92 広い世界と狭い世間

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92 広い世界と狭い世間

「これが、体育祭の時の」  涼はスマホに画像を出し、スクロールさせ、 「で、これはパリ」  同じように呼び出し、するするとスクロール。 「で、これは文化祭な」  画像たちをスクロールし終えて、 「どうだ?」  ベッドの上で半身を起こしている五十嵐に、問いかける。 「……お前、何したいの? 惚気けるならこう、もっと丁寧に惚気けろよ。スクロールが早すぎて、追うに追えねぇんだけど」  病院に搬送され、軽い検査で『栄養失調』という診断をされ、何本かの注射のあと、右腕に点滴を付けられ、個室に入れられた五十嵐の、そのベッドの脇に椅子を持ってきて腰掛けていた涼は、 「お前がライン、教えねぇっていうから」 「なに? 教えたら画像を送るシステム?」 「送って欲しいか」  その言葉に、五十嵐は盛大に顔をしかめ、 「イヤだよ。もうアイツとは関わりたくねぇの。存在を示すモンなんか見たくねぇの。終わったんなら帰ってくんねぇかな」 「……拗らせ方がすげぇな」  呆れたように言う涼に、 「分かったように言わんでくんない? すげぇムカつく。全快だったらこの場でボコってるからな」 「俺だってボコりてぇよ? お前がどんな人生を送ってきたかは置いといて、光海を苦しめた事実は消えねぇからな」 「じゃあ今ボコれや」 「光海が悲しむからしない」 「……あー! もー!」  上を向いて叫んだ五十嵐は、 「ウザいウザいクソウザい。カレシ様なら成川を守れや。アイツを第一に考えろよ。俺なんかに構ってないで早く学校戻って顔見せて安心させてやれよ」 「友人経由で連絡は入れてあるから、そこは心配すんな。これだって光海を考えての行動だから」 「俺と連絡先交換して、アイツにメリットなんか1ミリもねぇだろ馬鹿じゃねぇの」 「光海を安心させてやれる。お前もご存知の通り、光海は俺やお前なんかにも、手を差し伸べる性格してるからな。首輪代わりみたいに思っとけ」 「わー、ヤダー。お前のパシリになんかなりたくねー」  心底嫌そうな顔をして、棒読みのように言う五十嵐に、涼はため息を吐いて。 「面倒くせぇな……勝手に登録していいか」 「急に横暴だな。ロックかけてあるから開けねぇぞ」 「あっそ。パスは?」  ベッドに置かれた、五十嵐のスマホを手に取って、ロックの解除画面を開く。 「誰が教えるかよ」 「開けたから、ライン登録するわ」 「プライバシーの侵害」 「お前が分かりやすすぎんだよ。パスが光海の誕生日ってお前、隠したいのか知られたいのかどっちだよ」 「知られたい訳ねぇだろ。そのことを認識すらしたくねぇわ」 「行動に矛盾を感じるな。終わった。返す」  ベッドに置かれたスマホに目を向け、けれど手を伸ばさない五十嵐に、 「俺のアイコンな、光海ん家の犬だから」 「あー……。…………だからなんだよ」 「あとな、光海の妹さんがな、マシュマロのスタンプを4種類作ってる」 「それを知らせてどーすんの。使えって?」 「使う使わないは勝手にしろ。お前がマシュマロを知ってることは理解した」 「……誘導尋問……」  五十嵐は、長く息を吐いてから、スマホを手に取って。 『クソボケカスクズクソボケカスクズ×100』  送られてきたそれを見て、 『臆病者のボンボンお坊ちゃん』  涼は、そう返した。 「……」  画面を睨みつけ、五十嵐は返信し、 「……」  それに涼も返事をする。  無言の罵倒大会は、そのまま20分ほど続き、 「そろそろ腹くくったか?」  涼は言いながら、『恋愛感情拗らせ野郎』と送る。 「なんの腹をどうくくるんだよ」  五十嵐はそれに、『南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏今すぐ死ね』と送る。 「俺とダチになる腹。あとお前、南無阿弥陀仏の意味、知ってるか?」 『煽り耐性ゼロ 沸点が低い 精神年齢が小3』 「ならねぇし知らねぇよ」 『ゴートゥーヘル このデカブツ』 「南無阿弥陀仏って、まあ簡単に言や、仏様を尊ぶ言葉な。罵るための語彙じゃねぇんだよ」 『お前も背、高いだろ。俺181。お前がだんだん産まれたてのヒヨコに思えてきた』 「だからなんだぁコラ」 『身長なんざ知るか。つーかこっちで会話を始めんな』  それを見た涼は、五十嵐へ顔を向け、 「お前さぁ、そろそろ素直になれよ。彼氏の座を譲る気は毛頭ねぇけど、光海のことを好きなの、受け入れろよ。しんどいだろ」 「……なーんにも知らねぇクセにさぁ……」  五十嵐は、持っていたスマホを、 「分かったような口を聞くんじゃねぇ!」  涼に向かって投げつけた。 「じゃあ、教えろよ」  涼はコートで、顔面一直線に飛んできたスマホを受け止め、 「ここ、外の音が殆ど聞こえねぇってことは、外からも聞こえねぇってことだろ。ぶちまけろよ、相手は俺だし、気兼ねする必要ねぇだろ」  床に落ちたスマホを拾い、ベッドに投げて、言う。 「い・や・だ・ね! お前に言って何になんだよ。なんなん? お前はカウンセラーでも目指してんの?」 「俺はパティシエを目指してる。俺に言えねぇなら、光海に聞いてもらうか?」 「却下。却下却下却下。お前は俺を殺してぇの?」  実に嫌そうな顔を向ける五十嵐を見て、 「……五十嵐先生な、俺の母親の死因判定をした先生なんだよ」  スマホを仕舞いながら静かに言った涼の言葉に、五十嵐が僅かに目を見開く。 「俺は先生に食って掛かって、意味分かんねぇあり得ねぇって、喚き散らした。そしたらさ、先生が」 『君は、お母さんをとても大事に思っているんだね。当たり前に思えるだろうけど、それはとても大事な気持ちだ。君や、今まで見てきた遺族の方々も、ご家族がお亡くなりになると、……このような亡くなり方をすると、皆さん、とても悲しむんだ。そこには愛があると、愛ゆえのものだと、僕は思ってる。……少し話がずれるんだけど、僕にはね、君と同い年の弟が居るんだ。結構やんちゃする弟が。家族はそのやんちゃな弟を、居ないように扱うんだよ。死んだみたいに。もしくは、もとから存在しなかったみたいに。僕はそれが悲しくてね。こういう仕事をしているのに、自分の家族の愛を、疑ってしまうんだ。──これは僕の我が儘だけど、君には、今のその気持ちを、大事にしてほしい。辛いだろうと思う。苦しいだろうと思う。けど、それだけ、愛してるっていう、証拠だから。その想いを、忘れないでほしい』  それを、呆然と聞いていた五十嵐は、 「……知らねぇ……そんな奴、知らねぇ。それこそ、存在しねぇ……」  声を震わせて、言う。 「知らねぇ。知らねぇ知らねぇ知らねぇ知らねぇ知らねぇ!! なんだそれ意味分かんねぇな?! あいつは! 俺を! どうとも思ってないんだよ! 何か思ってたとしても、見下すとかなんだよ! ベラベラベラベラ嘘を言うんじゃねぇよ!!!」  今までで一番の大声で叫んで、俯きながら肩で息をする五十嵐に、 「残念ながら、嘘じゃねぇし、それでも納得いかなかった俺は、先生が、その場限りの方便を言ってんじゃねぇかって、先生のこと、調べた。で、お前の、つーか、弟の情報は、お前の母親の、美波って人の妊娠初期の情報しか出てこなかった。……先生の中でだけ、生きてるのか。隠されてんのか。その時の俺には分かんなかったし、わりかしどうでもよかったけど。存在してた訳だ。マジでやんちゃな弟は」  涼は、そう言って。 「あー、世間って狭いな。世界は広いのに世間は狭い。お前と光海は同じ中学で。お前のお兄さんと俺は面識があって。俺と光海は同じ高校で。俺もお前も光海に惚れてる。あー、面倒くせ。マジ面倒くせぇ。光海にこれ以上迷惑かけたくないなら、自分の中でだけでも、素直になっちまえ」  俯いたままの五十嵐に、涼は苛ついた顔になり、髪をかき回しながら言う。 「………………俺は、クズなんだよ」  五十嵐が、掠れたような、聞き取れるかどうかの声で、言った。
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