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三ヶ月が経った。
私に残された時間はあと三ヶ月。
拓也さんは毎日神社の奉仕に精を出している。
「なんだか、ぎこちない夫婦なりに円満に過ごしている気がするね」
「どこが円満なんだか」
形代を纏めながら神様と話をしていた。
形代とは人間の身代わりとした人形のことだ。紙で作る事が多い。
うちの神社では、半紙を人の形に切り取ったものを人形代と呼んでいる。
自分の名前を書いて人形代を体に擦り付ける。息を三回吹きかけると自分の身代わりの出来上がりだ。
自身の穢れや厄を人形代に移して背負わせ、お焚き上げするか川に流し、自身を浄化させる。
神社では大祓に使用される。
「人々の罪や、病気や苦しみが、ここにたくさん集まっているのね」
段ボールの中に入れられた何千枚もの人形代が焚き上げを待っている。
「それで犯した罪が消えるんだよ」
「そんなに簡単に罪が消えてしまうのなら、犯罪者はきっと味をしめちゃって、また悪事を繰り返すわね」
「だから世の中から悪が無くならないんだよ」
それはとても理不尽だわ。
「そんなもんさ」
私は新しい人形代を一枚取ると、そこに自分の名前を書いた。胸に引き寄せて息を、ふぅ、と吹きかける。
そして他の参拝者の悪行と共に段ボールの箱の中に入れた。
「あの日から拓也はジムに行ってないよ」
神様は急に拓也のことを話しだした。
「ええ」
知っている。
「もう彼女と会わないのかもしれないよ」
「神様。もし、拓也が彼女と上手くいってなくて、別れていたとします。そしたら夫婦関係が修復されて、私は長生きできるの?」
「いいや、寿命は変わらない」
「ならば、まだ、彼への意地悪は続くわ」
「意地悪してたんだ」
「そうよ。彼に意地悪しているの。だから人形代に罪を擦り付けたわ。そして浄化されて私は無罪放免になる予定よ」
◇
私が死んだら、拓也さんが神社で働くことはないだろう。
転職先を探して、新しい自分の生活の基盤を作っていかなくてはならない。
「転職先を探すのなら、奉仕は手伝わなくて大丈夫よ」
奉仕で忙しくては職探しに影響するだろうと、気を利かせたつもりでそう言った。
彼は高学歴だし、英語が話せる。前職だって有名な企業に勤めていた。
真面目に職探しをすれば、きっとすぐに仕事は見つかるだろう。
「いや、どうせ休日は暇だから」
彼はそう言いながらも、休日以外の平日もちゃんと神社の奉仕をしてくれていた。
神職は神様への奉仕だから、基本薄給だ。
最近は兼業で神主をしている人も沢山いる。両親には適当に理由をつけて拓也さんの転職を認めてもらうつもりだ。
「お父さんには、兼業で神主をしてもらうっていうから大丈夫よ」
うちのことを気にして、なかなか仕事を探せないのかもしれない。
遠慮していたら仕事なんて見つからないわ。
「土日や、年末年始は神社が手伝えるように、休みがしっかり取れるところを探すよ」
◇
「今度、良かったら映画でも行かないか?早く帰れそうだから」
地域の会合が早めに終わると聞いて、拓也さんに誘われた。
驚いて目を見開いてしまった。
そんなことを言われたのは何年ぶりだろう。
……どうして?
「大丈夫よ。ありがとう」
私は彼の変な気遣いに気後れしてしまった。
彼女を誘えばいいのに、なんで私なんだろう。
「わかった」
彼はそう言って黙り込んだ。
「もし、気を遣ってくれているなら、私は今のままで十分よ。夫婦生活を続けて欲しいという願いをきいてくれてありがとう」
「小春」
「なに?」
「凄く勝手な事を言っているのは分かってるんだけど、寝室を一緒にしないか」
「……無理よ」
彼はこの三ヶ月間神社の奉仕に力を注いだ。職探しをしながらだったけど、今までにないくらい、神主として頑張っていたと思う。
私の家事の手伝いもしてくれて、小さなことでもありがとうと言ってくれた。
「彼女とは終わった。もう一度チャンスが欲しい」
「そうなのね」
「もう……元には戻れないんだろうか?君とまたやり直したい」
「そうだったのね」
私の返事に彼は困ったような顔をした。
もう彼の言動に興味を持ちたくはなかった。
「いいわけはしない。聞きたいことがあれば何でも答えるから、もっとお互いの気持ちを素直に話し合いたい」
その必要性を感じない。
「私は、穏やかに過ごしたいわ」
「できれば離婚を考え直してくれないだろうか……」
記入済み離婚届は用意している。
けれどそれを提出する前に私は死ぬ。
結局最期までこの人の妻であることには変わりない。
「好きにしてくれていいわ」
「すぐにじゃなくていいから、俺頑張って名誉挽回する。君に赦してもらえるまでなんだってするから」
彼は嬉しそうだった。
離婚がなくなったと思っているんだろう。
神様は私たちの隣で話を聞いていた。
「離婚はなくなったんだ」
『離婚はそもそもできないわよ。死別予定だから』
私は神様にだけ聞こえるように心の中でそう言った。
「確かにそうだな」
神様は納得したように頷いた。
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