惑う侍(まどうさむらい)

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あきこさんが藤原君と私が独り住まいの家に帰って坂本さんに襲われたら危ないからと ご自宅に泊めて貰うことになった。 大家族の家に大人が2人も泊まるのは気が引けるが、正直怖いのも事実で お言葉に甘える事にした。 あきこさんと藤原君、私を乗せた車は 閑静な住宅街を走ると程なくあるお家の車停めに停まった。 夜遅いからと駐車場側の入口から入る。 暗くて見えにくいがめっちゃ広い。 母屋ではなくどうやら別棟に案内されるらしい。 別棟はトイレ付きの客室が2つお風呂が一つ簡単なキッチンにリビングダイニングもあった。 あきこさんは母屋に居るから何かあったら携帯に連絡して、と言った。 後からお手伝いさんらしき人がお嫌でなければと、真新しい下着とホテルなんかで渡される浴衣を私と藤原君にそれぞれ手渡しする。 来客用なんだろうな。 藤原君に先にお風呂に入ってもらい、交代で入る。 メイク…せめてアイブロウぐらいしたいけど 不自然だし、仕方ない。 すっぴんで出る事にした。 スキンケアは揃っていたし他に問題はなかった 藤原君はリビングのソファに腰掛けて 缶ビールを飲んでいた。 浴衣姿もやっぱり格好良い。 写真撮りたいけど…引かれるよね、やっぱ 「良いもの飲んでますね」 「冷蔵庫に入って居たよ」 私はウキウキしながらキッチンに向かった。 ぷしゅ ゴクゴクゴク 「あ〜うま!」 「うん」 ビールが体に染みるなあ。 今日は精神的に疲れた。 鰻なんて最後の方、味わかんなかったよ。 「あきこさんの家、めっちゃ広いですよね」 「確か古い家を買って改築してるみたいだよ」 「確かに、壁紙とか柱とか新しいけど造りが現代ぽくない感じ」 藤原君、よく知ってるなあ。 「あきこさんのご主人、明日には会うと思うけど誰か知ってる?」 「いいえ、会社の方ですか?」 「そう、松平次長だよ」 えっ… あの三大上司の一人じゃん! 温和に見えて実は相当効率大好き仕事人で 馬みたいに自分と周りを働かせたらパッと帰るという。 「ウッソー!」 「声がでかいよ」 私は向かい側に座っていたのを移動して 長椅子の彼のソファの隣に座った。 「あきこさんと松平次長は同期でこの会社に入ったんだ」 そうか、年齢も多分同じ位だもんね。 「次長は入社式の前の顔合わせの頃からあきこさんにベタ惚れしてしまって、口説き落としたんだけど、他の男に取られるんじゃないかと不安で仕方なかった、それで策に出たんだよ」 「策?」 「すぐに妊娠させたんだ」 「ゲッ」 「あきこさんのご両親は勿論、あきこさんも大泣きに泣いたらしい、 そりゃ社会人1年目で人生今からって時に妊娠だから 次長のご両親も最初は息子が変な女に騙されたと思ってた。 でも会ってみたら、親もまともだし、あきこさんは声を上げて泣いてる。 その時次長は 「あきこさんを絶対に幸せにします! だから結婚を許して下さい」 の一点張りだった。 それでもみんな納得がいかず 収集がつかなくなるのを見て取った次長は その場からあきこさんを連れ出した。 とはいえ、 彼女を昼間一人にして寂しい思いはさせたくない。 それで、あきこさんの実の姉が住んでいる社宅の近くに狭いながらも部屋を借りた。 姉夫婦は小さい子供がいたから 姉は昼間も家にいるし出産や子育ての相談もしやすい。 母親も姉の所に行けばあきこさんに会えるし心強い。 そうやってあきこさんは次長の思惑通り何人も子供を生んで彼らの手がからなくなった時点で 「私はこれから自分の人生を取り戻す!」 と次長に宣言した。 毎日、洗濯やご飯だけでも大量で1日、買い物以外は家を離れられなかったあきこさんがそう宣言したんだ。 おじさんは勿論賛成したよ。 仕事をさせなかった負い目もあるし こんな立派な家を買って改築したのに 掃除が大変だ、なんて文句ばっかりだった。 お手伝いさんを雇う余裕も充分あったのに、勿体ないって使おうとしなかったんだ」 「藤原君、今次長のことおじさんっていわなかった?」 「ああ、そうなんだあきこさんの姉の息子が僕な…」 何かに気づいた藤原君が慌てて私の口を片手で塞いだ。 よくお分かりで、 発狂しそうになったよ。 藤原君はゆっくりと私の手を離すと言った。 「もう夜遅いから気をつけて」 「次長って、クズなのか優しいのかわかりませんね」 「いや、多分彼は…」 相変わらずクールフェイスだけど…口の端、もしかして上がってる? 「一途なんだと思うよ。あきこさんと出会ってからは一度も浮気した事ないし」 「えっ、そりゃそうじゃん、普通は浮気なんて考えられないよ」 「…まあ、そうだね」 あっそうか、藤原君は、そうでもない姿を見てきてるから 素直にうん、とは言えないか… 考えこむ私に藤原君は言った 「君が羨ましい…はっきりしていて、ちゃんと物事が見えていて」 そう言って私の濡れた髪を梳いた。 「髪を乾かさないと駄目だよ、缶ビールは、僕がゆすいでおくから乾かしておいで」 ゆっくり立ち上がると缶を2つ持って彼はキッチンへ行った。 1日の最後は優しい時間だった。 もうすぐこの人とは会えなくなる。 私は泣きそうになった。 時が過ぎれば今日のこの時間も良い思い出になる。 なんて考えられないよ〜(今は) そう思っていたのに、 次の日は爆弾級の出来事が待っていたのだった
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