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このままでは、冷静になれないと思い、夜にもかかわらず二駅分を歩いて家に帰った。
夜中の零時を回っていた。
「おかえり……遅かったから心配したよ」
彼は玄関で待っていた。
拓也さんの声に、やっと鎮めた感情に火がついてしまった。
彼の顔を見た。
何かひとこと、言ってやらなきゃ気が済まなかった。
「拓也さん。貴方はなんて……」
馬鹿なの、と続けるはずの言葉。
先が出てこない。
私は彼の側に走り寄って両手で顔を掴んだ。
「なんで……」
彼は驚いて私を抱きとめる。
「なんで!なんで……なんで!なぜなの……」
何度も彼のおでこの辺りを確認する。
髪を分けて、頭を振って、手のひらで彼の額を拭った。
なんで!
なんで!
私は膝から崩れ落ちた。
三十日。
彼の額に浮かび上がるその数字は……
彼の余命だった。
「どうした?大丈夫か小春?おい!しっかりしろ!」
「かみさまぁぁ!!」
神様、かみさま、かみさま!
私はそのまま叫び声をあげて泣き出した。
「どこ!神様……」
拓也さんは私の身体を、膝に抱えるように抱きしめた。
「大丈夫。落ちついて、ゆっくり呼吸して。小春。大丈夫、大丈夫」
背中をゆっくりと摩る。
彼は私が暴れないように、ずっと強く抱きしめていた。
ただ、涙が流れ落ちる。どうしようもなかった。泣くしかなかった。
何で、彼の余命が……三十日なの……
◇
子供の頃から人の余命がわかった。
亡くなる人はその人の額に余命が出る。
いつ余命が現れるかは人によって違った。
ひと月前には出ていなかった余命が、一週間前になって出ることもあった。
どういう仕組みでそうなっているのか、私にはわからない。
どうしようもない、変えられない余命。
事件や事故に遭う人も、死に方がわからない以上どうすることもできなかった。
突然死ということもある。
後は残された時間を、有意義に過ごして下さいと言うしかできなかった。
運命というものは決まっていて、それが道理にかなっていなくても、受け入れるほかなかった。
朝になった。
「拓也さん……」
「ん?大丈夫?今日はお義父さんに、小春は奉仕は休むって言っておくから。ゆっくりすればいいよ。俺も様子を見に来るから。何かあったら携帯に電話して」
私の代わりに彼は奉仕で忙しくなるだろう。私は力なく頷いた。
家を出て、彼が社務所へ行ってから、私は起き上がった。
訊かなきゃならない。
重い体を引きずってリビングに行き神様を呼んだ。
「神様、神様。いるんでしょ?出てきて」
しんと静まり返った部屋の中に私の声だけが響く。
ソファに腰かけて、目を閉じた。
「ごめんね。遅くなった」
しばらくして、神様が現れた。
「酷いわ……あなた、知っていたでしょう?」
「ああ。知っていた」
「なぜ?なぜ教えてくれなかったの?ズルい、酷い。あなた本当に神様なの!」
「小春。君も知っているとおり、人の寿命は変えられないよ。運命には逆らえないんだ」
「じゃぁ、せめてもっと早く彼の余命が知りたかったわ。五ヶ月も無駄にしたじゃない!酷い」
神様はごめんねと言うだけだった。
「どうして彼は死ぬの?なぜ死ぬの?お願い教えて」
「それはルール違反だ。君の死に方だって言えないのに、彼の最期を教えられるはずがないだろう」
「そんなルールどうだっていいわ!どうにかして彼だけでも助けたいの。お願い教えて!」
「助けることは無理だよ」
わかっていた。わかっている。
けれど、なぜ私だけじゃなく彼まで死ななきゃならないの。
「せめて彼がどうして死ぬのかを教えて!」
「それを言ってしまったら、僕は君の前に二度と出てこられないよ」
「……いいわ。それでもいい。だからお願い。彼がどうやって死ぬのか教えて」
「君は、僕より彼を選ぶんだね」
「ええ。私は……彼の妻よ」
「彼を愛しているんだね」
「ええ。拓也さんを愛しているの」
神様は優しく私の頭を撫でた。
「君は一月の雪が積もった日、池に落ちて死ぬんだよ」
「池になんて近づかないわ」
「それは無理だよ。そうなっているから」
「拓也さんは?」
「彼は君を助けようと池に飛び込んで、一日後に亡くなる」
ああ……
涙が流れた。
もう無理だ。
「決まっているのよね……」
「ああ、そうだよ」
どうしようもない。私が池に近づかないことはできない。
例えば鍵を掛けて部屋に閉じこもっていたとしても、必ず池に行くことになる。
それが運命だから。
「小春。僕はもう君の前には姿を現さない」
「ええ」
「ひと月後に会いましょう」
「ああ。そうだね。ひと月後に会えるよ」
「……ええ」
「それまで」
「それまでお別れね」
彼は私の髪をもう一度撫でて、静かに消えていった。
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