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3.コーヒーが美味かったから
「は……」
とっさにごまかそうと思ったが、泥酔していながらも案外焦点はしっかりしている彼の目から目が逸らせない。そもそも……あれだけ毎日、彼の姿ばかり目で追ってしまっていたのだ。仕事で指示をもらうとき、どきどきしてしまう心臓をどう宥めるか、そればかり考えてしまっていたのだ。
ごまかせるはずもない。
「好き、だからです」
ああ、どうせ告白するなら、こんなに口の中がアルコールで粘ついていないときがよかった。そう心中で嘆いている間にネクタイが強く引かれ、奨はぎょっとした。
「え、栗栖さん、ちょっと」
「どこが?」
制止しようとして奨は声を詰まらせる。間近く、黒い瞳がじいっと奨の顔を見上げていた。
「俺のどこが好きだって? 顔?」
「えええ」
まさかそんなにぐいぐい詰められると思っていなかった。そもそも好きと言われてこの人はなにを思ったのだろう。驚いたりしないのか?
様々な感情が脳内を駆け巡ったが、栗栖の手はネクタイに絡みついていて許してくれそうにない。
「顔、は、確かに好きです。あとその、性格も……」
「性格?」
ふっと唇が歪められた。突き放すように彼の手がほどける。
「ああ、そっか。うん。それはよかった」
よかった?
ああ、そうか。顔だけで好きになられることもこの人なら多そうだ。だからこそのよかったか。そう想像はできたけれど、なにかがひっかかった。
なんとなくだけれど、この人は本当によかったと思ってはいない気がした。そう感じた理由は……今、彼の顔に浮かんでいる表情が見たことがあるものだったからかもしれない。
給湯室でひとりきりでコーヒーを飲むときの不機嫌そうな表情。それと同じ顔を今、彼はしていた。
この人は、なぜこんな顔をするのだろう。
なんで。
不意に蘇ったのは、あの顔を最初に見たときの、言い知れない胸の疼きだった。
「俺は……給湯室にいるときの栗栖さんが一番気になります。コーヒー飲んで窓の外、見てるとき」
あの顔を見ているとなぜだか寂しくなるのだ、とは言えなかった。自分でもよくわからない感情だから。
栗栖は給湯室で見せる顔をさらに煮詰めた表情で奨を見上げている。その顔を見ていたら口が滑ってしまった。
「口が悪い栗栖さんもなんか……好きです」
栗栖の唇がわずかに開く。まじまじとこちらを見つめた後、彼は玄関横の壁にもたれかかって額を押さえた。
「コーヒー、ある?」
「ありますけど。水のほうがよくありませんか?」
「四の五の言うな。あるなら淹れて」
横柄極まりない。本当にこの人、どうなっちゃったんだろう。酒乱というやつか。
怪しみつつも、だらしなく投げ出された彼の足をまたぎこえ、キッチンへと向かう。といっても狭いワンルームだ。玄関を入ってまっすぐ伸びた通路の途中にキッチンは備え付けられている。数歩も行かないうちに辿り着き、奨は彼に命じられるままコーヒーを淹れることにした。
水切り籠に干してあったマグカップを取り出す。粉を入れて湯を注ぐだけのものだけれど、普段自分が飲むよりも丁寧に用意して彼の元へ戻る。熱いですよ、と注意したにもかかわらず彼は、熱いわ! と文句を言いつつコーヒーをすすった。
それきりただただ彼はコーヒーを飲む。その飲み方を見ながら奨はやっぱり思う。
相変わらずこの人は少しも美味しそうじゃない顔でコーヒーを飲むな、と。
「奈良くん」
名前を呼ばれ、我に返る。彼の顔を覗き込んだ奨は、目を疑った。
彼の顔に笑みが浮かべられていた。
「付き合おうか」
柔らかい声で彼はそう言った。言われた意味がわからず数秒固まると、栗栖は困ったように首を傾げた。
「好きって言ってくれたのは嘘?」
「嘘じゃ、ないです」
嘘じゃない。嘘じゃないが、目の前で起こった目まぐるしい表情変化についていけなかった。
さっきまで部長を全力で罵倒していた人と同じ人とは思えない、凪いだ顔で彼が笑う。
「あの……ええと、なんで……」
「そうだなあ」
彼は空になったコーヒーカップを見下ろして呟く。
「コーヒーが、美味かったからかなあ」
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