7章9話 救出劇と、侯爵夫人 *

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7章9話 救出劇と、侯爵夫人 *

【新帝国歴1135年12月30日 ヨハン】 「ご苦労様でした」  それがエックハルト様の、労いの言葉だった。 「…………」  俺は脱力して、ソファに座り込む。  エックハルト様は、公宮で見かけるよりは身軽そうな戦闘服の姿で、だが染みも皺もない、パリッとした恰好をしていた。  一方の俺は酷いものだ。丸々一晩着の身着のままで過ごし、今は安全な場所にいるとはいえ、縛られていた時に縒れた跡がシャツにもくっきり残っているし、髪の毛はいつもに増してぼさぼさだ。  立てこもりの発生から、一日後の話だ。  俺は今は、ヴォルハイムの宮殿外郭の兵舎、その一室にいた。冬の弱い光の、それでも晴れた空が窓の外には広がっている。  つまり、俺たちは救出されていた。  その後の顛末だが、救出に当たったのは、遺構崇拝者の仲間のような顔をして占拠された会場に入り込んだ、エックハルト様とその配下の者たちだった。エックハルト様は最近の遺構崇拝者の不穏な動きについて察知しており、内偵活動を行っていた。その甲斐あって自分を彼らの仲間と信じ込ませることに成功していたとのことだ。  また今回は、公爵の護衛としてランデフェルトの精鋭部隊員がこのヴォルハイムに入っていて、それが幸いした。彼らは身軽さを旨としていて、都市戦闘に長けているため、こうした任務には最適とのことだ。だけど、俺たちに危険が及ぶことを避けるために、しばらくは白服の仲間のふりを続けていたということだった。 「……どうして、教えてくれなかったんですか」  これが、やっと俺の口から出てきた言葉だ。 「聞かれませんでしたからね。敵を欺くにはまず味方から、とも言いますし」  しれっとエックハルト様は答えて、それから続ける。 「数ヶ月の内偵活動が水の泡ですが……ヴィルヘルミーナ様の身の安全と事業の成功より優先されることなど、何もないですから」 「へえ……」  俺は感想になっていない、気の抜けた感想を漏らすが、ふと、あることを思い出す。 「……エックハルト様は、遺構の探索には疑問があったんじゃないんですか」  七人委員会でのエックハルト様との会話に、俺はまだ引っかかっていたのだ。だから、エックハルト様を目撃して救援と思わず、遺構崇拝者の仲間なのかと思ってしまったのかもしれない。 「疑問は常にあります。ですが私は、別に遺構を崇拝してはいませんから。……まあ、私のことはいいんです。それよりも、ヴィルヘルミーナ様のことですが」 「そうだ、ヴィルヘルミーナは?」  ようやく俺は、そこまで気が回る。同じく救出されたヴィルヘルミーナだが、その後は別の部屋に通されて、それ以来顔を見ていない。 「今は、ご家族と一緒にいらっしゃいます。リンスブルック侯爵殿下もお喜びでした」  俺はやっと思い出す。即位式に合わせて、大公国にヴィルヘルミーナの父親、リンスブルック侯爵殿下も訪れているはずだった。面会するのは展示会を成功させてからとヴィルヘルミーナは息巻いていたので、まだ再会とは相成っていなかったのだ。 「これで、全部うまくいくといいな。……じゃあ、俺も帰っていいですか」  ぼそっと呟いてから、エックハルト様に尋ねる俺。 「その前に。あなたにお会いしたいという方がいらっしゃいます。ヨハン殿」 「お会いしたい?」  俺は顔を上げる。  気が付かないうちに、この部屋には別の人物が入ってきていた。女性で、上半身には装飾の施された黒いケープを纏っているが、その下から除くのは裾が大きく広がった金茶色のドレスで、彼女が身動きするたびにそれにつれて光沢が変化する。またレースのヴェールを纏い、また扇子で顔を半ば隠しているが、結い上げた見事な銀髪に色白の肌と、おろしたての銀貨のような灰色の眼がそこから覗く。正真正銘の貴婦人の外出着という風情で、体は大きくないものの、その身に備わった威厳は、この薄暗い部屋にあって男たち二人を圧倒するようだった。 「あなたが、ヨハンですか?」 「そうです、彼が」 「わたくしは、彼に聞いているのです」  女性とエックハルト様はそんなやりとりをしている。彼女の声、大人の女性らしい抑制とともに、どこか厳しさが混じっていないように感じないこともない。 「……はい。ええと、どなたでしょうか?」  さしもの俺も自然と背筋が伸び、丁寧な口調になる。俺の質問に答えたのはその婦人ではなくてエックハルト様だ。 「ヘートヴィヒ様、リンスブルック侯爵夫人です。ヴィルヘルミーナ様のお母様ですよ」 「!!」  その言葉に、俺はただ無言で身じろぎするしかできない。  つまり、ヴィルヘルミーナの親だ。  この展開は予想すべきだったのかもしれない。今まで俺たちはずっと、家出お嬢様の好きなようにやらせていた、ランデフェルトで面倒を見るからということで。だが、親の立場からしたら心配でないはずはない。そうすると、ランデフェルトでの生活実態が問題になる。つまり、俺みたいな怪しげな身分の男が周りをうろちょろしているのは、本当にまずい。俺の身の証が通用するのは、せいぜいランデフェルト公国内での話だ。 「…………」  俺は一度頭を抱えて、考える。あんな差配で俺を今、窮地に立たせているアリーシャへの恨み言は、まあ後でもいい。それよりも問題はヴィルヘルミーナで、俺の対応次第で彼女の立場が悪くなったら可哀想な話だ。 「ヘートヴィヒ様。あの。一言よろしいでしょうか」  俺はもう一度姿勢を正し、彼女の方に向き直る。もしかしたら床に膝を付くべきなのかもしれないが、義足の俺はそんなに起用には動けないのだ。 「ええ」  俺は深呼吸して、それから話し始める。 「……彼女を、あまり責めないでいただけますか。ええと、ヴィルヘルミーナ……様、を」 「あら」  ヘートヴィヒ様は興を覚えたように語尾を上げる。どうやら、俺の話を聞いてはもらえるようだ。 「彼女はきっと、証明したかったんだと思います。この地面に自分の足で立って、自分の力だけで何ができるのかを。他の連中……方々も、それに助力をしないではなかったですが。それでも、ここまでの達成が出来たのは、彼女の意志と活力ゆえです。そして、彼女はそれだけのために、今まで頑張ってきました。他の何に対しても、誰に対しても脇目を振ることなく。それは、本当に困難なことです。それは、たとえ男であったとしても。彼女は女性ですから、なおのこと難しいことだと思っています」 「…………」  ヘートヴィヒ様は言葉を差し挟むことはなく、俺の話を聞いていてくれる。これで良いのだろうか。考えつつ俺は続ける。 「ですから。今回危険な目には遭いましたが、それは彼女のせいではありません。今後はこんなことがあってはなりませんが、彼女の安全には一層の配慮をして……」 「ヨハン。いいかしら?」  ヘートヴィヒ様は手にしていた扇子を畳みつつ、俺の方を見下ろす。 「……はい」 「いろいろ誤解をなさっているようなので、まずはそれを解いて差し上げますわ」 「はい。……誤解、とは。なんでしょうか」 「そうね、まずは……わたくしたちのような国家元首の係累、とくにその娘の在り方について」  そういえばそうだ、国家元首の娘。俺は彼女をお嬢様と考えていたが、それは広い意味でいいとこのお嬢さんというだけの女性に向けられる呼称で、ヴィルヘルミーナにその呼び方は相応しくない。その身分を考えれば、お姫様と呼ぶべき存在だ。  そんな俺の思考を読み取ったのかどうか、ヘートヴィヒ様はこんな説明を続ける。 「そうね、お姫様。お姫様には宿命があるの。敵意に満ちた人々の只中にあっても、背負う名と責務に相応しい振る舞いをすること。結婚もそうだし、たとえ戦場であってもそう。女の身で武を誇ることはできませんから、生まれながらにして人の上に立つ者であると、姿勢一つで示さねばならないの。たとえ嫌な思いをすることになっても、得られるのが称賛でなかったとしても、お姫様は誇り高くあらねばならないの。ヴィルヘルミーナはそれが嫌で飛び出していったようだけど……今回は、リンスブルックの家名に恥ずかしくない振る舞いができたようね」 「彼女は……彼女は」  俺は言い淀み、それから言葉を探す。 「ヴィルヘルミーナ様は、恥ずかしい振る舞いなどしたことがありません。いつでも、どんな時でも、誰に対しても。ですから、どうか彼女を」  一応俺は、俺の身の潔白も証明しなければならないのだ。ヴィルヘルミーナに対しての。よりによってその母親相手に何と言っていいのか分からないが、一応流れはできたような気がしている。 「ヨハン。あなた、先走る癖があるようね」 「……申し訳ございません」 「我が家のことは我が家のこと。リンスブルック侯爵がどんな判断をされるか、わたくしにも決定権はありません。ですが、あなたが終始騎士として振る舞い、彼女の安全に配慮してくれたことはきちんと把握しておりますわ」  そんな形で、ヘートヴィヒ様は話を締めくくった。  俺は肩を落とす。これでなんとかなったらしいが、もしかしたらヴィルヘルミーナはこの後家族の元に去り、俺とは二度と会うこともないのかもしれない。 「……彼女に、よろしくお伝えください。私、ヨハン・エードラー・フォン・ヴェーバーから」  ヘートヴィヒ様は俺の言葉には答えず、部屋の中をつかつかと、数歩歩き回る。それは、何か考え事をしているときのヴィルヘルミーナの仕草とそっくりだった。 「……なるほどね。理解しました」 「理解とは?」  それを訪ねたのは、俺ではなくてエックハルト様だ。そういえば、この男の存在を俺は忘れていた。そこでヘートヴィヒ様は、初めて笑顔を見せる。と言っても満面の笑みではない、何か含みのありそうな、謎めいた貴婦人の微笑だ。 「ヴィルヘルミーナなのですけど。……今は寝込んでいます。この建物の別室で」 「!!」  俺は思わず立ち上がる。俺は今では無駄に背が高い。背筋を伸ばして人と対峙すると威圧的になりかねないので、ついつい猫背になる癖があるぐらいだ。 「と言っても、心配はなさらないで。人質になっている間は気を張っていたけれど、今は気が抜けてしまったのでしょう。強い子ですから、そのうち元気になると思いますわ」 「……ありがとう、ございます」 「あの子はずっと呟いていました、うわごとのように。あなたに申し訳ないと。『ヨハンはあの足だから逃げることができないのに、わたくしのために巻き込んでしまった』と、そんなことを」 「…………」  俺は想像する、その姿を。しおらしい姿などほとんど見せたことのないヴィルヘルミーナだが、そんな感情がないわけでもないのだろう。特に今回は身の危険があったことで、彼女も俺も、こんな経験は今まで、したことがないのだ。 「それから、こんなことも。『ヨハンはわたくしのために木に登ってくれたのに、その足を失ってしまった』とも。どういう意味でしょうか?」  そこで眉を顰めてヘートヴィヒ様は、俺の方に視線を投げかける。 「ああ……それは」  俺は頬を掻き、思い返す。あの公開実験の直前に、俺がヴィルヘルミーナの悪戯にちょっとだけ協力してやった時の話だ。しかし、そんな昔のさもない話を、この貴婦人にどうやって説明していいか分からない。  にしたって、と俺は思う。いいとこのお嬢さんらしくないと常々思ってはいたが、木に登ってくれたなんて言い方は、年端も行かない田舎娘と大して違いがないではないかと。 「まあいいわ。ですが少々妬けますわね。母親としては」 「どういうことでしょうか?」 「わたくしが傍にいるのに、あなたの話ばかりしているのですもの。とにかく、あの子に安心してもらうために、母親自らあなたの様子を伺いに来たというわけ。ご理解いただけましたかしら?……それから、ヨハン」 「はい」 「ヨハン・エードラー・フォン・ヴェーバーと言いましたね。あなた、アリーシャ様の係累ですね。そうでしょう」 「……はい、その通りです」  俺の口調はまるで、悪事を看破され、観念した者のようになる。俺の姉、今では公妃のアリーシャ。婚約解消、からの、あの大立ち回り。その件がそして、また浮上するのだ。 「わたくしとしては、心の底から納得はしていなかったのです、物事の成り行きに。ですが、今日のことで理解しましたわ」 「納得……」  俺はまた言葉を失い、それを探す。今日はなんだか、言葉を失ってばかりだ。 「ですから……わたくしのことも、よろしくお伝えくださいな。アリーシャ様に」  そう言って、ヘートヴィヒ様は俺に向かい、優雅に微笑んでみせるのだった。  それから彼女が立ち去った後も、俺はこの出来事に圧倒されて、無言のまま何度も自分の顔を両手で擦っていた。  あれこそ真の貴婦人というものなのかもしれない。アリーシャも今はそれらしく振舞ってはいるが、立場に相応しい振る舞いが板についているとはまだまだ言いかねる。いつかはあの姉も、国家元首の伴侶として、完璧な振る舞いができるようになるのだろうか。それから、俺もその係累に相応しい振る舞いができるようになるのか。それは今の俺には、まだ分からないことだった。
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