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4 腹が立つ
「……」
その文面が表示されたスマホの画面を見つめ、というより、もはや睨みつけ、
「……」
それを閉じ、スマホをベッドへ放り投げ、オレンジに赤メッシュの髪をかき回し、
「クソが」
橋本涼は、誰にも聞こえないだろう声量で、呟いた。
進級が確定した時点で、礼を言うどころか、『免れた』の一言すら、伝えられなかった自分に腹が立つ。
勉強を見てもらったことを祖父に見抜かれ、それを黙っていたことには何も言われず、礼をしていないことのほうを叱られ、
『ちゃんとお礼は言いなさい』
と差し出されたそれを──祖父が作ったそれを、暴言を放ってふんだくるように手に取ってしまった自分に腹が立つ。
目も合わせず、誠意など欠片もないような態度で渡した自分に腹が立つ。
だというのに、
『マドレーヌありがとうございました。美味しかったです。家族もみんな美味しいって言ってました』
それを見て、心が揺らいだ自分に腹が立つ。
もう関わらないと決めたのに、一人でやってやろうと決めたのに、頼ってしまったことに、腹が立つ。
断られることを恐れた自分に腹が立つ。
断られなかったことに安心してしまった自分に腹が立つ。
腹が立つ。腹が立つ。腹が立つ。
「ガキかよ」
吐き捨てるように言って、けれど、やり直すと決めたのだからと、橋本涼は、中断してしまっていた学校の課題に取りかかった。
◇
「橋本さん。ちょっと聞いてもいいですか」
「……何を」
図書館の学習室で、少し休憩、と言ってから。
聞くか聞くまいか迷っていたそれを、私は口にすることにした。
「分からない部分を、先生や他の人に聞いてみたりは、しましたか?」
ペットボトルに口をつけかけ、止まり、顔をしかめた橋本の返事を、一応待つ。
「……してねぇけど?」
結局お茶を飲まずにキャップを閉めた橋本から、苛立った声が返ってきた。
「そうですか。今後、そのつもりは」
橋本は、盛大に舌打ちをして。
「俺の言葉に耳貸す奴が、いると思うか」
「私は一応、貸しているつもりですが」
苦い顔になった橋本へ、言葉を続ける。
「橋本さん、あれからも勉強を続けてますよね。授業にも出てますし。春休みの時より理解が深まってるのが分かりました。それにそもそも、勉強についていけないと、私に声をかけましたよね。学ぶ意欲があると、私には思えるんですが」
「……だから?」
「この速度で勉強を続けたいなら、それでも構いません。ですが、なるべく早く今の範囲に追いつきたいなら、私も出来る範囲で補助しますので、他の手段も考えてみてはどうか、と」
橋本はペットボトルを握ったまま、両肘をついて手を重ね、そこに、うつむくように頭を置いて、長く息を吐いた。
私はそれをそのままに、水筒を取り出し、紅茶を飲む。
そのまま10分くらい過ぎて、けど橋本が口を開く様子はなく。
「さっきの話は一旦忘れましょうか」
橋本の反応は無し。
「勉強、再開しますか? もう少し休憩しますか? もしくは、これからの計画を考えますか?」
「……急に、なん? 計画て」
橋本の姿勢は変わってない。けどまあ良いかと返事をする。
「勉強の日取りとか、時間とかの計画ですね。私も橋本さんも、それぞれ生活がありますから。あらかじめ日時を決めておく、というかすり合わせ、ですかね? とかをしたほうが、お互い、やりやすいかと」
「……ハッ……お前、まじ、……何? 家庭教師かよ」
家庭教師。なるほど。
「言われてみれば、それっぽいですね。プロではないので、どこまで出来るかは分かりませんが。お礼もしてくれるワケですし」
「あぁ、礼……」
橋本が顔を上げ、
「なに? 金?」
金て。カツアゲか? 逆カツアゲか?
「お金は別にいいです。けど、希望を言って良いのなら、この前マドレーヌを頂いたところの、カメリアのお菓子が良いですかね。お手頃なやつで」
あそこなら数百円のものもあるし、と思っての言葉だったんだけど。
「……は?」
橋本は目を丸くしてこっちを見た。マズっただろうか。
「ただの希望なので。別に、絶対それにしろという意味でもありません。あ、これ、フリとかでもないですからね」
「や、ちが、なんで、そこの、……い、や、甘いの、好きなのか」
「? 甘いのというか、カメリアのお菓子、好きなので」
「成川に、渡したの、あれだけだろ」
何を当たり前な。
「それはそうですけど。ウチ、あそこ──カメリアの、常連? みたいなものなので。誕生日とかクリスマスのケーキは、いつもそこに頼んでます。他にも色々買ったりしてます」
「……」
なんだ、橋本よ。そのよく分からない顔はなんだ? ……地雷を踏んだか? キレるか? キレるのか?
「ちょっと外の空気吸ってくる」
身構えかけたら、橋本は素早い動きで立ち上がり、部屋から出ていった。
荷物はそのままだから、戻って来るとは思うけど……や、そのまま帰る可能性もあるな。地雷踏んだっぽいし。そうなったら、カウンターに荷物預けて帰ろう。
◇
「……クッソが」
外の空気と言ってしまった手前、敷地内のベンチに座ったものの。平日だからか、それとも時間帯の関係か。人の行き来が目についてしまい落ち着けず、橋本涼は館内のトイレに移動した。
一番奥の個室に入り、鍵を締め、ドサリと座る。感情を吐き出そうとドアを蹴りかけ、ハッとして、代わりに出てきた言葉がそれだった。
たった一年で癖づいてしまった、乱暴な言動。
また、腹が立ってくる。
情けない、腹が立つ、アホらしい、腹が立つ。
「……」
過去は変えられない。分かっている。知っている。痛感してる。
だからせめて、腐ってしまった部分を削ぎ落とそうと、決めて。
「……なんなんだよお前……」
出てきた声は、掠れるほど弱々しく。
そんな自分に、腹が立つほど呆れてしまった。
◇
SNSを流し見ていて、マリアちゃんの綺麗かつカッコいい夏服の案件投稿が目に留まり、ふむ、マリアちゃんをよく分かっている、なんていう、何目線かよく分からない感想を抱いていたら。
「悪い。時間食った」
橋本が戻ってきた。
「え。あ、いえ」
戻ってきたことにそれなりに驚いて、その様子にも驚く、というより、呆気にとられてしまった。
なんだ橋本、どうした橋本。怒られてシュンとしてる時のマシュマロみたいになってるぞ。
「……まだ、時間、あるか」
「あ、はい」
頷けば、橋本はマシュマロ形態のまま元の位置に座って、
「まだ、……や、計画? すり合わせ? ……いいか」
うつむき加減に聞いてくる。
「ああ、はい。分かりました」
藪をつついて蛇を出したくはないので、マシュマロ形態については尋ねず、なるべくいつも通りを心がけ、答えた。
そして、帰り際。
支度を終え、席を立っていた私は、
「橋本さん」
リュックを背負い終わったのを確認してから、橋本へ声を掛ける。蛇に噛まれたくはないが、こういうことを疎かにもしたくない。
「なんだよ」
こっちを向いた橋本へ、
「今さらになってしまいますが、休憩の時、すみませんでした」
頭を下げ、上げて。
「不快な気持ちにさせてしまったと、思ったので。以後、気を付けます」
顔を見て、話したんだけども。
橋本の顔が歪んでいくから、結局地雷踏んだか、まあ理由も不明なまま謝られてもなと、怒鳴られる覚悟を決めて。
「別に、違う」
歪んだ顔がマシュマロへと変換され、
「おまえ、成川は、悪くねえ」
くるりと背を向けながら言われ、橋本はそのまま学習室を出ていく。
怒鳴られなかったのは良かったけど、なんかもう訳分からん、と頭を軽く振って。よし切り替えよ、と、その後を追いかけようと足を踏み出しかけ、
「?」
一歩進んだところで、橋本が足を止めて顔を向けてきた。
「どうかしました?」
「……別に」
橋本は歪みマシュマロという新形態を見せ、前に向き直り、歩き出す。
何やねんお前。心の中で、エセ関西弁が出た。
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