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120 新年度の始業式前
「やっぱりマリアちゃんとだけ別……悲しい……」
桜ちゃんが、クラス表が貼られた掲示板を見て、悲痛な声を出す。
「そうだね……私も悲しい……」
それに同意する。
今日は、始業式の日だ。
3年生になった感慨より、そっちの寂しさのほうが大きい。
「まあ、Cなのは事実だし、その気持ちは分からなくないが」
マリアちゃんは、冷静にそう言うけど。
「でもマリアちゃん。私もみつみんも橋本ちゃんも高峰っちもBで、マリアちゃんだけCなんだよ? 私、疎外感ハンパない」
「桜ちゃんの気持ちが分かる……」
「桜はともかく光海、橋本と同じクラスなんだから、それを嬉しく思ったらどうだ?」
「光海は友達思いだしな。同じクラスになれて嬉しいってのは、春休みの間にちゃんと聞いたし」
後ろにいる涼は、そう言って。
「高峰はどう思うよ?」
「どう……まあ、寂しい気持ちも分かるし、嬉しい気持ちも分かるよ」
「まあ、なんだ。2年の時みたいに、休み時間とかに集まるか」
マリアちゃんがそう言ったところで、
「(光海先輩、どこに居ます? てか、聞こえてる?)」
中々の声量のロシア語が、後ろのほうから聞こえた。
「あー……橋本、警戒対象の子だね」
高峰さんのそれに、
「ホントに積極的だな。あれ、ロシア語か?」
涼が言いながら、流れるように私のお腹に腕を回して、引き寄せる。
「聞き取れたんですか? 涼」
上を向いて、涼の顔を見ながら聞くと。
「お前の名前は聞き取れたよ。何言ってるかまではちょっと分かんねぇけど。お前のプレイリストに、ロシアの曲もあったしな。それっぽい発音だったし」
顔をしかめながら言われる。
涼のリスニング力、どこまで高まってくんだろ。
「すみません、通ります。(なんか声聞こえた、っと。あ、居た)光海先輩、どうも」
伊緒奈が2、3年生をかき分けて、掲示板の前までやってきた。
「久しぶり。伊緒奈」
「光海」
「へえ? (恋人? その人)」
伊緒奈が涼を見上げてから、私に顔を戻して聞いてくる。
まあ、伊緒奈も、大樹より少し低いかな? くらいの背丈だけど。
「(恋人ですよ。それに伊緒奈、どうしてここに居るんです? 入学式は午後からですよね?)」
河南の始業式と入学式は同日に行われるのだ。始業式が午前で、入学式は午後。
だから、新1年生の伊緒奈は、少し目立っている。
「(いや、光海先輩の連絡先、聞き忘れたなぁって。入学式までは図書室で自習しようかと思ってたし)」
「(そうですか……)」
連絡先、ね。
「(光海、俺にも分かる言語で話してくれ)」
涼のフランス語が、上から降ってくる。
「(私の連絡先を知りたいそうです。だから顔を出したと)」
「(へえ、その人、フランス語話せんだ?)」
伊緒奈が挑発するみたいな顔をして、フランス語で言ってくる。
「(……お前、あからさまだな。光海、連絡先教えんな)」
涼の声に、苛立ちが混じってる。
「(それ、アンタが決めること? 恋人を大事に思うのは良いけどさ。束縛しすぎると嫌われるよ? ねえ、光海先輩)」
伊緒奈が涼へ、あまり良く見えない笑顔を向けて、私へ、にっこりとした笑顔を向ける。
なんだろう。姿も声も違うのに、なんか、五十嵐を思い出すな。雰囲気がなんか似てる。
そんなことを思ってたら、桜ちゃんとマリアちゃんと高峰さんが、私たちの間に立った。
「はいはい。雰囲気しか掴めないけど、そこの1年らしい君、あんまり派手に動くと、入学初日から印象悪くなるよ?」
桜ちゃんがそう言って。
「そうだな。少し、冷静になったほうがいい。周囲に迷惑をかける前に」
マリアちゃんも、そう言って。
「下野くん。特待生なら、普段の素行は良くしないと、減点されるよ?」
高峰さんのその言葉に、
「これ、減点対象なんですか? 頼りになる先輩に、頼ろうとしただけなのに」
伊緒奈は不満そうな顔をする。
「頼り方にも節度を持とうね。それに、特待生として頼るなら、僕も力を貸すよ?」
伊緒奈は不満そうな顔のまま、肩を竦めたあと、
「……なら、貸してもらいます。あと、光海先輩の彼氏さん。あなたの連絡先もくれません?」
「は? なんで」
「あなたともお近づきになりたいんで。(アンタも俺のこと、知りたくない? 光海先輩をどう思ってるかとか)」
そのフランス語に、
「(……いい度胸してんじゃねぇか。乗ってやるよ)」
……。えーと。これ、修羅場ってヤツですか?
◇
伊緒奈は、高峰さんと涼と、ラインで繋がって、
「(じゃ、光海先輩。アンタのもそのうちもらえるよう頑張るよ)」
笑顔と、そのロシア語を置き土産みたいにして、去っていった。
「光海。ロシア語も教えてくれ。自力でも頑張るけど」
「良いですけど……伊緒奈、ロシア語とフランス語以外にも、色々話せますよ?」
「さすが特待生だなクソが」
涼が舌打ちした。
「橋本、抑えて」
「これでも抑えてんだよ」
そこで先生の声がかかって、私は涼に捕まえられたまま、第二体育館へ行くことになった。
そして、始業式を終えて、教室で新しい担任の先生の言葉をもらって、解散。
私はそのままバイトだけど、その前に、涼に渡すものがある。
「涼。……涼? どうしたんですか?」
涼の席へ行けば、スマホの画面を睨みつけていた。
「……アイツ、人を煽るの、中々上手いな」
「橋本、大丈夫?」
「へい。力になんぜ」
そこに、高峰さんと桜ちゃんも合流。
「まあ、力、本当に切迫した時は借りるわ。今はまだ大丈夫」
涼はスマホを操作して、画面を閉じる。
「悪い、光海。なんだっけか」
顔を向けられて、
「あ、ああ、あの、追加のハンドクリームです」
私はカバンから、無くなりそうだからと頼まれていた、ティートリーとローマンカモミールのハンドクリームが入った箱を取り出して、涼に差し出す。
「……そうだった。悪い、ありがとう、光海」
受け取った涼の顔が和らいでくれた。良かった。
「それで、私はバイトに向かいますが……涼、どうします?」
今日の涼は、これからカメリアで雑用──仕事を教えてもらう予定だ。
涼は、リュックに箱を仕舞いながら、
「送る。帰り道だし」
と言った。
◇
「涼、人を煽るのが上手いみたいなこと言ってましたけど、誰から何が来たんですか?」
電車の中で、聞いてみる。
涼は前を向きながら、
「(……下野からな、ラインが来てた。フランス語とロシア語で。フランス語でさ、このロシア語の意味が分かるかって。ちょっと悔しかったけど、今の俺にはロシア語、分かんねぇし。そんで、コピペして翻訳したら)」
『分かった? 翻訳アプリとか使った? まあどっちでも良いけど。光海先輩に恋人がいるって分かったの、ある意味収穫だよ。これからよろしく、橋本先輩』
「(みたいな文章が出てきてな。まあ苛ついたけど、一応、年上の対応として、こっちこそよろしくって送ったわ。韓国語で)」
それは大人な対応か?
「(……なんというか、お疲れ様です。これからカメリアのお仕事、大丈夫ですか?)」
「(大丈夫。切り替えるから。光海がそう言ってくれるだけで、めっちゃ嬉しいし)」
握っていた手に、力が込められて。
「(光海は絶対渡さねぇ)」
……本当に大丈夫か?
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