83 「うん」

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83 「うん」

 前を進んでいたマシュマロが、ちらちらと私たちを見る。 「マシュマロー良かったねー涼とお散歩楽しいねー」  そう言ったら、マシュマロは満足そうにして、また、ずんずん歩き出した。 「……犬の散歩って、こんなんなのか?」  マシュマロのリードをしっかり握ってくれている涼に言われる。 「こんなんって、どういうのを指してます?」 「や、……家で見るより大人しいな、と」 「そう教えてありますから。それにマシュマロ、涼にとても懐いているので、良いところを見せたいんだと思います」  マシュマロは特に吠えもせず、怯えも見せず、ちょっとテンション高めに見えるけど、姿勢良く歩いていく。 「……あと、動画もな。いつまで撮るんだ?」 「出来れば最後までと、思ってますよ。涼とマシュマロの初散歩ですから」  スマホを、涼とマシュマロが収まるように向けたまま、言う。 「はあ、そう」  涼は、分かったような分からないような、そんな顔と声になる。  どうしてマシュマロと散歩をしているか、といえば。  昨日、色々あったことで勉強の時間が取れなくなってしまい、 『私のせいですみません。涼との勉強時間を潰してしまいました』 『いや、もう、や、だからさ、謝んなよ、俺も悪かったから。あ、や、これは、今の悪いは違うからな。卑下とかじゃねぇからな』  涼の良いところを滔々と話した結果、涼はなんか、精神を疲弊させたらしい。 『分かりました。では、どうします? 今日の分は明日に繰り越します? ……そもそも、合格したのなら、今後の涼の予定はどうなるんですか?』 『ああ、それは……本格的に動き出すのは、来年からだから。今は下準備のそのまた下準備中。みたいなもん。少しは絡ませてもらってるけど、まだあんま、やること無い。フリーの時間が増えたっつー状況』 『なら、明日の勉強時間、伸ばせます? 今日の分を補うために』 『……俺はいーけど。光海は大丈夫なんか? 明日バイトあるだろ』 『午後からですから。涼に、午前中……9時辺りに来てもらえれば、大丈夫かと。お昼も良ければこちらで用意しますし、どうです?』 『……断ると思うか?』 『なら、それで』  と、いうことになったんだけど……。  涼が家に来たら、散歩の準備をしていたマシュマロが、涼と行きたいとねだってきて。  私のバイトも2時半からなので、涼に良いかと尋ね、OKを貰い、涼と私とマシュマロとで、朝の散歩に行くことになった。 「公園着いたね、マシュマロ」  尻尾をフリフリしているマシュマロに声をかければ、もっと尻尾を振ってくれる。  マシュマロは、朝と午後の2回、散歩をする。  今している、マシュマロの朝のお散歩コースは、近所にある犬OKな公園を通る、往復1時間のコース。  午後のお散歩コースは、こっちも1時間だけど、駅前を通るコースだ。 「楽しいねー涼とのお散歩。堂々と歩けてるよーマシュマロ。あ、涼、そろそろベンチが見えてきますから、そこで一旦休憩です」 「はあ、分かった」  ベンチに到着。マシュマロに休憩と伝え、素直におすわりしてくれるのを確認して、褒めてから、ベンチに座る。 「飲みます?」  散歩用のショルダーバッグから、水筒を出し、涼に差し出す。 「えー……リードは、どうすれば」 「腕に通して下さい。マシュマロは休憩だと、ちゃんと理解してますので」 「すげぇな……」  リードを腕に通した涼に水筒を渡し、暫しの休憩。 「どうも」 「いえ、ありがとうございます」  渡された水筒をバッグに戻し、 「そろそろ再開します? もう少し休憩します?」 「ああ、大丈夫。行ける」  涼にまた、リードをしっかり握ってもらって、マシュマロに休憩終了を伝え、公園をぐるっと回り、帰宅。  涼に部屋へ行っててもらい、室内に上がれる状態にしたマシュマロをリビングに連れていき、家族に託す。 「おまたせしました」 「おお」  部屋で課題をしていた涼の隣に座り、 「では、昨日の分も含めまして、始めましょう」  自分の課題を片付けつつ、涼の勉強も見る。  涼は、1年のはもうほぼ、完全に理解しているし、2年のここまでのも、中々しっかり身に付いている。 「年度末試験、確実に良い点取れますよ」  そろそろお昼、と伝えるのと一緒に、そう言うと。 「……頑張る」 「なんで顔をしかめるんです?」 「……去年の、少し、思い出した。……留年の」  留年の、を、とても小さく言う。 「涼、こっち向いて下さい」  首だけが、振り向く。まあ、いいか。 「抱きしめて良いですか?」  腕を広げて、聞く。 「……なぁんだよもうお前はぁ……!」  顔をくしゃりと歪め、抱きしめる、というより、抱きついてきた。その背中に腕を回し、ぎゅう、と抱きしめる。 「今の涼は、留年なんかしません。順位だってもっと上がります。大丈夫。一緒に3年になれる。だから一緒に、頑張ろうね」 「頑張るに決まってんだろこのヤロウ光海可愛いお前このヤロウが」   ◇  成川家の食卓で、光海の祖母が作ったというナポリタンを食べ、光海とともに後片付けをして、涼は、なんだかな、と、思う。なんだか、夢の中にいるようだ、と。  光海の部屋で勉強を再開し、教わりながらも、自力で出来る部分は自分でやっていく。  理解が深まっている、と、光海によく言われるが、本当にその通りだなと、少しだけ、思う。  このまま光海とずっと居たい。光海の居る空間に居たい。その雑念を振り切り、復習と課題に集中する。  そして、時間が迫る。勉強が終了する時間が。 「涼」 「……ん」  鈍い動きで、振り向いてしまう。終わりだと、告げられるのが、嫌で。 「そろそろ時間ですけど、ちょっと待っててもらって良いですか?」 「いいけど」  光海は礼を言い、部屋から出ていった。 「……」  まあ、なんでも良い。この空間に少しでも長く居られるなら、なんでも。  そんなことを考えながら、光海が出ていったドアを見つめる。 「おまたせしました」  戻ってきた光海は、見覚えのある箱を持っていた。昨日、見たばかりの、あの、小瓶の。 「ティートリーとローマンカモミール、作ったので、試してみて下さい。ラッピングしていなくて、そこはすみませんが」  隣に座り直し、光海は申し訳無さそうに微笑みながら、箱を自分に向けてくる。 「ティートリーには薄緑の、ローマンカモミールには白いシールを貼ってあります。それで見分けて下さい」 「………………ありがとう」  昨日、もう、これを。  そう思いながら、箱を受け取り、 「それとさ、光海」  ローテーブルに、丁寧に置いて、 「もっかい、抱きしめていいか」  光海は目を瞬いたあと、「どうぞ」と、腕を広げる。その体を、抱きしめて、背中に腕が回ったのを、認識して。  堪えきれなくて。 「(好きです大好きです愛してるお前が居ないと生きていけないやっぱこの想いどうにもなんねぇしどうにもできねぇよ許してくれ)」  抱きしめる腕に、力を込める。 「(……許す許さないとかじゃ、ないから。私も涼のこと、大好き。いっぱい言って。沢山言って。私も言うよ。大好き、愛してる、こうしてるのとっても幸せ。……時間あるなら、お店、一緒に行く?)」 「(行きたい。行く)」 「(じゃあ、決まり。一緒に行こう)」  今更、意地もクソもあるかと、涼は、思って。 「うん」  日本語で、答えた。情けなくなるほど、甘えた声になった。
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