7章1話 俺と、お嬢様 *

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7章1話 俺と、お嬢様 *

【再び、ヨハンの手記より】  そんなわけで、世界を脅かしていた大災厄は、主に俺の姉の活躍によって世界から過ぎ去ったということになるらしい。だが、話はそこで終わりじゃない、当事者である俺たちにとっては。その後も世界は続いていく。災厄が存在しなかった世界と同じように続いていくのではない、それが存在していた過去からの引き続きの未来として続いていくのだ。  その後の俺の経験も、微妙にあの、過去の大事件に絡んでいる。それは、一見平和な世界にも、あの災厄を生んだ種は存在しているということを暗示している。だから俺は全ての出来事を、なるべく覚えているままに書き綴っておくことにする。  その中でも特筆すべき出来事は、1135年の初夏に始まる――。 【新帝国歴1135年5月15日 ヨハン】  あの公開実験から、実に3年が経っていた。片足を失い義足になった俺も、周囲の人々も、少しずつ、平凡な日常に戻り始めていた。そう言いたいところだったのだが。  と言って、そんなに悪い日々を過ごしていたわけじゃない。回復には長いことかかったが、1年ほどで工房への勤務を再開している。それで、今まで通りとは言えないとはいえ自分でできる仕事も見つけたし。あの事件で死んだウワディスラフの後釜である工房長にはもっと熟練の技師が就いて、俺はその部下ということになったのだが、彼のやりかけの仕事を引き継ぐ必要があった。残されていた大量の手書きのメモを整理して編纂し、新しい技術開発に繋げるのが今の俺の重要な仕事になっていた。  まあそんな感じで復活しつつあった俺の平凡で平和な日常は、あの女の出現で粉々に粉砕されることになる。  ある休日の午後のことだった。自分の部屋で過ごしていた俺は、階下でばたばた言う物音を耳にして、下の様子を伺いに階段を降りたのだ。  ところで、この話をするには俺の今の住居についての説明が必要だ。  3年前は、俺は工房から徒弟に当てがわれる小さな部屋で生活していた。工房は何かと多忙なので、郊外の自宅に帰るのはたまの休日ぐらいで、他の徒弟たちと混じっての暮らしは、不便なことも多いが、まあ何かと刺激にはなった。  だが今は違う。俺は義足だし、一人前の技師だし、何よりアリーシャの結婚で俺の身分が上がってしまった。今じゃ俺の本名は、ヨハン・エードラー・フォン・ウェーバーということだ。つまりは準貴族、あのエックハルト様と似たような身分ということになる。  どうして俺がそんな身分になったかって言ったら、蒸気機関車の開発と名誉の負傷ということだ、表向きは。だが本当のところは、今や公妃アリーシャの親族である俺たちが平民では外聞が悪いという話だろうと俺は思っている。とにかくその名誉の分、そして負傷で不便を被っている分だけ、俺は国家から便宜を図ってもらえることになったのだ。  で、俺には新しい住居が与えられた。首都の表通りに面した、そこそこ新しい3階建ての建物だ。国家の財産だが、使い道が決まっていなかったらしく、どの部屋も空だった。そこを住居として使わせてもらえることになったのだ。ついでに言えば、何かとまだ不自由が多い俺の身の回りを世話を焼く婆さんを、通いで手配してもらえている。  こういう建物は、大抵は1階になんかの仕事場や商店が入り、2階は住居、それから3階は下宿人に貸すみたいな使い方をされる。俺は義足だったので、1階を住居に改造するという話もあったが、俺は断った。何せ、これから一生この足と付き合っていかなければならないのだ。階段の上り下りぐらいこなせなければ、それこそ今後の人生が危うい。だから、2階を俺の住居にして、1階は使い道が決まったら向こうでどうにかすればいい。  俺は本当は、こんなでかい家じゃなくて、俺の身の丈に合った下宿にでも滑り込めればそれでいい、その分貰ってる傷病年金を上げてくれと言ったのだ。それはにべもなく断られたのだが、仮にも公妃の身内がみすぼらしい生活をしていたら外聞が悪いということらしい。  ということで、一人で住むには広すぎる2階の住居を、俺は広々使わせてもらっていた。まさにその住居の階段をそろりそろりと降りて行った先に、そいつが立っていたのだ。 「ここが、ヨハンのおうちですのね!」 「は???」  高そうな服を着た、華奢な女だった。  紫色の外出用ドレスと、共布の大きな帽子で、花を模した飾りがあしらわれている。帽子がデカすぎるせいで顔は半分しか見えないが、その下からは長い銀髪が覗いている。  あまつさえ建物の正面玄関には、停止した四頭立ての馬車が止まっていた。ちょっとこのへんじゃお目にかかれないような立派な体格の馬に引かれた大きな馬車からは、馬丁たちが、これまたばかでかい荷物を積み下ろしている。 「……なんで、あんたがここにいるんだ?」  俺は茫然と呟く。 「わたくし、家出してきましたの。しばらくこちらに置いてくださいませんこと?」  お分かりだろう。リンスブルック侯爵令嬢、ヴィルヘルミーナ嬢だった。   「いや何考えてんだ! 知らねえよあんたの家出なんて、さっさと家に帰れよ!」  だからこの時も、俺はご令嬢相手には全く相応しくない言葉で、家出してきたというヴィルヘルミーナを諫めたのだった。だが彼女はその尖った鼻で、俺の抗弁を軽くあしらうのだ。 「そんなわけにはいきませんわ。わたくしの野望を認めさせるまで、こちらから折れるわけには参りませんの」 「いやだから! ここは駄目だろう! なんで俺の家なんだよ!」 「なんでって、なんでですの?」  俺にしてみれば当然の話だったのだが、ヴィルヘルミーナはきょとんとしている。 「一人暮らしの男の家に、いいとこのお嬢さんを泊めるわけにはいかんだろう! 常識で考えろ!」 「ええ!」  彼女はそこで急に驚くのだ。 「ございませんの?!」 「何がだよ!」 「もちろん、お客様の長期滞在のための、ゲストルームですわ!」 「あるわけねえだろんなもん!」  俺は絶叫した。  その日のうちに、俺はヴィルヘルミーナを伴い公宮へと足を運ぶことにした。奴の荷物はとりあえず1階に運び込ませてやることにして。とにかく話をつけることが先決だった。  独身男性の家に、さる高貴筋の若い女性が家出して転がり込んできた。これを好機と考えるか、それとも災難と考えるか。それは場合によりけり、個人によりけりだろう。だが今回の場合、何と言っても相手が悪い。高貴も高貴、他国の国家元首の娘だ、このじゃじゃ馬は。間違いがあったら、あるいはそう勘違いでもされたら、血祭りどころの騒ぎでは済まないし、俺一人の責任でも済まないのだ。
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