金曜の夜

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「あ、こんばんは」 「嵐山さんいらして下さったのね、お待ちしておりました」 「ーーーーー」  由宇の若い男(嵐山龍馬)に発した声色と姿勢が自身に対するものと明らかに異なっていた事に気分を害した権蔵は嵐山龍馬の革靴を踏みつけた。 (ーーーー!)  権蔵は嵐山龍馬をおどおどしている優男(やさおとこ)だと思い込みその行動に出たのだがそれは見当違いだった。上目遣いで睨みを効かせた形相はまさに鬼、鬼気迫るものがあった。権蔵は震え上がった。 「ゆ、由宇ちゃんお勘定」 「あら、いらしたばかりなのに」 「急用を思い出してな、笹谷さんも、ほれ」 「あ、ああ」  権蔵としては源文(もとふみ)の暖簾に腕押しのらりくらりとした牽制も気味が悪かったが嵐山龍馬の睨みはそれを上回った。これで由宇の周りを害虫たちが「ぶんぶん」と飛び回る事も無いだろう。 「さぁここにお座りになって」 「お邪魔します」  これで由宇の真正面に座る事が出来たのだが尻の下の生温さがあの狸のものだと思うと怖気がした。 「どうなさったの、お顔の色が」 「あ、いえ。狸が」  熱いおしぼりが手渡された。 「狸?あぁ、権蔵さんの事ね。可愛い人なんだけど困った方なの」 「そうなんですか」 「そうなの、ね?」  周囲の客も頷いた。成る程、源文が毛嫌いしていた意味がようやく分かった。そこでカウンターに瓢箪(ひょうたん)の箸置きと紫檀(したん)の箸が置かれた。 「嵐山さん、山菜はお好きですか?」 「はい」 「これ、食べてみてくださいな」  九谷焼の器に盛られた高野豆腐(こうやどうふ)(わらび)の煮物、この鉢物も美味かった。この店(居酒屋ゆう)は由宇の美貌で繁盛している訳では無く料理の質の高さがくちこみで広がり顧客を獲得していた。 「美味しいです」 「良かった、なめこと長芋の和物(あえもの)、これは如何かしら」  小鉢には短冊に切った長芋となめこの酢の物、程よい味付けで好みだった。 「嵐山さん」 「はい、美味しいです」 「長芋はの効果があるんですよ」 「そ、そうなんですか」 「おかわりどうですか」 「お、お願いします」 心の声D(由宇、やる気満々だな) 心の声B(そんなはしたない!) 心の声A(ーーーーーー) 心の声一同(あの顔はやる気満々だ)  嵐山龍馬は由宇の眩しい微笑みに腰が引けた。
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