惑う侍(まどうさむらい)

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「木下さん、お休みですよ」 営業科に頼まれて作成した資料を持って行こうとしたら、隣に座っていた坂 本さんが言った。 坂本さんはどうしてこの資料が木下さんの為なのだと知ってるんだろう。 「木下さん、その仕事最初私に回してきたんですけど、私の担当分ではないので」 あっそうか、メンタルやられて絶賛休職中の人の資料は私がアシストしてたからね。 坂本さんは車輪のついた椅子をカラカラと私の側に寄せて ナイショですよ、といわくありげな顔で言った。 「ホワイトアウトしたらしいんです」 えっ ホワイトアウト? 小さい頃に映画であったよね。 確か雪で視界が白一色になるやつ。 方向とか場所とかわからなくなるんだっけ? でも木下さん、今6月なのにスキーにいったって事? 「いつ?どこで?」 それに、木下さんのあの出っ張ったお腹をみてスポーツしてるように見えないけど。 もしくは実家が北国とか… 「昼休みの休憩室ですよ、この階の」 ここは屋内だし吹雪なんて休憩室では起こらないでしょう。 私は助けを求めるべく向かい側に座っていた藤原君をみた。 相変わらずクールでカッコいい。 ついつい見とれてしまう。 藤原君もじっとこちらを見ている。 これは、もしかして何か言いたいのかな? でも助けてはくれないらしい。 「それで家族の方が来られて連れて帰ったんですけど 一度専門の病院で診てもらおうって。重度だったらしばらく会社は休んで療養したほうが良いって話みたいです」 「そうなんだ」 不明瞭だけど、まあいいか とりあえず、結論がわかったのでアウトプットした書類を通路にある収納庫にファイリングしに行く。 木下さんが出社したら渡せるように客先毎にわけているのバインダーにしまうことにした。 鍵ボックスから所定の番号の鍵を取り出す。 通路に移動し中身を確認して挟んでいたら、 向こうから藤原君が来た。 通り過ぎ易いように体を引いたんだけど彼は私の前で立ち止まった。 近い、凄く近い、足がくっつきそう。 彼は顔を近づけると小さい声で言った。 「ホワイトアウトではなくてブラックアウトですよ」 「えっ」 「木下さん、お酒のせいで時々、記憶が飛ぶようになったんです 相変わらず休憩室で飲んでて 様子がおかしかったからご家族の方に連絡することにしたんです」 アルコールに依存気味の人に 時々起こる症状らしい。 ホワイトアウト ブラックアウト…坂本さん、色違うじゃん 木下さんが雪で遭難したのかと思ったよ。しかも休憩室で。 吹き出しそうになるのを必死で耐えた。 ここで就業時間中に大笑いすると 悪目立ちするから 坂本さん、あんなに含んだ言い方しといて、うかつな言い間違いするなんて…笑える。 しかも藤原君まで知ってるという事はこの話、内緒でもなさそうだし。 私が納得が出来たのを確認すると 藤原さんはすっと離れてまた歩き出した。 後ろ姿も素敵 ずっと見ていたいなあ。 就業終了の時間が来て残業申請をした。 30分だけ、週明け一番にミーティングで使う資料がまだ出来ていなかったから。 藤原君も相変わらずの残業でコーヒーを買いに行った。 戻って席に座った時に聞いてみる。 「さっき、どうしてあの場で教えてくれなかったんですか」 「うん?」 「ホワイトアウトな件」 「…なんとなく苦手で」 「苦手…」 なにが…あっ そういえば子沢山のママで密かに藤原さんに推し活中あきこさんが言っていた。 私がここに配属された日に一度だけ。 坂本さん、藤原さんと同じ部署であるのを良いことに会社でもしつこくつきまとうし、ストーカーまがいの事をして休みの日も住んでいる所に出没したりしていたらしい。 あまりにその行動がひどすぎて 弱ってる藤原さんを見て あきこさんが会社に訴えた。 最初は知らぬ存ぜぬと彼女は言い張ったが、証拠写真も複数あり、言い逃れ出来なくなると、急に話を変えて「私と藤原君は付き合ってます」と言いだした。 ぶっ飛んだ話に展開に 藤原君に確認すると 付き合うではなく付きまとわれている。もう半年以上になる、答えたらしい。 それでセクハラに認定され彼女は会社から謹慎をしばらくくらっていたらしい。 あきこさんは言った。 「あの人は変わってるから深く付き合う必要はないし、目を付けられるとやっかいだから気を付けるように。 特に藤原君関係はね」 復帰した今も変わらず同じ部署にいることが不思議だった。 坂本さんを移動させようという話があった筈なのにメンタル上司に坂本さんが泣きついたらしい。 そういう事を許しちゃうのがメンタル崩壊に繋がったんじゃない? そういう事もあって藤原君は自己防衛の為に自分からは坂本さんに接触しないようにしているんだろうな。 きっとこういう事は今までも度々あって、 でもなかったように見せてきたんだろうな。 「可哀想に」 藤原君はゆっくり画面から顔を上げた。 慎重に私の様子から何か読み取ろうとしている感じ。 正直いえば坂本さんは綺麗でも可愛くもない。 見た目の美人とはまた違う。 表情が策に溺れすぎてひん曲がってるのだ。 あきこさんに対して恨みもあるから何やかんや行って上司につまらない事、些細な事でも文句を言っている。 周りはなんとなくわかっているし、あきこさんが優秀だから気にしないけど気持ちの良いものではない。 そういう考えや行動が坂本さんの表情にはある。 まあ、可哀想だよね。 まだ藤原君は私を見ている。 しかしなあ、 「近くにいる人が信じられなくなるのはキツイですよね。 女子だとわりとありますよ。 親父のセクハラみたいな感じ。 上司とか客先とか信頼して仲良くしてたら、そういう目で見出したり、言い出されたりして いや勘違いすんなよと言いたい。 誰が好き好んで還暦前のデブ、相手にするんだよ。 一緒に生きてきた嫁もいるだろうって思います」 「ぶっ」 「べつにその人をクズ扱いしてない…まあ、ことはないけど、私に対して押せばいけるとか思って訳でしょう?そこまで自分を見下げてるんだと思うと腹が立ちます」 「うん」 「ごめんなさい、全然違う話でしたね」 「いや、男としては身につまされる話だよ、ありがとう」 藤原君が微笑んだ。 あっやばい これは駄目、完落ちするよな、この笑顔は 私がセクハラジジイになってしまう。 「さっ私これ仕上げたら帰ります、お邪魔しました〜」 「…」 恋に落ちた、なんて勘違いする前に退散退散。 そうやって金曜の夜は終って行ったのだ。
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