居酒屋 ゆう

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「あら、源文(もとふみ)。店に顔出すなんて珍しいわね」 「あーーー、ぶんぶん虫が飛んでいないか確認しに来たんだよ」 「ぶ、ぶんぶん」  由宇の一人息子である源文は、色欲丸出しの権蔵と笹谷を忌み嫌って居た。いくら財産や地位があれど60代の狸と狐を「お父さん」と呼ぶなど以ての外だった。 「も、源文くん、就職おめでとう」 「あざーす」 「外資系企業だってね、凄いじゃないか」 「あざーす」  源文の冷めた目で睨み付けられた権蔵と笹谷は「飲み直すぞ、由宇さんまたな」と10,000円札をカウンターに置いて慌ただしく出て行った。その2人が出て行くと入れ違いに残念すぎる鶴が簾暖簾を手で開けた。 「あら、やっぱり嵐山さん」 「はい?」 「なに、母ちゃん嵐山さんと知り合いなの、客?」 「いや、私はこの店は初めてですがどちらかでお会いしましたでしょうか」  由宇は茶色の婚姻届を握り締め自動扉のガラス戸にくちばしをぶつけた鶴を想像して吹き出しそうになるのをグッと堪えた。すると嵐山は丁寧に深々と頭を下げた。 「私、息子さんの上司をやらせて頂いています嵐山龍馬と申します」  つられて由宇も深々とお辞儀をした。 「私、息子の母親をやらせて頂いています結城由宇と申します」  鶴は源文の上司で営業部の部長だと言った。濃灰に深紅のネクタイ、間近に見れば見るほど見惚れる顔立ちをしていた。職業柄、稀にテレビ番組の取材を受ける事もあるが芸能人にも劣らない雰囲気を醸し出していた。 「さぁさ、立ち話もなんですからお座り下さい」 「はい」 「源文も座って、呑めるんでしょう」  源文は椅子を引くと座面を叩いた。 「部長、金曜の夜ですから景気良くいきましょう!」 「そうだな、私もそんな気分だ」 「そうなんすか」 「そうなんです」  由宇はそれはそうよねと悪戯心でお銚子を注いだ。 「あら、嵐山さんご結婚は?」  嵐山龍馬は熱燗を口から噴き出すと慌てておしぼりで口とカウンターを拭き始めた。事情を知らない源文は黙々とビールを手酌で呑んでいた。由宇が新しいおしぼりを手渡すと顔を赤らめた嵐山龍馬は左手の薬指を隠した。 「つ、妻が1人います」 「嵐山さんのお家は一夫多妻制なんですか?」 「い、いえそういう訳ではなく」 「色々とお有りの様ですね」 「い、いえそういう訳ではなく」  しどろもどろに答える嵐山龍馬の姿に(こら)える事が出来なくなった由宇は笑みを溢した。その笑顔に釘付けになった嵐山龍馬の口から思いも寄らぬ言葉が転げ出た。 「美しい」  源文はビールを盛大に噴き出した。
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