調とした豪奢な衣装で、ボタンや襟飾りは金色だった。細身のズボンは膝の下ぐらいまであり、その下は黒の靴下で肌は見せていない、そして履き物はピカピカの革靴だ。タイの色だけが青で、その目の色に近かったかもしれない。王子様みたいな格好だけど、王冠みたいな被り物はつけていなかった。  そんな煌びやかな服装の反面、その体躯はどちらかというと痩せていて小柄、座った背丈は高い椅子の背の半分ぐらいだ。その背後には、5本の槍の前に翼のある獅子が寝そべるという、ランデフェルト家の家紋があしらわれた赤い緞帳が下がっている。 2d1d53ce-a74d-4fd4-88fe-0f115f1bf06bリヒャルト・ヘルツォーク・フォン・ランデフェルト / イラスト:あかねこ (X:RedAkanekoCat) 「馬なんて見慣れているだろう。おかしな奴だな」 「実家の馬とは、品種が違いますから」 「ああ」  なんというか、鷹揚な口調でリヒャルト様は応じる。私は少しだけほっとした。 「本当に、立派な馬でしたね。大きな馬体で、真っ白に輝いてて」  金星号と名付けられたその馬は、生まれた頃は尾花栗毛だったという、今ではほぼ全身白の芦毛馬だ。公爵の所有する馬の中でも気性の悪さは折り紙付き、そういう評判だった。 「あの性格でさえなければな。大人になる段階で、気性がどんどん悪化していった」  腕を組んで公爵、リヒャルト様は答える。 「金星号にも、小さい頃があったんですね」 「赤ん坊の頃は、本当に可愛かったんだがな。手から草を食べたりして」 「あの子、殿下より年下なんですね」 「当たり前だろう! ……お前、馬の年齢も知らんのか?」  カッチカチで意味不明なことを口走る私に、軽く辛辣なリヒャルト様。この間の悪さはどこから来たんだろう、と、私は悲しかった。でも、馬の話をしているリヒャルト様はどこか楽しそうだ。そして、口を開く前の私は、もっと明るい方向に話を持って行こうとか思っていたのかもしれない。 「……ほら、金星号は賢い暴れ馬で有名ですから。殿下を振り落とさなかったし、暴れる真似だけしたのかもしれません。私を踏む気なんて最初からなかったのかもしれませんよ」  これは、完全な、そしてありえないレベルの失言だった。  まず、金星号の悪い評判が伝わっていると、わざわざその主に伝えている。さらには、彼はその馬に舐められていると、そう表明しているようなものだ。 「…………」 「…………」  私の言葉に、殿下のそばに控えていた家臣は軽く考え込むような素振りで、殿下は眉間に皺を寄せて、どっちも無言だった。 (……まずい……)  そろそろ、不敬罪でしょっ引かれる頃合いかもしれない、と、私は覚悟を決めることにした。 「それだけ喋れるなら、本当に大事ないようだ。大儀であった、下がって良い」 「き、緊張した……」  謁見後、私は別室に通されていた。謁見室よりは控えめなものの、天井まで装飾が施された華美な部屋だ。 「お疲れ様です、アリーシャ殿」  物柔らかな男性の声。 「……エックハルト様」  私は応じた。  エックハルト・エードラー・フォン・ウルリッヒ様。先ほど謁見室で、公爵の側に控えていた家臣の人だ。この国の君主であるリヒャルト殿下の側近か何かだったと思う。元々の貴族ではないが、功績により準貴族として扱われている、そういう立場の人らしい。  私はあらためて彼を見る。黒いウエストコートの出で立ちで、襟には同色で植物紋のような縁取りがされている。その飾りは近くから見ると分かるが、遠目では分からない。ジャボ、と呼んだだろうか、襞のあるレースのタイで襟元を飾っているが、それ以外はあまり華美ではない服装と言えた。細身の長身の優美さは人目に立つほどで、ほとんど黒に部分的に白が入るというシンプルな服装がまた、その際立った美貌を引き立てていたかもしれない。27歳とのことで、後ろで束ねた黒い髪は艶っぽく輝いている。 8465e975-85c2-47e3-948c-4514cfde6251 エックハルト・エードラー・フォン・ウルリッヒ / イラスト:あかねこ (X: RedAkanekoCat) 「あ、あの……。ええと。本日は、申し訳ありませんでした」 「何がですか?」  エックハルト様は首を傾げる。 「全部です」 「ああ。あれは、面白かったですね」  エックハルト様は笑っていたが、私には笑い事じゃなかった。 「そんなに心配なさることはありませんよ。殿下は言葉が過ぎるだけで、本当はお優しい方です」 「でも、馬より年下とか……」  私は顔を背ける。もっと問題発言があったような気がしないでもないが。 「歳若いことを気にしておられるのはまあ、確かですね。でも、あなたのことを、大変心配されていましたから」  先程の謁見で詰問されたのは、どうしてあの場にいたとか、職務の内容とかだった。むしろ私には、不審な行動を咎められているように思えたのだ。 「心配、ですか?」 「想像がつきませんか?……でしょうね。でも、あなたをすんでのところで殺すところだったと、そう、後悔しておられましたよ」  あの少年、と言っては失礼なんだろう、多分。でもあの、いかにもという感じのいかめしい態度だった少年君主のリヒャルト様が、そんなふうに心配したり、後悔する姿なんてもっと想像がつかない。 「……ツン、デレ?」 「は?」 「い、いえその! あまり素直でないというか、感情表現を表に出されないというか!……はい。いくらなんでも、不敬でしたね。処罰は如何様にも」  私の言葉を聞いて、エックハルト様は悪戯っぽく笑うのだ。 「あなたは、どうにかして処罰してもらいたいようだ。ですが、それはできません。私が公爵に処罰されてしまいます」 「いえ処罰は……その……すみません。ええと」  私は姿勢を正すと、数秒口ごもり、自分の言いたいことをまとめようとする。 「今日は、本当にありがとうございました。公爵殿御自ら、私のようなものにまで目をかけていただいて。このお礼は改めてきちんと……ではなくて、この公宮のお勤めに精出して、殿下の恩義に報いたいと思っています」  貴人に仕える身分である以上、表明するべきはこういう、御恩と奉公の関係に徹することではなかったのか。御恩と奉公は正確には鎌倉時代で、ええと、中世とか近世のヨーロッパ的には何ていうんだっけ? 私はまとまらない思考を掻き回すが、意味のある結論はこの場では出てきそうになかった。 「…………」  今度は、エックハルト様は私の言葉には返事を返さず、黙って目を細めている。近くで見ると、彼の目は金色で、そして鷹のように鋭かった。 「あっあっ! すみません、それから、エックハルト様にまで、私のようなものに、こんな風に、時間を使っていただいてしまっています! 申し訳ありません、すぐ! すぐに! 退出します!」  慌てて私は付け加える。 「そんな風に仰ることはありませんよ。私も所詮は、ものの数に入らぬ身ですから。あまり固くならず……というのも酷ですね。昨日の今日でお疲れでしょう。今日はもう部屋に下がって良い、そういう殿下のお達しです。それから」  一度言葉を切ると、エックハルト様は、私に向かって会釈してみせるのだ。 「どうか、ゆっくりお休みください」  私が転生、というかたぶん転生したのは、こんな世界だった。ランデフェルト公国。ランデフェルト公爵家が統治し、周囲の数十の小国と同盟しながら自治と自衛にあたる半独立国家の小国で、現在の当主はまだ13歳の少年、リヒャルト殿下だ。  それで、どうして転生がたぶんなのかって言ったら、その証拠はどこにもなかったからだ。まず、私には転生前の神や、上位存在の啓示はなかったし、特別なスキルが付与されたという記憶もなければ感覚もなかった。  それから、ランデフェルト公国という名前は、元の世界の歴史では知らなかった。と言って、中世から近世のドイツ領邦国家の名前を全部覚えているわけでもないけど。使っている言語は、ドイツ語に似た言語。だけどところどころが微妙に違っている気がするし、アルファベットの形状や筆記体の文字の書き方も違っている。  この世界は、少なくとも『私』、つまり新井若葉が知っている、何らかの物語の世界ではないということだ。私が転生した傍証があるとすれば、新井若葉の記憶だけ。  そしてアリーシャである私の物語は、この出会いによって始まる。
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