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嵐山龍馬が1杯目のお猪口を飲み干すと由宇は着物の袂に手を添えながら徳利を傾けた。
「蕗と油揚げの煮物がお口に合いました?」
「源文くんからお聞きになられたんですか」
「はい、LINEメッセージが届いていました」
「そうですか」
店に訪れた言い訳が露見した事で顔が赤らんだ。
「お召し上がりになられますか」
「あ、はい」
九谷焼の器に品良く盛り付けられた蕗の筋は一本一本丁寧に処理され噛んだ瞬間の歯応えが絶妙だった。口に含んだ油揚げから染み出す北陸らしい甘い出汁は日本酒に良く合った。
「美味しい」
「ありがとうございます」
「毎日でも食べたいです」
「毎日でもお作りしますよ」
由宇の微笑みが社交辞令なのか本心なのか見極めが付かない嵐山龍馬はこの頃合いで告白するべきか否か悩んだ。
心の声B(今は未だ早いですよ!)
心の声A(当たって砕けるのもアリだな)
心の声B(そんな勿体無い!ここは慎重に!)
心の声C(急がば回れ)
心の声B(そうですよ!)
心の声A(GOGO!)
「あ、あの」
「駄目ですよ」
「えっ」
心の声B(ほらやっぱりーーー!)
「お酒はそれでお終いですよ」
「あ、あぁ」
気がつけば煽る様に飲み干したお猪口は空になっていた。
「タクシー呼びますね、ご都合の良い会社はあります?」
「では、北陸交通で」
「はい」
由宇は店の奥でタクシー配車依頼の電話を入れていた。改めて店内を見渡すと華美な装飾もなく落ち着いた雰囲気だ。間口の狭いカウンター席が10脚、これならば女性1人でもなんとか切り盛り出来そうだ。
「タクシー、5分から10分で来るそうですよ」
「ありがとうございます」
それにしても壁にはネームタグの付いた日本酒に洋酒、焼酎の瓶がずらりと並んでいる。これら全てが顧客ならば居酒屋ゆうは人気の店なのだろう。それ等をじっと見つめていると声を掛けられた。
「嵐山さんのお酒を入れておきましょうか」
「入れ、入れる?」
「ボトルキープです、3,000円から5,000円ですよ」
心の声A(ボトルキープすれば?)
心の声C(妙案ですね!賛成!)
心の声B(同意します!)
ボトルをキープすれば下戸が連日来店してもおかしくない。
「嵐山さんは甘いお酒と辛いお酒、どちらがお好きかしら」
「飲みやすいのは」
「菊姫は軽くて甘めで水の様に飲めますよ」
「あぁ、鶴来町の酒蔵ですね」
「あら、お酒が苦手なのに良くご存じなのね」
「父が酒豪ですから」
由宇は何気なく嵐山龍馬の母親に言及したが謝罪する事となった。ただそれは嵐山龍馬にとって話の切り口となった。
「嵐山さんはお母様似なのかしら」
「如何かわかりません、母は私が小学生の頃に亡くなりました」
「あ、あら。ごめんなさいご愁傷様です」
「気になさらないで下さい」
心の声A(此処で言え!言うんだ!)
カウンターの上で握り拳を作り自身を奮い立たせた。
「はっつ!」
「はっつ?」
「母が私の理想です!」
自分でも意図せぬ言葉が転がり出た。
「お母様が?」
「私の理想の女性は母です!」
「お母様が、理想」
心の声A(アウトーーー!)
心の声B(な、なに言ってるんですか!)
心の声C(マザコンだろ、マザコン決定だろう!)
「チッ、違います!母では無く、いや、母、いや違います!」
「あらまぁ、落ち着いて下さい」
「由宇さんは、私の」
「嵐山さんの」
「私の理想の女性です!」
心の声A(言ったーーー!)
心の声B(ああああああ!)
心の声C(よし、よし!よし!)
由宇はそれをお世辞と取ったのか「あら、まぁ」と笑った。
心の声A (通じてない!)
心の声B(通じてない!)
心の声C (通じてない!)
ボトルキープの名札と油性ペンを取り出した由宇は「はい、お名前を書いて下さいね」とそれを手渡した。如何にも自分の意図が通じないこの状態に意気消沈した嵐山龍馬は渋々名前を記入してカウンター越しに手渡した。
「ーーーー!?」
由宇はその手を握ると手のひらに油性ペンで携帯電話番号を書き込んだ。
「接客中は出られませんがいつでもお電話下さい」
「あっ、はっ、はい」
「待ってます」
丁度そこで店先に緑色の行灯が到着した。
「あら、早い」
由宇が見送る為にカウンターから出ると嵐山龍馬はスーツのポケットから長財布を取り出した。
「ご馳走様でした」
「お代金はこれで頂きます」
「え?」
そう呟いた由宇の唇が嵐山龍馬の唇に重なった。
心の声A(うわーー!マジか!)
心の声B(やだ、由宇さんってば、だ・い・た・ん♡)
心の声C(意外な展開!)
心の声D(抱きしめろ!舌を入れるんだ!)
腕を回し抱きしめ合う2人、嵐山龍馬は由宇の顎を掴むと引き寄せ舌を差し込んだ。由宇はそれを拒む事なく受け入れると舌を絡め互いに唇を吸い舐め合った。甘い吐息が漏れた。
「ーーー明日、待ってます」
明日は金曜日だ。
「はい」
もう一度唇を重ねているとタクシー乗務員が「お待たせしました」と声を掛けて来たが驚いた顔をして「失礼しました!」と慌てて扉を閉めた。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
嵐山龍馬の唇には由宇の赤い紅が着いた。
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