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三度目のスヌーズが私を平日朝の現実に引き戻した。寝ぼけ眼を擦るのも忘れ、ぼーっと虚空を眺める。カーテンの隙間から差す朝陽が眩しい。
昨日の夢は本当にただの夢だったのか。そう疑いたくなるほどあの男の声が、砂浜の冷たさが、空と海の黒が、リアルな感覚として肌に焼きついていた。
そして私の心も。
一晩中あの黒ローブの男に心の叫びを聞いてもらった結果、今の私は黒い感情が増幅するどころか、むしろどこかすっきりとした気分になっていた。
ただの夢でここまで気分が変わるものだとは思えない。だから、私はきっと昨晩あの砂浜に居たのだ。私の心の中にある砂浜に。
……あの男は。私の黒い感情は、もう消えてしまったのだろうか。そう思うと安心すると同時に、少しだけ寂しさを覚える自分もいる。
思惑はどうあれ、過去に縛られて潰れそうだった昨日の私を救ってくれたのは彼だ。私は自分の胸に手を当てて「ありがとう」と呟き、仕事に行く支度を開始した。
何事もなく一日を終え、私たち普通の社会人にとってのオアシスである金曜夜がやってきた。今日は藤井くんと、もう一人の同期の竹村くん、三人で飲む約束をしている。
「今週もお疲れー!」
明るい声で乾杯をする。大丈夫、いつもの私だ。
一口目の生ビールが疲れた身体に染み渡る。フワフワとした高揚感に包まれながら、私はいつもどおり趣味の釣りの話とか、最近ハマってる居酒屋だとか、実家の弟のこととかを話した。
二人も明るさだけが取り柄の私に合わせるように、仕事の愚痴などは避け楽しい話題を提供してくれる。私はこの三人で過ごす時間が大好きだ。日常の嫌なことを忘れさせてくれる、温かな時間。大丈夫。もう、大丈夫。
「そういえばアレ、ショックだったんじゃない?」
ハイボールを呷りながら、竹村くんが赤い目で切り出した。
「水沢彗と黒江瑠奈の熱愛報道。ほら、二人ともファンだって言ってたじゃん」
大丈夫、と言いかけて違和感に気付く。
二人ともとはどういうことだ。藤井くんが彗くんを好きだなんて話は、聞いたことがない。
私は思わず藤井くんを見た。彼は気まずそうに「おい」だの「あの」だの言っている。嫌な予感に、冷水をぶっかけられたかのように酔いが覚めてゆく。
「確か朝倉は水沢のファンで、藤井は黒江のファンだったよな。こんな偶然ってあるんだな」
竹村くんがハイテンションで続けた。
そこから先の私はもうぐちゃぐちゃだった。裏切られたという自分勝手な考えに心の舵を奪われ、なぜか言い訳じみたことを言う藤井くんに泣きながら八つ当たりし、失意のどん底の中でビールジョッキを一気飲み、そのまま意識を手放した……
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