7章8話 遺構崇拝者と、立てこもり

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7章8話 遺構崇拝者と、立てこもり

【新帝国歴1135年12月29日 ヨハン】  展示会をぼんやり眺めながら、俺はそのやりとりについて、ずっと考えていた。だから、周りの様子が少し変わっていることに、俺はなかなか気がつかなかった。 「…………」  俺の服の腕を無言で掴む者がいる。ヴィルヘルミーナだ。  辺りはざわめいていた。  俺たちが立っている場所からは少し離れた舞台の上で、男が何やら演説を始めている。 「この会場は、『白亜の塔の徒』が占拠した。ヴォルハイム大公は、禁じられた遺構を暴き、再び世界に災厄をもたらそうとしている。我らはそれを阻止せんがため、非常手段に訴えることにした。  この会場におられる紳士淑女諸君におかれては、我々の指示に従い、おかしな真似を試みることのないように」  目の前がくらくらする。 「……ッ! おいおいおいおい!」  周囲をよく見渡すと、奇妙な男たちが俺たちの周りに集まっていた。白い長衣に身を包んでいて、覆面で顔を隠しているが、同時にこれ見よがしに武装している。サーベルなどの近接戦闘向きの武器を手にした者が多いが、中には銃を持つ者までいるようだ。  遺構崇拝者だ。  世界各地に存在する、謎めいた伝説的な存在としての遺構。遺構は災厄をもたらす存在であり、近寄ってはならないというのは共通した認識だったが、それを崇め奉る人間もいたのだ。近年の世界の激変によってその神秘性は削がれつつあったのだが、遺構崇拝者と呼ばれるのはそれを良しとせず、遺構への畏敬の念を人々の間に留めようとする存在だ。彼らの主張によると、遺構は人間の文明に崩壊をもたらすのではなく、正しい方向に向かって導いていたのだという。そして、現在の世界は間違った方向に向かっていると。  とにかく、武装した遺構崇拝者たちによって、この会場は占拠され、俺たちは人質になったようだ。どうやら俺たちは、とびきりの悪運、いや、変な運勢に恵まれているらしい。 「お待ちくださいませ!」  鋭い声が会場に響く。 「ちょ……待てよ!」  俺も声を上げるが、声の主は今は俺と少し離れていて、引き止めることはできなかった。  ヴィルヘルミーナだ。演説していた首謀者と思しき人物に歩み寄り、何事か言おうとしている。 「この会場のお客様を人質に取るのは、少し待っていただけませんこと?」  何を言っているのか、この女は。 「何を言っている?」  首謀者も同じことを思ったようだった。 「こちらにいらっしゃる紳士淑女の皆様方は、わたくしがお招きした賓客です。お客様に失礼があっては、女主人の沽券に関わりますわ。ですから、お客様はお返しになって、わたくし一人を人質に取ってくださいませ」 「……その気概は買うが、残念ながら。お嬢さん一人では、人質としての価値が薄い。人質ごと始末されても不思議はない。だから、ご提案に乗るわけにはいかないな」  そう返事する男に、ヴィルヘルミーナは胸を張る。 「あーら、人質の価値なんて! わたくしを誰だと思っているのかしら。わたくしはリンスブルック侯爵家息女、ヴィルヘルミーナですわ。これ以上の人質なんて、望むべくもございませんことよ! それに」  そこまで言って、ヴィルヘルミーナはふっと、余裕の笑みを浮かべる。 「それに?」 「人質をたくさん抱え込んでも、身動きが取れなくて、いずれは追い詰められるだけでしょう? 価値の高い少数の人質の方が、あなたがたの目的には適っているのではないかしら」  そんな風に堂々と交渉したヴィルヘルミーナの言葉に、首謀者の男も納得したらしい。  展示会の客は徐々に解放されていく。重苦しく不安げな彼らだが、恐慌状態を起こしてはいないのは、ここを占拠した彼らが人間集団の扱いを心得ているということだろう。戦闘能力までは俺には分からないが、決して油断できない奴らだという印象を俺は受けた。  人の流れとは反対に、俺は歩いていくことにする、ヴィルヘルミーナの方に向かって。 「俺も入れてくれ。人質に」 「ヨハン!」  こちらに向かって叫ぶヴィルヘルミーナに、怪訝な視線を向ける首謀者。 「何だ貴様は? お姫様を守る騎士のつもりなら、残念だが」  俺は自分の片足を示して見せる。 「俺は義足だよ。飛んだり暴れたり、それどころか走ることすら覚束ないから、あんたらにとっちゃ危険な存在じゃない。安心してくれ」 「ヨハンまで、残ることなかったんですのに」  後ろの方から、ヴィルヘルミーナの声がする。  俺たちは結局、会場の奥の方に移動させられて、椅子に縛りつけられ、背中合わせにされている。こんな状態でいつまでもいることはできないと思うが、催した時は監視付きで連れ出してくれるらしい。俺はともかく、ヴィルヘルミーナはどうするのか、こいつらの中にも女がいるのか、これからの数時間について考えると、あまり考えたくはないイメージが浮かび上がってくる。 「……アリーシャには、あんたのお守りを仰せつかってるんでね。ここであんたを置いて一人、尻尾巻いて逃げ出したら、アリーシャに締め殺されかねない。あの女だったらやるね」 「勇敢ですのね。ヨハンは」 「んなこたないな。俺は戦えないし、戦いたいと思ったこともない。ああいう連中の勇敢さには及びもつかないな。……リヒャルト様や、エックハルト様なんかの」  その時だ。 「……あら?」  ざわざわとした空気にヴィルヘルミーナが気がついた。  今までの白服の連中とは違う、黒ずくめの集団が入ってきていた。黒い上着の下は身軽な服装らしく、また覆面を付けている。猫のように足音を立てず、隙のない身のこなしで、白服たちよりさらに油断ならなさそうだ。 「増援……か?」  俺は掠れ声で呟く。戦闘慣れした集団が彼らの仲間に加わるとすると、早期救出はさらに覚束なくなる。  黒服たちの真ん中にいるのは、端正な雰囲気、すらりとした背格好の男だった。  覆面をしていて、髪も帽子の中に入れているので分かりづらいが、見えている部分だけでも相当な美男子と分かる。  その立ち姿、その金色の目。  エックハルト……様、だった。  人違いかもしれない。  俺はその人物に目を凝らすが、彼はこちらに注意を向けようとはしてこない。白服の首謀者と、くぐもった声で何やら談判している。移送がどうとか、逃走経路がどうとか、そんな話をしているようだった。  聞き取りづらいが、エックハルト様の声だった。 (エックハルト様が、遺構崇拝者の仲間?)  そんな風に俺は考えていたかもしれない。  やがて、彼の仲間と思しき黒服たちが、俺とヴィルヘルミーナのところにやってきて、縛られていた椅子から解いて立ち上がらせる。  その男は俺の耳元で、小さな声で囁いた。 「ヨハン様。ヴィルヘルミーナ様。お迎えに上がりました」
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