91 出来が悪い子供

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91 出来が悪い子供

「……成川、行っちまったけど? いいの?」 「あいつには聞かせたくなかったから、いい。それともお前、聞かせたいか? あいつに惚れてること」  救急車を待ちながら、涼が言えば。 「あーもー、マジで最悪。最高に最悪な配慮。人の口から聞きたくねぇし、自分から言うのはもっと嫌」  顔を歪めて言った五十嵐は、目の前の道路につばを吐いた。 「……なんだろな。あいつ、そういう人間を引き寄せんのかな」  涼が呟く。 「知らね。つか、何? 他にもいんの? その言い方からして」 「まあ、一人。発展途上なのは居る」 「やっべぇじゃん。ちゃんと守ってやれよ。カレシなんだろ」 「守りはするけど。その一人、まだ、小さいからな。クズな方向のヤバさではねぇし。あのまま成長したらって思うと、空恐ろしさを感じるけども」 「……わー……成川の鈍さが救いじゃん」  呆れたように言う五十嵐に、 「中学、一緒だっただけあって、まあ分かってんな。あいつのこと」  涼も、呆れ声を返す。 「ヤメロあの頃の話は。俺ん中で結構な黒歴史だから」 「行いを反省してんの?」  五十嵐は軽く笑って、 「馬鹿かよ。そういう黒歴史じゃねえよ。反省なんかしてたら、今の俺はいねぇんだよ」 「今からでも反省すれば?」 「嫌だね。いい子ちゃんになんかなりたくねぇわ。つーか、話って、それ?」 「いや?」 「なら、早く本題に入ってくんねぇ? 救急車呼んだんだろ。来るぞ」 「付き添うつもりだから別にいい」 「はあ?」  顔をしかめた五十嵐に、 「お前、病院、嫌いっつったよな。それ、周りの連中が言う『嫌い』と、意味、違うだろ」  涼がそう言うと、五十嵐は更に顔を歪めて、 「違わねぇよ」 「違うね」 「違わねぇ」 「意固地だな」 「……違わねぇって、言ってんだろ。それとも何か? お前の中で、なんか壮大なストーリーでも描いてんの? アホらし」  吐き捨てるように言った五十嵐へ、涼は、目を細めながら。 「クスリって、言ってたらしいな。そんで血を吐いて、救急車呼ばれた。検査と治療と身元確認をされる筈だ。あと、お前から、タバコの匂いがする。完全に少年院コースだろ。なのに、あれから2週間もしないでここに居る。監視の目も無さそうだしな」 「だったらなんだよ」 「名前、五十嵐弘和って、言うらしいな。あいつから聞いたんだけど。五十嵐弘和に聞き覚えは無かったけど、五十嵐弘行(ひろゆき)って人は知ってる」  それを聞いた五十嵐が、目を見開く。 「あと、五十嵐宗次郎(そうじろう)、五十嵐菊代(きくよ)、五十嵐裕一(ゆういち)、五十嵐裕二(ゆうじ)、五十嵐美波(みなみ)。……主だったのはこれで全員だと思うけど、合ってるか」  なんでもないように聞く涼に、 「……何をどこまで知ってんの、お前」  五十嵐は、苦々しい声を出す。 「五十嵐先生にな、世話んなったことがあんだよ。俺自身じゃねぇけど。その時に、まあ色々あって、弟が居るって話をされた。俺と同い年の弟が居るってな」 「だから?」 「お前、似てるよ。顔も声も。五十嵐先生の弟だろ、お前」  口を噤んだ五十嵐に、 「そこからは、よく知らねぇけど。その関連で、今ここに居て、そんで嫌いなんだろ、病院が」 「……あーヤダ。もうヤダ俺。このまま頭打って死にてえ」 「やめろよ。あいつが悲しむぞ」 「喜ぶと思う」 「それはお前の願望だろ」  そこに、サイレンを鳴らさないで欲しいと頼んでいた通りに、無音の救急車が到着する。  涼は五十嵐の拘束を手早く外し、嫌そうな顔をしながらも素直に動く五十嵐と共に、救急車に乗った。  ◇  自分は、出来が悪かった。優秀な兄と違って。 『何で、こんな単純なことが出来ない?』 『もう少し頑張って? お兄ちゃんを見習いなさい』 『一族の名を背負ってるんだ。甘い考えで生きるんじゃない』 『大器晩成とは言いますけど、どれだけ大きな器なのかしら』 『頭の回転数か、速度か。どっちもかな』  率直に。遠回しに。物心つく頃にはもう、それが当たり前で。  その、優秀で、一回り上の兄は、自分に関心を向けないで、医者になるための勉強ばかりしていた。  小さい自分は、居場所を欲した。  家には、それはなかった。  外に、それを探しに行った。  その結果、自分は立派なクズに成長し、血が繋がっているだけの家族は、自分を煙たがり、けれど『自分たち』の立場を守るため、『非行少年』の非行を隠した。自分にとって都合の良いそれに、初めて家族に、心から感謝した。  地獄の中を自由に遊び回り、何度も死にかけ、対面が悪いと、家族は延命措置を自分に施し、その事実を隠す。  そんな、最高にクソなこの世に、バカ真面目に真っ直ぐ生きる人間が居た。  どれだけ馬鹿にしても、存在を否定しても、不快感を与えても。  そのバカ真面目の真っ直ぐさは、曲がらない。  こんな人間が居るのかと、内心不思議に思いながら、馬鹿にし続け、からかい続け、決して曲がらないそれに、安堵する自分が居て。  そのままで居てほしかったから、3年間ずっと、そうしていた。真っ直ぐに睨みつける視線に、バカ真面目な反論に、安心感を覚えた。  けれど、自分が生きるのは、そんな人間など、存在しない場所だ。  飢えと冷え。バカ真面目を馬鹿にしている時だけ薄れるそれは、ソイツと離れると、自分に牙を剥く。飢えを満たすために誰かを求めて。冷えを消すために誰かを求めた。  中学を卒業し、バカ真面目の存在が遠のき。  その、バカ真面目を求めかけ、その思いを抱いた自分に吐き気がした。  あいつは、そういう存在じゃない。そういう存在にしてはいけない。こちらへ引きずり込んではならない。  だから、連絡しなかった。  そうしてより、羽目を外していって。忘れたように、遊び呆けて。  胸の奥の冷えが、限界を迎えかけた。  だから、送ってしまった。けれど、反応はなくて。  やっちまったなと、思ってから、そう思った自分に呆れた。そういうふうに、仕向けたのは、他ならない自分なのに。  なのに、目の前に現れた。馬鹿だろ、と思った。  バカ真面目な真っ直ぐさを失ってないお前と。  クズに拍車がかかっている自分とを。  引き合わせた何かは、馬鹿だろう、と。    そのまま、真っ直ぐ、幸せに生きてくれよ。  そうしたら、野垂れ死ぬ時、気分良く死ねるから。  お前の行き先は天国で、俺の行き先は地獄なんだ。  それは決定事項で、変えちゃいけないものなんだよ。  もう、関わりたくねぇんだよ。顔も見たくないし声も聞きたくないんだよ。  だから、頼むよ。  こっちに来ないでくれ。  クソな世界に、近付かないでくれ。
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