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それは初めてこの部屋に由宇が嵐山龍馬をお持ち帰りした翌日の朝と翌々日の夕方の事だった。
<申し訳ありませんでした!>
酩酊した嵐山龍馬は由宇と甘い一夜を過ごしたものだと思い込み、床に額を擦り付け謝罪の言葉を繰り返した。
<粗品ですがお詫びの品です!>
その手にはGODIVAのチョコレートを2箱持っていた。そして由宇という女性と部下の母親は分けて考えたいと面倒な事を言っていた。
<源文くんの了承を頂いたら!>
<源文のなんでしょうか>
<結婚を前提としたお付き合いをお願いします!>
その目は真剣で、自身の記入欄を埋めた婚姻届まで持参した。
<はぁ、結婚はご遠慮いたします>
<お願いします!>
<このままの良い関係でよろしいじゃないですか>
<お願いします!>
やがて2人は金曜日の晩になると店のカウンターでもやしのひげ根を取り由宇の部屋で熱い夜を重ねる様になった。確かに嵐山龍馬は生真面目で几帳面、根は純粋な人間である事は間違いは無かった。
(本当に憎めない人ね)
由宇は大きなため息を吐いた。すると嵐山龍馬はビクッと肩を震わせて「申し訳ございませんでした!」を繰り返した。
「宜しいですよ」
由宇はその肩に手を置いて2回程軽く叩いた。嵐山龍馬は躊躇いながら顔を上げたが頬には青痣、額はカーペットに擦れて赤らみ何なら糸屑も付いている。整った面差しと仕立ての良い濃灰のスーツが台無しだ。
「ーーーゆ、うさん」
「出来心だったのでしょう?」
「はっつ、はい!」
「本当に殿方は仕方の無い生き物ね」
「はっつ、はい!」
居酒屋の女将ともなれば男女関係の悶着を目の当たりにするなど日常茶飯事だ。しかも寡婦の49歳と離婚間際の52歳、若い頃ならばいざ知らず騒ぎ立てる事でも無いような気さえする。
「私も悪かったわ」
「え」
「つまらぬ意地を張って嵐山さんのお申し出を無下にしておきながらひとりで騒ぎ立てて恥ずかしいわ」
「そんな、私が悪いんです」
由宇は厳しい面立ちでその頬を軽く叩いた。
「そうです、悪いんですよ!」
「すみません」
そこで嵐山龍馬は花弁が醜く落ちてしまった深紅の薔薇を差し出した。
「これ、どうぞ」
「ありがとうございます。今日は桔梗の花ではないのね」
「特別な日ですから、49本」
由宇の眉間に皺が寄った。
「もう!40、し、死ぬの4じゃない!
「そういう訳ではなく」
「しかも9、苦しみの9!」
「そんなつもりでは!」
嵐山龍馬はまた地雷を踏んだ。
心の声一同(やっちまったなーー!)
「それに49歳!もう50歳!大台よ!50歳!」
「そんな意味では!!」
由宇は罵ったが薔薇の花束の匂いを嗅ぎながら極上の笑みを浮かべた。
心の声A(なんだどうした)
心の声B(なんだか嬉しそうですね)
心の声C(やっぱり美人だな)
心の声D(情緒不安定なんじゃね?)
心の声E(このタイミング!今ですよ!今!)
「ありがとうございます」
「い、いえ」
嵐山龍馬は一世一代の大勝負に出た。
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