蛍と彼岸

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「──ここか」 少年の言っていた『十三番地の公衆電話』は、考えていたよりもずっと綺麗だった。人に全く使われなくなったものは見てそれと分かる無残な有様になっているのが常だが、この公衆電話は違う。明らかにたびたび人の出入りがある痕跡がある。 扉を開けても軋む音がしなかったどころか、滑らかに中へと促された心地がした。 ときおり明滅する灯りに照らされた中には言葉通り、一枚の名刺が置かれている。 『夜科蛍 番号 ✕✕✕──』 見る限り携帯電話の番号のようだ。俺は受話器を上げると十円を三枚入れ、書かれている通りに電話を掛けた。トトト、トトト。はじめに細切れの音が響く。 ──そののち。 「──……っ!」 静寂と相反した呼び出し音が耳に刺さる。 それが一度、二度、三度。硬い音が鼓膜に刺さる。 『はい、こちら夜科。ご用件をどうぞ』 季節に似合わぬ、冬の夜の冷涼さを孕んだ男の声がした。心なしか苛立っているように聞こえなくもないのは気のせいだろうか。否、俺と彼は初対面。もとい、初めて話したから苛立たせる理由は無かった。と思いたい。 「──あ、」 まさか繋がるとは思っていなかった俺はとっさに言葉が出てこずに黙り込む。実験、イタズラ、好奇心。どれを話したところで相手の納得のいく答えは得られまい。電話越しでも俺がためらう様子に気付いた男──夜科は、今度は明らかな苛立ちを込めて大きな舌打ちをした。 『──冷やかしか。用がないならさっさと切れ』 殺気を含ませた言葉に項がざわざわと粟立つ。 俺はなんとか言葉を絞り出そうとした。 「──あ、の」 『なんだ』 夜科の声は冷ややかだ。俺はそれに負けじとわずかに声を張り、動じていない様子を装って告げた。 「『そっち』に居る人たちの中で、 俺に伝えたいことのある人は居ませんか」 『──、……分かった。調べてみよう』 夜科がかすかに息を呑む。イタズラでなく『頼み』だと認識してくれたのだろう、電話の向こう側で何度か書物のページをめくる音がした。 一分にも満たない時間が、永劫に感じられた。 夜科が書物を閉じた気配がする。そうして俺に向かって短く呼び掛けた。 『ひとり居た。今から繋ぐが、基本的に繋いだ相手とは会話が出来ない。向こうからの言葉を聞くだけになる。入れた硬貨の効果が切れたら終いだ』 「分かりました、お願いします」 いよいよ冥界と繋がる。歓喜と恐怖が綯い交ぜになった情動が湧き上がって、鳥肌がやまない。 俺は固く受話器を握り締めて『その時』を待った。 ──のちの相手に更に驚くことになるとは知らず。 『──もしもし』 数秒の間を挟んで。 聞こえてきた、その、声は。 「──っ、え、」 『良かった、やっと伝えることが出来る。 俺は、 ──お前だよ』 紛れもなく、俺自身の声だった。
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