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10
「恋?」
雪平さんは大きく目を開いて俺を見た。俺はすかさず見つめ返した。
「好きです」
「……俺、男だよ」
「知ってます。俺じゃダメですか」
「み……。未成年を相手にする気ないし」
「成人年齢は18才になってますし、そうでなくても俺、昨日で20歳になりました」
「昨日誕生日だったの……?! い、言えよ! ……とっ、ともかく学生は相手にしないから。あともう一度言うけど、俺は男だからな。そのへんをよく考えるように」
そう言って視線を落とした雪平さん。
蒸し暑さの残る気温だが、彼の周りだけ涼しげに見える。
彼は足元のサンダルを、つま先でいじっていた。日に焼けたと言っていたが、それでも色白だ。
俺は、緊張のため肩に力が入りっぱなしだった。それを緩めようと、大きく息を吐く。
告白って疲れる。とても疲れる。できれば用を作って台所に逃げたかった。
雪平さんが何か思いついたようで、俺のほうを見た。
「ノエ。大学卒業したら考えてやるよ」
「……その頃には、雪平さんに恋人がいるかもしれないです」
「フリーで待ってろって?」
「いえ、そうじゃなくて」
「きっと、刺激の少ないとこに俺みたいのが来て、恋したって錯覚してるだけだ」
「違います」
「錯覚」
「俺が違うって言ってるんですから、違います」
「……怖い顔して」
雪平さんは、俺の頬を指先で突付いてくる。驚いてその指先を払った。顔が熱い。
「やめてください」
「はは」
雪平さんは目を細めて笑うと、後ろに手をついて姿勢を崩し、息を吐く。
「恋はもう懲り懲り」
「え?」
こんなに素敵な人なんだから、相手がいたのはあたりまえだ。わかっていても焦った。
どんな人と付き合って、どんな恋愛だったんだろう? 俺は息を飲んだあと、言う。
「相手が違えば、また違うんじゃ」
「すごい自信だな」
「じ……、自信じゃないですけど別に」
「今日、涼しいから俺は奥の部屋で寝るよ。座敷はノエが使って」
雪平さんは立ち上がった。つま先を屋内に向けたので俺は思わず言った。
「ちょっ……雪平さん! 俺、告白したつもりなんです!」
「言っただろ。卒業したら考えてやるって」
「そんな先のことわからないです」
「じゃあ、言うけど。付き合えない。俺、失恋したばかりだから、おまえに付き合うなんて気力どこにも残ってないよ」
「失恋ですか……」
俺は即座に深夜の電話相手を想像した。雪平さんの今までの発言と照らし合わせていると、ふいに雪平さんが俺に近寄って屈んだ。
と思ったら、俺の顎に触った。
彼の指先を感じて心臓が飛び出そうになっていると、次に近づいてきたのは顔だ。雪平さんの…………。
キス、と認識するまで少し時間がかかった。
雪平さんが離れ、元の姿勢に戻っても俺は呆然と固まっていた。雪平さんは俺を見てつぶやく。
「すごい顔」
「あの……」
「ひと夏の思い出ってやつかな」
雪平さんは唇を少しだけ動かし、吐息をもらすように微笑んだ。
「五年後ぐらいに……、俺のこと思い出してよ。ここで告白して、俺にキスされてドキドキしたなーって」
「ひと夏の思い出とか、勝手に終わらせないでください」
「前途有望な若者の人生に関わるなんて、荷が重すぎるだろ」
「好きです」
「荷が重いって」
「何が重いんですか? どういうところが? 俺のこと前途有望だって思うなら、一緒にいればむしろ軽くなるんじゃないですか?」
「……なんかムカついてきた」
雪平さんは少し眉を顰めたが、それほど気分を害した様子はない。いつもの軽口の延長らしい。
彼は静かに敷居をまたぎ、座敷のほうへ歩いていった。俺も慌ててサンダルを脱ぎ、立ち上がって追いかける。
「あの、俺が奥の部屋で寝ます! 雪平さんはそのままエアコンのある座敷どうぞ」
「気を遣わなくていいよ」
「俺のほうが暑さに慣れているので」
「いいって。もう寝よう」
「雪平さん」
俺は雪平さんの行く手を塞ぐように回り込んだ。俺の行動は意外だったらしく、彼は目を見開いている。
「納得行かないです! 俺……!! 昨日まで添い寝してたのなんだったんですか?」
「……冷房、あの部屋と客間にしか無いから」
ずいぶんな言い訳だ。延々と俺にちょっかいを出して、笑い転げて、終いには抱きついてきたくせに。あれは全部ただの遊びだったっていうのか。
年下だから?
ふざけてただけなのか。
「雪平さん」
年下だから……。
それだけの理由で線引され、恋愛対象から除外されるなんて理不尽だ。雪平さんは俺を避けて先に進もうとする。
「おやすみ、ノエ」
「俺のこと……、ずっとからかってたんですか」
「そうじゃない」
「楽しかったですか。人の心をもてあそんで」
「勘違いさせたんなら謝る、ごめん。なぁ、そんな真剣になるなよ。そもそもノエのことストレートだと思っていたし」
「ストレートって? なんの……何がですか?」
「……女性のほうが好きだろ」
「あんまり考えたことなくて」
「初恋は?」
そう問われて、俺は目の前の人物を見た。
俺の人生を振り返った時『初恋は?』と訊かれたら間違いなく雪平さんだ。こんなに心を動かされたことは他にない。
どう答えようか迷っていると、雪平さんは視線をそらし淡々と言う。
「寝るか。明日も、よろしくな」
「あ、はい。……こちらこそ」
俺はつられて普通の返答をしてしまい、気付いて奥歯を噛みしめる。これだって子供扱いの気がする。明日になったら忘れるだろうと、そう思われている。
雪平さんはエアコン部屋ーーーー昨日まで俺たちが寝ていた座敷に入っていき、天井の紐をひっぱり電気をつけた。俺を振り返らないまま言う。
「俺はこっちの端で寝るから」
そう言って、壁ギリギリのところに布団を敷き始めた。
そして、対になってる襖面を指差す。
「おまえはそっち。端と端で寝ればなんの問題も起こらないだろ。もうちょっかいなんて出さないよ」
急に投げやりな言い方になった。俺は戸惑う。
「……なにか怒ってますか」
「いや、怒ってないよ。ちょっと驚いてるだけ」
雪平さんはチラとも俺を見ないまま布団を整え、荷物を移動させている。不機嫌にも見える。俺が次の手に迷っていると、雪平さんは言った。
「まあ。ここにいる間だけっていうなら……。考えてやらなくもないけどな」
「いえ、俺は真剣です。本気で」
「そういうのは間に合ってる。遊びなら相手してやるよ。恩もあるし、ノエがどうしてもって言うなら」
「遊びなんて無理だし軽い気持ちじゃないです……。俺は、本気で雪平さんのことが好きです」
「そんなふうに言われても付き合えない。悪い」
「……そうですか」
「ごめんな。でも気持ちは嬉しかったよ」
「はい…………」
雪平さんが布団を敷き終え腰をおろしても、俺は部屋の入り口で立ち尽くしていた。
タイプじゃないとか、性格が好きじゃないとか。嘘でもいいから他の理由があればいいのに。納得できるような理由がほしい。
告白するなら、雪平さんが帰る最終日が良かったんだろうか……。
けど、もし両思いだった場合それを噛みしめる余裕もなく離れ離れなのが嫌だし、なにより伝えたかった。
好きだっていう気持ちを、今すぐに伝えたかった。
我慢ができなかった。
雪平さんは布団に横たわることもなく、俺に背を向けたまま言う。
「なあ、ノエ……。遊びでいいなら、別にいいけどな。おまえ相手なら」
「俺は遊びじゃ嫌です」
さっきも聞いたけど、と思いながら棒立ちでいると、雪平さんは半身だけ体を反して俺のことを見上げた。
「そんなに固く考えることもないだろ? 合意で割り切った関係なら、誰に責められるものでもないし……。あっ、そっかノエはまだ経験してないってこと?」
「……そ、そうですが」
「そっか。じゃあ身構えるのも仕方ないよな。なんだかノエって、そんな感じしなくて……。ははっ、ごめん。ふはは」
雪平さんはふっと息を吐き、それから、いつも俺をからかう時みたいに笑った。
「そんな感じしない、ってなんですか。どういう意味ですか」
「ええと……。ごめん。変な意味じゃなくて。落ち着いてるから、こう……、そっちも早熟なのかなって」
(落ち着いてるから……??)
その言葉の意味を咀嚼できないままいると、雪平さんもなぜか口ごもってしまった。そしてまた動揺が見えた。まばたきが多い。
雪平さんが年齢にこだわっているのはもしかして、こういう部分なのかもしれない。
荷が重いっていうのは、性経験含めてなのか。懲り懲りっていうくらい多くの体験をしてきた人からすると俺は…………。
「雪平さんから見たら、俺はまだ幼いのかもしれないですけど」
「幼いっていうか、かわいい感じだよな。すっごく」
「どこもかわいくないです」
「俺がかわいいって言ってるんだから、かわいい」
雪平さんはいまだ、堪えきれないという感じでクツクツと笑っている。
「そんなバカにしなくても」
「いや、バカにはしてな……」
「俺は奥の部屋で寝ます。ご心配なく!」
これ以上雪平さんと話していたら、なにかひどい言葉をぶつけてしまいそうで、俺はその場を後にした。
モヤモヤとした重い感情が胸の奥でとぐろを巻いている。気持ちをぐっと堪えてなんとか平静を保ち、庭に戻ることにした。花火の片付けがまだだ。
「ノエ」
後ろから声がかかって、無視するのもそれこそ子供っぽいので念のため立ち止まった。
「ノエは落ち着いてるっていうか、しっかりしてるよ。頼りになりそう……。意見だってはっきり言うし。……だからきっと恋人もいて、色々経験したことあるのかなって思ったんだ。俺が勝手に思ってた。偏見だな」
「経験ないです」
「笑ってごめん。からかったんじゃなくて、その」
「おやすみなさい」
謝罪されると、俺は更にみじめな気持ちになった。
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