チャイと革靴とキスの場所

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 ふと、テーブルの雑誌が目に入った。  そうだ!  雑誌に載っていたあの話。彼ならなんて言うだろう? 「ね、空知さん」  どうやら本当に気に入ったらしく、追加注文したチャイが彼のもとに届いた。 「もし好きな人にキスするとしたらどこにする?」  浮いたカップがピタリと止まる。そのまま空中で静止してしまった。 「ええっと、藪から棒な質問だね」 「うん。ふいに思いついてね。興味あるの。教えてくれる?」  雑誌にそんな話が書かれていたのだ。色んなコメント寄せられていて、恋愛に疎い私は「ふむふむ」と感心するばかりだった。もし、空知さんなら何と言うだろう?と好奇心が湧いてきて、つい聞いてしまったのだった。  空知さんは、興味が……と呟いてから、コホンと咳払いをする。酒井さんだから勘繰るな、とか聞こえた気がするんだけど、どういう意味だろう?  空中で固まっていたカップが傾く。グビグビといい音を立てて、中身が飲み干される。もっと味わって飲めばいいのに。余程ノドが渇いていたのかな。  ふう、と彼はひと息つく。それから、そうだねぇ、と勿体つけた。私はワクワクして体ごと彼に向き直る。 「僕が思いを寄せる相手にキスするなら……」  空になったカップがゆっくりと降下する。テーブルまで降りていき、けれど着地はせずに宙で停止した。フラフラと揺れているのは、空知さんが手の内で弄んでいるからだろう。カップは居眠りするように体を前後に揺らした後、ストンとテーブルに置かれた。 「背中」  僕なら背中だね、と彼は答えた。 「どうしてって聞いてもいい?」  意外な場所だ。予想していたのは頬や指、おでことかで、背中は思い浮かべもしなかった。  だってね、と彼は言う。 「触れられず、見えないところのほうが、より一層意識してしまうと思わない?」  空知さんの台詞を聞いて、革靴の音が頭をよぎった。店のドアベルが鳴る度に、続いて革靴の音が入ってくるのではないかと耳をすました。彼が身につけているのは革靴だけ。あのコツコツという音だけが、彼の来訪を知らせてくれる。見えないからこそ、足音がしないか耳をそば立ててしまうのだ。  なるほど。 「そうね! 空知さんの革靴の音を聞き分けられるようになったのも、ずっと意識して聞いてたからなのね!」  さすが空知さんだなあ、とウンウン頷いていたら、隣のイスがガタンと鳴った。続いてイテッと聞こえたから、空知さんがイスからズリ落ちたらしい。 「大丈夫?」 「ああ、うん」  心配して声を掛ければ、生返事が返ってきた。いつものオーバーリアクションの彼らしくない。ひょっとして、結構痛かったのかな。 「怪我してない? あなたが怪我しても私には分からないんだから、ちゃんと言ってね」 「……君には敵わないよ」  心配する私を他所に、彼はそんなことを溢す。けれど、私にはその意図は分からず、ひたすら首を捻るばかりだった。
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