90 『成川光海 傘』

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90 『成川光海 傘』

 あれから、涼が過保護だ。  桜ちゃんとマリアちゃんも過保護だ。  高峰さんも、過保護までいかないけど、心配してくれて。 「ソイツさぁ、もう、豚箱にぶち込めば良いと思う」  コーヒーチェーンで、カフェオレを手に、桜ちゃんが言う。 「名前も、今の容姿も分かってるんだ。早急に鉄槌を下すべきだと、私も思う」  マリアちゃんもそう言って、コーヒーを飲む。 「有り難いけど……そもそも、会いたくないんですが……」  複雑な気分になりながら、抹茶オレに口をつけた。  涼は、登下校に加えて、バイトや勉強会の送り迎えをしてくれるようになって。 『とっても嬉しいですけど。涼は新作の仕事もしてるんですよね? 足を引っ張りたくないです』  それに、涼はだいぶ渋ったけど。 『……なら、光海の家族と、百合根や三木にも頼ってくれ。高峰にも声かける』  そういう決着方法で、現在私は、外に出る際、ほぼ、誰かが付き添ってくれている。 「匿名の通報は? みつみん」 「何をどう通報すれば良いの……?」  あの日、私は特に、手を出されていないのですが。 「こういうヤツに遭遇して、暴言を吐かれた。立派に通報内容として成り立つと思うが」 「暴言……」  精神鑑定とかで、無効にされる気が、しないでもない。 「そもそも、今、生きてるのか死んでるのかも分かんないんだけど。……分かりたくないし……関わりたくないし……」 「私がやるぜ?」 「私がしてもいい」  頼もしいお言葉だなぁ。 「ありがと。けど、もう少し考えさせて。まだね、冷静になりきれてない気がするから」 「……二度あることは三度あるんだよぉ?」 「いや、一回だから。遭遇したの一回」  ◇ 「……暇ぁ……」  欠伸をしながら、部屋で、呟く。  飽きた、と、決まり文句を言って、3週間保たなかった彼女と別れ、都合のついた何人かとシてみて。  次は誰にしようかと思っていた時の、酒とドラッグのちゃんぽんロシアンルーレット。  見事にアタリを引いてしまって、ご褒美の追加ドラッグ。手に入れたばかりの新作だというそれの、効果が現れなくて、苛立った上の人が、持ってるソレを全部飲めと言ってきたから、飲んだ。  少し効果が出てきたところで、ぶっ倒した先輩に『詫び』を入れられ、反撃して、そこからはもう、乱闘騒ぎ。ドラッグの効果で頭のネジも力の加減も吹っ飛んで、勝ち抜いてしまった。  見回せば、立ってる人間は自分だけで。流石に怯えを見せてる女たちに、 『ヤる?』  笑いながら聞いて、逃げていく姿にまた笑って。 『んじゃ、帰りますわ』  そうして、その場をあとにした。ところまでは、それなりに記憶がある。  自分がいつ、ぶっ倒れたのかは、分からない。 『だ、大丈夫ですか?!』  その声に、意識が浮上して。浮上してから、意識を失っていたと理解した。  上から降ってくる声は、懐かしいバカの声で。  幻聴かな、と思いながら、名前を口にした。  相手の反応が止まって。不思議に思いながらなんとか体を起こせば、 『……成川じゃん』  幻聴でも、幻覚でもないソイツを見て、前によく見たカオに、驚きが混ざってるから。  笑ってしまった。  顔を見て、気が抜けて、倒れ込んで。  ドラッグのせいでか、日頃の行いでか、吐いた血を見て、クズな自分に、バカは手を差し伸べた。前のようにバカ真面目に、置き土産まで付けて。  中々良い気分だったのに、そのまま死ねれば最高だったのに。  死に損なって、また、クソな世界に逆戻り。  少しは行方を晦まさないと、勝ち抜いた自分は『礼』を貰うことになる。  避難所代わりの、数ヶ月振りの実家は、自分を透明人間にする。慣れてしまえば気楽なもんで、こうしてダラダラ出来ている。 「……どうすっか……」  薄緑のその縁に、白い小花が散っている、誰がどう見ても自分のではないと分かる、置き土産を見ながら、その言葉を口にする。  それはクズな自分の、胸の冷えを緩和させるモノ。  声を聞いて、顔を見て。緩和剤まであるこの状況は、腹の奥の飢えさえも、薄れさせる。  ドラッグは抜けたのに、笑えてくる。泣けてくる。  性善説がまかり通るなら、性悪説もまかり通ると、自分は思っている。  アイツは善で、自分は悪だ。混じり合うことなど出来やしない。したくない。受け入れてなど欲しくない。自分はクズのままが良い。そうでなければ、死んでしまう。存在が消滅する。 「……」  スマホを見れば、沢山のお叱りの言葉。  まあ、そろそろ、『社会復帰』しなければ。 「さぁて」  返したところで、捨てられるのがオチだろう。というより、捨ててくれないと困る。 「河南、だっけか」  バカなアイツにお似合いで、クズな自分には不釣り合いな、進学校。  そこへ、お届け物だ。  ◇ 「……涼」  それを見て、足が止まった。  ウロウロと、正門前にいる黒コート。髪型はハーフアップだけど、銀のインナーカラーが入ったあの黒髪。  ……とても、見覚えがある。 「どうした。……、……アレが、そうか?」  ソイツから目を離せないでいる私を見たらしい涼は、それで察してくれたらしい。 「捕まえる」 「えっ?」  涼が手を離して、ソイツに突進し、気付いたソイツが目を丸くしてる間に、 「は? ──だっ!」  うつ伏せの形で、地面に押し倒した。 「お前、何しにきた?」 「いったたた! なん、お前、締めるの上手ぇな?!」  聞こえる声も、この前の声。 「通報する」 「は?! ここそんな警備厳しいの?!」  その二人のもとへ、歩いていく。 「……何しに、来たんですか」 「──ウェっ……」「出て来なくて良い。下がってろ」  五十嵐は顔をしかめ、涼は冷静な顔のまま、スマホを取り出しながら言う。 「うーわ……あー……郵送にすりゃ良かった……」  五十嵐の小さな声のそれの意味と、道に落ちている、最初から持っていた何かの包みの大きさで。 「……通報、一旦、やめて下さい。聞きたいことがあります」 「通報してから聞いてくれねぇか」 「……傘、持ってきたみたいです。この人」  その言葉に、涼の手が止まり、 「わー、成川の察しがいー。……まあ、丁度いいや」  五十嵐は、うつ伏せで腕を捻り上げられたまま、涼の顔を見ようとひねっていた首を前に向け、 「その通りに、お届けもんだよ。オマエさ、バカなまんまな。名前入りのモンを俺なんかに寄越すんじゃねぇよ」 「は?」  涼が不快な声を出したけど。私はびっくりしていた。すっかり忘れていたことを、指摘されて。  ……そういや、アレ、名前のシール貼ってたっけ。小学校の時に愛流とお揃いで買って、どっちか分からなくなるからって、貼って、そのままだった。 「……それで、ここに来たんですか」 「え? 名前で? バッカじゃねぇの? お前が河南に受かったの、校内中の噂だったじゃん。つーか俺、成川のこと、認識してたんだけど? それ、忘れてる? 短期記憶衰えた? ったたた!」 「やっぱ通報する」 「通報は! イイけどさ! これ、どういうシステム?! 成川に軽口叩くと締まってくシステム?!」 「軽口だと思うんじゃねえよ」 「なに?! カレシさん?! ボディガード?! つーかまだ、7時前なんだけど?! なんで居るん?!」 「お前に答える義理はねぇよ」 「あっカレシさんだろ! その反応はカレシだ! わぁお成川お前、こんなすげぇヤツ捕まえたの?!」 「答える義理はねぇっつってんだよ」 「いっだだだだ! ねえちょい! 緩めて! 俺、一応病み上がりなんだよ! 逃げねぇからさ! 何その絶妙な力加減! 手慣れてんな?! ──あっ、お仲間だったり?」  その一言に、涼の動きが止まった。 「え? マジ? 成川お前、そういうヤツと付き合ってんの? え、スゲェ意外」 「……この人は、あなたの言う『そういうヤツ』じゃない。良い人です」  言いながら、落ちている包みを拾い上げ、 「触るな、危ない」 「大丈夫です、たぶん」 『成川光海 傘』と、久しぶりに見るその文字で書かれた包装を、破りながら剥がしていく。 「わーもう、お前、そういう……良い人の判断基準甘ぇんだよ。いっつも。……えー、お仲間なら、会ったことあります?」 「お前の顔に覚えはねぇな」  包みの中身は、本当に、あの時の折り畳み傘だった。 「えぇえ? こんな手慣れてんのに? 名前、なんて言う? 界隈で有名そうだけど……あ」  折り畳み傘を開き、動作確認をする。……壊れてないな。 「橋本涼? もしかして」 「……だったらなんだ」 「いや、押さえ付けられる前にチラッと見えたからさ、アンタのこと。聞いた特徴と合致すんなって。この辺の奴ら大体ボコって、そのまま頂点に立つかって噂、流れてたけど。ここ1年くらい、名前聞いてねぇなーって。何? 更生した? カノジョ出来て更生しました?」  汚れも何も無いそれを、折り畳んで巻いて、留めて。 「だったらなんだ」 「うっわマジか。成川お前、調教師とかになれんじゃね、いたたたたた! 悪い悪い! 成川になんか言うと痛くなるシステムだったな?! そういや!」 「傘、返すために、ここまで来たんですか」 「そーだよどうも! 郵便受け的なモンを探してました! 会うつもり無かったからさ! これからも会うつもりねぇよ! だから橋本! カレシさん! 手ぇ緩めてくんね?!」 「その必要性を感じねぇな」 「少し、言いたいことと聞きたいことがあります。緩めてくれませんか」  涼が、不満そうな顔になる。けど、緩めてくれたらしい。 「……わー……成川お前マジ、……なんでもないです。で? 言いたいことと聞きたいことって?」 「傘、持ってきてくれてありがとうございます。それと、病み上がりと言ってましたけど、……あの時、吐血してましたけど。それが快復したという理解で、合ってますか」  五十嵐は、呆れたように息を吐いて、 「お前、ホント、変わってねぇな……その傘、ちゃんと捨てろよ。俺が持ってたんだから。全快ではねぇよ。けど、そろそろ戻んねぇとって頃合いだから。こんな回答でオーケー?」 「傘を捨てるかどうかは私が決めます。全快じゃないなら、病院、行って下さい。また吐血されたら気分が悪いです」 「俺が血ぃ吐いて、それ、お前に関係あるか? ねえだろ。そういうムダ、じゃなくてえーと、クズへの配慮なんかやめとけよ。俺、昔よりどクズだぜ? 関わんじゃねぇよ」  言い終えたのか、五十嵐はまた、ため息を吐く。そして何も言わなくなった。  そしたら今度は、涼がため息を吐いた。 「中学の時のお前の話、ちらっと聞いた時から、少し思ってたけど。お前、俺と同じか」  私には、涼の言葉の意味が掴めなかったけど。五十嵐はそれを、理解したらしい。 「うわぁヤダ。ツッコむなよそこ。アンタはそのまま、悪人を捕まえたヒーローになっとけよ。更生したんだろ? 生憎俺は、更生する気は微塵もねぇから。さっさと通報してくんねぇかな」 「……救急にかけるわ」  涼はそう言うと、スマホを戻し、手早く、着ていたコートのベルトを抜いて五十嵐の腕の関節を極めたままその腕を縛って。 「あー、やめいやめい。無駄な足掻きをやめい。あと俺、病院嫌いなんだよ。仏心を見せてくれんなら、そこを汲んでくれねぇかな」  涼はそれを無視して、 「先、中に入っててくれ。ちょっとコイツと話がある」  私に顔を向けてそう言って、スマホを取り出し、119番した。
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