1 春休みにて

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1 春休みにて

 私はそれを見て、固まった。  全体がオレンジ系で、ところどころ赤のメッシュが入ってる、跳ねた髪。の、男子。その特徴的な髪をした男子が、ここで──この地域で一番大きな図書館の自習席の一つで、ウチの学校の教科書に見える本を開き、ノートに何か書いていた。  ……あの、学年一素行が悪いと言われてる『橋本涼(はしもとりょう)』が、勉強してる? これは、幻覚?  と、橋本がふと手を止め、後ろへ──その場に固まっていた私へ顔を向けた。  やばい、見られた。視線がバッチリ合ってしまった。ど、どうしよう……?! 「…………」  そしたら、橋本は目を見開き、次には顔をしかめ、立ち上がる。そして、これが幻覚でなければ、いわゆるガンを飛ばすというものだろうか。キツイ目をしながら、橋本は私に向かってきた。  逃げたい。けど、足が動かない。動けない。逃げられない。 「……、……」  身長が180近くあるという橋本に目の前に立たれ、私はそれを、見上げざるを得なくて。 「……な、なにか……?」  一応、愛想笑いとともに言ってみる。人の礼儀として。 「……あー……」  橋本は少し斜め下を向き、頭をかき、私に顔を向け直して、 「……河南(かわなみ)の、特待生の、成川(なりかわ)、だよな」 「そうですけど……?」 「ここ、に、勉強しに来た?」 「はい……」 「……あー……その……俺、同じクラスの橋本ってんだけど」  知ってます。というか、なんなんだ、この会話。 「あのさ、……片手間でいいから、勉強、教えてくんねぇ?」 「……え」 「いや、ホント、マジ、時々分かんねぇとこ質問するくらいだから。……頼む」 「っ?!」  あ、頭を下げた?! 不良が?! じゃない! 「そ、そんな頼み方しなくていいです……! 分かりました、教えます、教えますから頭を上げてください!」  小声で叫ぶ。そしたら、橋本は素直に顔を上げて。 「ありがと。マジ助かるわ」  と、私に笑顔を向けて、安心したように言った。  ◇  私の名前は成川光海(なりかわみつみ)。  身長156cm、体重、今のところ、標準。染めたことのない黒髪は肩下辺りまでで、見た目の特徴は、これといってない。そして、今年の春、私立河南(かわなみ)学園の高校2年生──に、なる予定。予定っていう言い方なのは、今は春休みで、私は1年でも2年でもないから。  そんな私の、唯一と言っていい、それなりに自慢できることが、勉強ができること。私は家のことや将来のことを考え、河南への進学を決めた。  河南学園は偏差値が高く、勉学・スポーツ・芸術面なんかで優秀な生徒の優遇措置を取る学園だ。学費を減額、また免除したり、独自で奨学金を出したり。他にも色々。私は、その学費免除と奨学金──だけじゃないけど──それを目当てに、この学園に入った。少ない特待生受験枠を、私は中学で貯めた内申点で勝ち取り、面接と試験と小論文に立ち向かった。スポーツ推薦の人とかだと、また違うけど。そして、中学3年の夏休みの終わり、合格通知を受け取って、無事、優遇措置を受けられる特待生になれたのだ。  特待生──私の場合は勉学枠の特待生──は、学園内で普段の素行を良くし、定期テストで毎回総合10位以内に入り、総合成績も特待生用に決められた水準を保つこと、と決められている。テストの順位や成績が高ければ高いほど、奨学金などの優遇措置も、高く多くなる。私はテストでは毎回5位以内を目指して、他の成績も体を壊さない程度に高水準を保つ努力をしている。そしてそれは、今のところちゃんと達成されている。  この学園に入れてよかったと思う。私の家は、長女の私を含めた5人きょうだい、母と父、母方の祖母と祖父、今年で3歳のサモエド犬のマシュマロの、9人と一匹の家族。今時珍しい大家族なのだ。──大家族だから、お金がかかる。私はお金がなるべくかからない高校として、そしてあわよくばお金を貰えるアテとして河南を選び、入学した。そして、ほぼ、勉強とバイトに明け暮れる日々を送った。体を壊さないように息抜きもしてるし、高校で友達も出来たので、結構充実してると思う。  けど、そんな充実した日々、の隙間で、時々、ひやっとする思いをする。  まあ、どこもそんなものだとは思うけど、河南にも、素行の悪い生徒がいる。有り体に言えば、不良である。不良のグループとかである。そこには当たり前に、橋本がいる。  橋本とは同じクラスだったけど、橋本を教室で見かけることは珍しく。出席していても寝ているか、あからさまに『受けていない』という態度を取る。体育祭や文化祭なんかの行事も、まともに関わらない。先生に授業態度を指摘され、逆ギレして怒鳴ったり、机を蹴倒したり、教室を出ていったり。上級生に呼び出され、逆に返り討ちにしたとか。他校の生徒と喧嘩したとか。良い噂を聞いたことはない。で、そんな人間が、同じクラスな訳で。ひやっとしないなど、無理である。  私は、『不良カッコイイ……!』などとは思わない。中学にも素行の悪い生徒がいたけど、そういう人たちは私のような、ハタから見ればいわゆるガリ勉を馬鹿にするのだ。実際、馬鹿にされていた。未だにこう、怒りが沸々と湧くくらい馬鹿にされた。  全ての不良が、人を馬鹿にする人種だとは思っていない。けど、正直言って、関わりたくない。距離を置いていたい。私は平和に過ごしたい。  そう、思っていたのに。  ◇ 「……そこは、この公式です」 「これか。分かった」  右利きらしい橋本の、左の席に座った私は、努めて冷静に、時折される質問に答えていた。橋本は本当に、勉強をしているらしい。  けど、気になることがある。橋本は本当に、今の数式についてもだけど、理解しながら勉強しているのだろうか。  ここまで何回か質問されたけど、そのあといつも、「これがこうで……? で? 何? なんなん? ……チッ」というような声が、小さく聞こえるのだ。  大丈夫なのか? 「これ、は、……なん?」 「……」 「……チッ」 「……」 「……、……クソが」 「……あの、橋本さん」  私は耐えきれなくなって、声をかける、という選択を取ってしまった。というか、声と進捗が気になって、自分の勉強に集中できない。 「あ゛? ……あ、わり、何?」  一瞬ガンを飛ばされたが、私は「ちょっと失礼します」と言って、橋本へ少し椅子を寄せ、なんでかビクッとした橋本の態度をスルーし、見えなかった橋本の手元に目を向けた。 「……その、ノートの内容について、聞いてもいいですか?」  開かれているノートの、文字や数式がいくつか書かれた所に、その上からぐしゃぐしゃと、消し潰すようにシャーペンで線が引かれていた。 「…………」  橋本は、答えない。 「さっきの式、解けました?」 「…………」 「その前の問題は?」 「……チッ」  橋本は勉強道具を纏めだし、リュックに乱雑に仕舞うと、 「悪かったな。バカで」  と言って、リュックを背負う。完全に帰る気だ。 「バカにしてるんじゃありません。確認していたんです」 「あっそ」  一歩踏み出した橋本のリュックを、私は掴む。橋本の足が止まる。 「……離せよ」  背中越しに睨まれ、ドスの効いた声で言われたが、私はこう言ってやった。 「橋本さん。あなたは言いましたね。私に勉強を教えてほしいと。そして今、ここまで、私はあなたに勉強を教えられてなかったらしいです。席に戻ってください。分からないところ、もう一度一から教えます」  そしたら、橋本が目を見開いた。 「……俺、マジで馬鹿だぞ」 「教え甲斐がありますね。さあ、戻って」 「…………」  橋本は苦い顔をしながらも、さっきの席に戻ってくれた。  さて、ここからだ。 「で、橋本さん。そもそもですが、何をどこまで理解したいんですか?」  椅子の位置をそのままに、聞く。 「……現文と、数Ⅰと、英語、の、年度末試験の範囲」 「……なぜ、今」  今は春休みだ。年度末試験など、とっくに終わっている。 「……なんでもいいだろ。ともかくその範囲なんだよ」 「……分かりました。今現在、どの程度理解しているんですか?」 「…………」 「答えないなら、全ての範囲を教わることになりますよ?」 「……願ったり叶ったりだ」 「はい?」 「なんでもねぇ。で、どうすりゃいい」  開き直ったのかなんなのか、リュックから教科書やノートを出し始める橋本。 「何点くらい取れてました? その中で得意な科目は?」  聞いてから、ふと思い至る。橋本を、年度末試験の日、教室で見かけた記憶がない。 「……そもそも受けてねえ」  記憶の通りだった。 「全部補修。そもそも、筆記で得意なのなんてねぇよ」 「……場所を変えましょう」 「は?」 「個室の学習室を借りましょう。それなら気兼ねなく声も出せますし、個室ですからリラックスして勉強ができます」 「……は?」  私は唖然としている橋本をそのままに、自分の勉強道具を一旦片付けると、 「ほら、カウンターに、借りる話をしに行きますよ」  と、自分のトートバッグを持って言った。
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