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私は腕時計を見た。
いつの間にか定時の17時を回り、18時が近くなっていた。
そのヒントを見て有給申請よりも先に済ませないといけない大切なことを思い出した私は、急いでパソコンをシャットダウンすると、慌てて会社を飛び出した。
時間的にもうアパートに帰っている頃だろう。
本当は電話してから行くべきなんだろうけど、もう何ヶ月もそれすら忘れていた以上、今更電話するのも恥ずかしい。
いや。
“直接会って話したい”
今はそう思った。
電車を乗り継ぎ、昔何度か来たことのあるアパートの前に立つ。
下から見上げる二階のその部屋には、既に灯りがついていた。
私は階段を駆け上がり、その部屋の前に立ち、一つ深呼吸した後、呼び鈴を押した。
昔のタイプの部屋なので、モニター画面なんてない。
部屋の中でチャイムが鳴っているのが外まで聞こえてきた。
パタパタと足音がこちらに向かい、ドアスコープからこちらを覗いている気配を感じたと思った瞬間、チェーンロックが外されてドアが開いた。
「お、お姉ちゃん、どうしたの?」
妹の友梨が、びっくりしたような、それでいて、ずっと私が来るのを待っていた嬉しさを一生懸命隠しているような、複雑な表情で出迎えてくれた。
~パスワードを忘れた場合のヒント~
『あなたの大切な妹の名前は?』
「ごめんね。友梨。
本当にごめ…」
そこまで言ったあと、そこから先は涙があふれて言えなかった。
久しぶりに見た妹の顔。
以前落ち込んでいた時、私を元気づけようと何度も何度も会いに来てくれた妹。
田原くんとのことで喧嘩別れして追い返してしまったままだった妹。
どこから聞いたのか知らないけど、部長に叱責されて落ち込んでるタイミングで、仕事を斡旋してもらうためにフラれた元カレにまで連絡を取ってくれた妹。
言いたいことは沢山ある。
私、自分でも変わらなきゃって気づいて、あれから頑張ったよ。
あの彼ともきちんと別れたよ。
友梨が辛いのにタケルくんに連絡してくれた仕事も、頑張って成約したよ。
そして、いつの間にかタバコもやめてたよ…。
「今まで一言もお礼言えてなくてゴメン」
言いたいことは山ほどあるのに、それだけ言うのが精一杯だった。
私は、無言で友梨に抱きつきながら、泣き続けた。
しばらく黙って聞いていた友梨は、急に私の体を離すと、私の肩に左手を置き、右手の指で、私の涙をそっと拭くと、ゆっくり話し始めた。
「『ご飯作りに行くよ』ってRINE送ったのに『いいよ』って返してくるから、ノーサンキューの意味かと思っちゃったよ。
あと、お姉ちゃんの唯一の友達の湯谷さんにはよーく感謝して。
お姉ちゃんに部屋に行くのを断られたあと、お姉ちゃんの情報を得る窓口は湯谷さんだけだったんだから。
どこで私の連絡先調べたのか知らないけど、湯谷さんが連絡してくれなかったら、私も何にもしてあげられなかったんだからね」
そうか。
湯谷も暗躍してたのか。
そういや彼女、人事部だったな。
人事部の主任さんだったら、そりゃ私の緊急連絡先も分かるよなぁ。
そんなことを考えながら、私は再び妹の胸の中に顔を埋めると、ひたすら泣き続けた。
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