西王母

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西王母

 『西王母』と銘打った大賞作と向き合った瞬間、飛鳥(あすか)は土砂降りの雨の中に凛と咲く、薄紫の一輪の椿に運命を信じずにはいられなくなった。  そんな身動きせずに魅入られた娘、飛鳥の姿を見て、父の宗哲(そうてつ)は固唾をのんだ。  「飛鳥!」  その少し尖った声音に、飛鳥は我に返った。  飛鳥の父は藝大の教授でもあり、日本水墨画界の大御所でもある藤井宗哲だった。宗哲は、(よわい)60過ぎの退官まであと数年としながら矍鑠(かくしゃく)とした男で、その力は業界で知らぬ者はない。  宗哲が40過ぎて再婚した若い弟子との子が、飛鳥だった。先妻もやはり宗哲の弟子であったが、宗哲の父の介護に疲れ果てて創作活動が出来ないと言って出て行った。  先妻の間にも長男がいて、宗祀(そうし)という。藝大を卒業したあと、宗哲の一番弟子としてその画風を継いで頭角を現している。  大賞作の作者は、この宗祀と同年代で35を過ぎて注目を浴びるようになった遅咲きの天才と騒がれる、今や時の人であった。
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