4章6話 『遺構』 *

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4章6話 『遺構』 *

【新帝国歴1130年4月10日 リヒャルト】  やめておけ、と彼女に告げるのが、リヒャルトには躊躇われたのだった。 「私も……リヒャルト様をお守りしたいのです」  躊躇いつつ、彼女はそう言った。  つまりは、ヴォルハイム側と話をつけたらしいアリーシャが、従軍許可を取り付けるために、リヒャルトに充てがわれた部屋を訪ねたのがこの夜のことだった。彼女の殊勝な言葉、だがその視線はどこか、悪事を親や家庭教師に告げる時のような悪びれ方を感じさせた。  やめておけ、女に戦場は向かない、特にお前のような女には。――然るべき場面では大人しく守られていることが、お前のような立場にある者の義務だとは思わないのか。――お前は戦場を知らない、死ぬような目に遭ってみれば、来なければ良かったと考えるんじゃないのか。  それら全ては間違いとは言えないし、これまでのリヒャルトの常識に照らし合わせてみれば、この場面においてはそれを言葉にすることは妥当と思われた。  だが、彼女は常識では測れない。いくら実戦経験がなくても、後方であれば何らかの有用な進言ができるかもしれない、その尋常ならざる知恵をもってすれば。また、ここで自分が旧態依然として杓子定規な見識を振りかざしてアリーシャの希望を撥ねつければ、彼女の心が遠ざかって行ってしまいそうな、そんな心許なさをリヒャルトは感じざるを得ない。  さらには、国家間の微妙な力関係の話もあった。アリーシャの従軍についての最終決定権はランデフェルトにあるが、ヴォルハイムより格下である以上、ツィツェーリアの興味を無下にはできない。リヒャルト自身はヴォルハイムの覚えめでたいとはいかず、彼らの希望通りに家臣であるアリーシャを貸し出すことは理に適った戦略ではある。ランデフェルトの部隊は今回は規模が小さく、アリーシャが提案したような調査検討は彼ら自身ではできそうもない。  結局、リヒャルトは認めざるを得なかった、他に選択の余地はないのだから。 「…………」 「…………」  聞こえないほどの小さな溜め息を一つ、リヒャルトは吐いた。それをアリーシャは無言で、少し緊張した様子で観察している様子だった。 「認める」  それだけ言うと、手元の書類に署名して、アリーシャに手渡した。彼女はそれを受け取り、一礼すると、彼の前から退出したのだった。 (私は、そんなに不甲斐ないか)  リヒャルトは、そう言いたかったのだ。だが、彼女に聞くべきことではないだろう。自分でも、理解しすぎるほど理解している。  ヴォルハイムの双子の前に立つのは、リヒャルトにとって狼の巣穴に放り込まれるようなものだった。自分は不甲斐ない。より強い二頭の肉食獣を前にして、手を拱いていることしか出来ないのだから。リヒャルトはそれを考えていた。 【新帝国歴1130年4月20日 リヒャルト】  そんなことを思い返し、苦々しい思いを抱えながら、リヒャルトは眼前の戦場を見渡している。  荒地と山塊の境目、ごつごつした岩肌が強い風に晒されている場所に、その『遺構』はあった。  獣の牙を模して作った彫刻を、数百倍に巨大化した塔のようなものだった。その芯は金属製で、その根元から頂上まで一つに繋がっていると見える。その芯を取り囲んでいるのは白い砂岩質の石材と、黒い硝子質の立方体。それが幾重にも積み重なって、全体でその形状を構成していた。近くから観察したさいに見られる立方体の積み重なる様子は、黄鉄鉱の結晶をも彷彿とさせる。また、硝子質の立方体の中には時々光が走っているのを見ることができた。  その周囲を、小さな黒いものが動いているのが見える。災厄だ。遺構に近づこうとする侵入者を察知して、遺構内部から、あるいは周囲に巧妙に隠された出入り口から、後から後から湧いて出てきている。 「深追いするな、冷静に行動しろ!」  リヒャルトは叫ぶ、舌打ちは心の中に留めておかなければならない。  遺構制圧作戦において、リヒャルト旗下の部隊は苦しい戦いを強いられている。  そもそも、ランデフェルトの部隊は、そして彼らの槍術は、こういう戦闘には向いていない。市街地や人の居住地域に現れた小型から中型の災厄を、地形や構造物を活かして短時間で仕留めることに主眼を置いた戦闘方法だからだ。  そのために、陽動作戦の駒となることに甘んじているのが今のリヒャルトと、部隊の者たちだ。味方の陣地から遺構までの吹き曝しの地形を、敵の攻撃を掻い潜って進み、少しずつ後退して誘導するのはいかにも危険だ。それは最初から分かりきったことで、撃破数に拘って功を焦ることは部隊には堅く禁じている。それでもこういう勝手の違う戦い方が、足並みの乱れを誘発しないとはいえない。  こんなランデフェルト式槍術の弱点をヴォルハイムが理解していないわけがない。マクシミリアンが揶揄した『脆弱な槍』とは、つまりはそういうことだ。そして、ヴォルハイム家の人間は伝統的に、特にマクシミリアンは嗜虐的だ。回り回って自分に被害を及ぼさないのであれば、味方であろうと痛めつけるようなことを平気で、そして好んで口にする。それに、そんな風に挑発すればリヒャルトが戦わざるを得ないことを分かって言っているのだろう。  それにしたって、手足を縛られて戦うのは趣味じゃない。リヒャルトはそう思わざるを得なかった。現時点で自分の部隊には負傷者は出ていない。だが、時間の問題かもしれない。こんなことで大事な兵士を失ったら、それこそ父祖への言い訳が立たない。 「褒めてやるぞ小僧、後は我々が仕留める!」  ヴォルハイムの軍団長、ツィツェーリアだ。誘導してきた敵の一団をツィツェーリア隊に任せて、自分たちは戦線の後ろまで交代することを目指す。と言っても、今度はツィツェーリア隊の援護をしなければならないので、安心はしていられない。  砲撃を主力とする作戦を旨とするヴォルハイムだが、ツィツェーリアの意図はもう少し別のところにあるらしい。ツィツェーリアは、単に災厄を薙ぎ倒すことを目的としている。間合いの関係で普通の剣は対災厄戦闘には向かないが、ツィツェーリアはその凄まじい膂力と常識外れの大剣で、問答無用に薙ぎ倒していく。戦場の悪魔と渾名されたヴォルハイム家の父祖の血は、マクシミリアンよりもむしろツィツェーリアに強く受け継がれていると思われた。一方のマクシミリアンだが、新型銃を装備した部隊を率いて別行動をしているらしい。その詳細はリヒャルトにも伝えられていなかった。  その新型銃と新型の弾丸の威力だが、それは確かに助けになっていた。リヒャルトの部隊も一本だけ使っていた、銃自体はリンスブルック侯国から借りてきたオリジナルで、弾薬だけがヴォルハイムから支給されている。それを使っているのはエックハルトで、従来とは比較にならない射程と精度で災厄の『目』を破壊することができていた。 「お前のお陰だよ」  リヒャルトはそう呟く。いつも底意地の悪いエックハルトだが、こういう時には頼りになった。 「どうでしょうか。思ったほど威力が高いわけではない。『目』の破壊には良いですが」  エックハルトは平然と怖いことを言うのだ。 「この銃で人間を撃つ場合にはかなりの威力を発揮するでしょうが、災厄に血は流れていません。新型銃の存在による戦略的な優位は限定的です。それに」 「それに?」 「災厄はどうやら、この銃の射手に向かってきている。……それも、『目』の破壊には好都合ですが」
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