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「そこでだ、結城くん」
源文は営業の成績が伸び悩んでいる件について嵐山部長のデスクに呼び出された。入社3ヶ月そろそろ取引先に顔を覚えて貰わねばならないが印象が薄いらしく訪問する度に「君、誰だっけ」と尋ねられると言った。
「此処での立ち話もなんだ、あの、その会議室に行かないか」
「はぁ、良いっすよ」
「その言葉遣いも改善するように」
「はい、了解っす」
バタン
椅子に腰掛けるなり嵐山龍馬は文鳥に成り下がった。源文は個人的事情で会議室に呼び出されたのだろうと察し目を輝かせた。
「その」
「はい」
「このまえの店の料理は美味かった」
「えーーと、何処の店の事でしょうか」
そんな事は分かりきっていた。母親の店の事を指している。これはちょっとした悪戯心だった。
「ーーーーっ!」
「新歓迎会の料亭、あ、焼き鳥屋でしたっけ」
「ち、違う」
「あぁ、あのイタリアンバルのピザも美味かったっすね!」
文鳥は銀縁眼鏡を上げたり下げたりしながら長机の一点を見つめていた。口元でなにやらごにょごにょと言い淀んでいる。こんな姿を営業部の面々が見たらさぞ驚く事だろう。
心の声A(なに挙動不審者かよ)
心の声B(頑張って下さい!)
心の声C(結城が笑ってんぞ)
「あぁ、うちの店ですか」
文鳥があまりに気の毒になり源文が助け舟を出した。すると文鳥の表情は明るくなり羽根をばたつかせて喜んだ。
(面白れぇ)
「そ、そうなんだ御母堂の店の蕗と油揚げの煮物が美味しくて、また食べたくて」
「食べに行けば良いじゃないすか」
「そ、それはそうだな」
沈黙。
「部長、俺そろそろ次の予約があるんで」
「そ、そうか」
「もう話、良いっすか」
「そうか、頑張って来い」
「じゃ、行ってきます」
「ーーーーはい」
(言い出せなかったーーーーー!)
当たり前だ、会社でその様な話題を持ち出すなど言語道断、文鳥は力無く長机に突っ伏した。突っ伏したが今この状態で由宇に交際を持ち出す訳にはゆかなかった。先ず外堀、由宇の息子である源文を陥落せねばならない。
(将来的におっ、お父さんと呼ばれるかもしれないからな!)
もう既に頭の中では部下の結城ではなく源文くん呼び。それもその筈、文鳥は気が早い。
(先ずは源文くんの理解を得なければ!)
1番目の妻も2番目の妻もほんの数回会っただけで結婚しなければならないと思い込み婚姻届に印鑑を捺した。そんな結婚生活が長続きする筈もなく現在に至る。
心の声A(生真面目すぎるんだよ!)
心の声B(不誠実な事は出来ないだろう!)
心の声C(もう結婚すれば良いと思う人、挙手)
心の声一同(賛成)
嵐山龍馬は由宇を妻として迎える気満々だった。
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