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6
その夜。
夕食後に菊代子さんが二階に引き払ってしまうと、なんだか気まずかった。
気のせいかもしれないが、雪平さんは昼ごろからやや機嫌が悪い。
無視されているわけじゃないが、昨日とは確実に態度が違う。菊代子さんが来るまで俺たちは、すごく親密というか気安い感じだったはず。
そうだ。軽口がなくなったんだ。
俺は少し緊張していた。なにか喋らないといけないような気がする。
十畳の部屋中央から少し距離をとり、平行に布団が並んでいる。
俺は寝転んで横向きになりなんとなくスマホを眺め、友達の動向を追っていた。
バイト、旅行、サークル、デート、帰省。勉強、資格、ボランティア。
楽しそうだったり、そうじゃなかったり。普段はそこまで気にしないのに今日に限って見てしまう。
大学二年の夏休み。
俺は人嫌いってわけでもないけど人の輪の中にいてずっと楽しいってタイプでもない。だからこんなバイトを選んだ。
自分の意見はちゃんとある。自己主張もできる。
だけれど。
コンビニまで車で三十分なんていうド田舎出身という引け目だけが、ずっとつきまとっている気がしてた。
俺は自分の出身地が嫌いなわけじゃない。こうして似た環境に来てみれば落ち着くし不自由なく居心地もいい。
――――そうだ、あまりにも過不足がない。
だから、俺は休みの間しかここに居たくない。
ここでずっとのんびりしていたら、自分を甘やかし、社会から取り残され取り返しが付かなくなってしまう気がしているから。
なにかを欲しいと強く望んだ気持ちさえ、忘れてしまうような気がしているから。
雪平さんは洗面所から戻ってくると、俺の足元を通り過ぎ、自分の布団の上にあぐらをかいて座る。
「田中くん。……何か怒ってるのか」
静かで涼しげな声だった。ドキッとした。
俺のことあだ名で呼ばないんだな。都合でコロコロ変えられても困る。
「いえ。そっちが………、怒ってるようでしたけど」
意識しすぎて顔も見れず、スマホを操作しながら言葉を返す。雪平さんは大げさな溜息をついた。
「俺は怒ってるよ」
「……やっぱり怒ってるんですか?」
「怒るだろ。実際に演技見てもいないやつに下手だウケないって言われたんだから」
雪平さんから、拗ねたような恨みがましい視線を送られ、俺は固まってしまった。
雪平さんが困っているように見えたから。
親切心でやったと言いたかったが、今じゃそんな善意があるとバレるのがいやで俺は口ごもった。
助け船をだしたつもりで、逆に怒らせるなんてかっこ悪すぎる。どうフォローしよう。
「なーんか否定的だよなぁ、君って。まだ若いのにさ」
「ひ……否定的というか。第三者の意見です、ただの」
「やってみなきゃわかんないことだってある。最初はなんだって失敗するもんだし」
雪平さんの言うことはわかる。俺って頭の固い大人みたいだ。
「計画が無謀だったら止めてもいいでしょう? 話や進行を考えるのは俺になるんだろうし、急に言われたって困ります」
「軽口として盛り上がってただけだろ? そんな、最初から可能性叩き潰すようなこと言わなくてもいいのに」
「たっ……叩き潰すなんて! 誰もそこまで思ってません。俺は現実的に考えて、お客さんがどう受け取るかって話を」
「田中くんはお客じゃないだろ」
「もうここで三年もバイトしてるんで、少なくとも雪平さんよりはニーズわかってます」
「だけど」
言いかけて、雪平さんは静かに頷いた。
同意じゃなくて含みある頷き方だ。沈黙が気になって雪平さんのほうを見るが、俯いており表情がわからない。
「ま、俺は部外者だし。しかもちょっと前まで遭難してた。えらそうに意見する立場でもないか。ごめん」
雪平さんはそう言いながら横になり、薄い肌掛ふとんを肩にかけた。
「寝よう。あ、電気消してしてくれる?」
「あ……。はい」
俺は態度の急変に驚き、肩透かしをくらったような気持ちだった。腑に落ちないまま、言われた通り立ち上がって電気の紐を引っ張った。部屋は暗くなる。何か言いたい。
俺はもう一度雪平さんを見る。暗いし、そもそもこっちに背を向けているので様子はわからない。
(なんなんだ……)
俺は、謝るタイミングを逃していた。
流れはともかく、俺の言葉に雪平さんが不快な思いをしたのは間違いないんだから謝りたい。別に傷つけたくて言ったわけじゃない。
何がニーズだ。夏休みの短期バイト三年と雪平さんの会社勤めじゃ経験は雲泥の差だ。焦って余計なことまで言ってしまった。
「雪平さん。俺もすみませんでした」
言い逃げみたいに早口で告げると、俺も雪平さんに背を向けた。寝よう。
「いいよ」
軽い声色でそう返ってくるが、俺が求めていたほど明るい声ではない。緊張は解けなかった。指摘されたときすぐに謝ればよかったのに、なんで言い合いしてしまったんだ。
咳払いが聴こえる。
「田中くん。俺……ああいうよく喋る女の人がいると、つられてつい喋っちゃうんだ。誰にでもこうだから気にしないで」
「は、い……」
言われた意味がピンとこず、俺は曖昧に返した。
「気にしないで、って? なんですか?」
「え?」
「そこは気にしてないです。雪平さんは俺と違って、正式にバイトってわけでもなく半分お客さんなんだし……、適当にしてたらいいですよ」
「ああ……そう?」
「雪平さんと菊代子さんがずっと喋ってたって、お客さんがいなきゃいいんじゃないですか。庭も道も綺麗になったし、家のなかも一通り掃除したし。もうそこまで仕事残ってないです」
相槌が返ってくるが、どこか歯切れ悪い。このまま放置して眠れるわけない。
「……なんですか?」
「何が?」
「いえ……。俺に言いたいことあるなら」
「ええとな。俺が思ったのは。第二の実家みたいなことかと」
「え?」
「菊代子さんのことを、第二のお母さんみたいに思ってるのかなーって。知らない男と二人で仲良く酒呑んで、急に仲良くなってたら、なんかそれって、すごくびっくりするっていうか。ちょっと気持ちの整理つかないだろ、違う? だから俺にキツく当たったのかと」
俺は絶句してしまった。呆然とした。
(ありえない……!)
俺のこと、大学生どころか小学生だと思ってる。恥ずかしくて、頭に血がのぼって悔しくて、文句を言いたくなった。
でもそんなことしたら、余計に子供っぽいと思われるのはわかってる。
「と……とにかく、雪平さんの演技を見たこともないのに想像でけなしたのは謝ります。すみませんでした」
「あ、うん」
「寝ます」
「うん……。菊代子さんの話、図星ってこと?」
「ぜんっぜん違います!!」
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