落花流水

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 本当は、ただ貴方と過ごす日々を望んでいた。  ――その願いが貴方に苦痛を強いるなら、いっそのこと。  空虚な覚悟が齎したのは、全身を蝕む後悔と、嘗てないほどの寂寥だった。  ◇◇◇◇  出来た。やっと出来た。私が無能だったせいで、こんなにも時間がかかってしまった。時間も金も、持ち得る総ての資源を費やす日々が、漸く報われる。これを発動すれば、漸く積年の願いが叶う。  私は床に書き上げた魔方陣を眺め、長い溜息を吐いた。基礎的な教本の模写から始め、彼方此方の古文書を漁って細部を書き足していった結果、三十畳もの居室全体に広がるほど巨大なものになってしまった。  ここまで来るのに、およそ四年。これは悪魔と契約することで故人を呼び出すための魔方陣だ。私が四年前に殺した彼を呼び出すためのもの。謝って済むことではないけれど、とにかく私は彼に会いたかった。もう一度声が聞きたかったし、体温を感じたかった。その我儘のためだけに私財を擲ってきたのだ。今や一切身寄りのない私は、あらゆる手段で彼を取り戻そうとしてきた。あのときの私にこれだけの覚悟や能力があったなら、そもそも彼を喪うことなど無かったはずなのに。 「さあ、始めようか」  呟いた私は、独り長大な詠唱を開始する。徐々に魔方陣の光が強まり、あまりの眩さに視界が奪われていく。 「……おいでませ、尊き御霊、我の魂と引き換えに、再び此岸へ顕れよ」  最後の一節を唱えた瞬間、私は全身の魔力を吸い取られるような心地がした。感じたことのない悪寒に総毛立ち、斃れ込みそうになったとき。突如として魔方陣の中心に気配を感じた。あの日と、同じ気配がした。  永遠にも感じられる時間をかけ視界が開けていったあと、私の喉から言葉にならない声が漏れた。懐かしい瞳。懐かしい姿。ずっと取り戻したかった彼が、ついに目の前に現れていた。 「久しぶり」  ゆったりと微笑む彼に、上手く言葉を返せない。懐かしさ、愛しさ、何より申し訳なさが綯い交ぜになり、何と伝えれば良いのか分からなかった。 「……大丈夫?」 「っ、ごめんなさい、ごめんなさい……」  謝罪を口にした途端、ぼろぼろと涙が零れて止まらなくなる。彼は四年前と同じように、静かに抱きしめ続けてくれた。  ◇◇◇◇  彼の死因は、魔法による自爆だった。報告者は同級でパートナーだった私。四年前、魔術学院の最終試験で、私たちは窮地に立たされた。課されていた試験内容は、国の東の果てにある森で、割り当てられたエリアの魔物を一掃すること。私たちが当たったのは比較的狭いエリアだったが、高難度の魔物が多く含まれていた。学年最強と名高い彼と二番手だった私には妥当な采配だった。  しかし、思えば始めからおかしかったのだ。担当区域にはエリア外の魔物が不自然に流れ込んでおり、予定より多くの戦闘を繰り返した私たちは本来の獲物に辿り着く前にかなり消耗していた。いくら毎年死者または怪我人が出るとはいえ、数が多すぎた。一刻も早く課題を済ませ、撤退しなければ。そう感じていたとき、またしてもボスクラスの魔物、それも二体に遭遇した。彼の判断は素早かった。 「君は、先生たちに報告してきて」 「単独行動なんてさせるはずないでしょう」 「いつまでもこの状態じゃあ埒が明かない」 「なら貴方が」 「いや、僕が残る。策があるから」 「どんな」 「……話している暇はない」  彼の言う通りだった。悠長に話していると、滑空する箒の加速度のせいで舌を噛んでしまう。何より、魔物はすぐ後ろに迫っていた。 「……分かった、行ってくる」 「頼んだよ」 「気を付けて」  私は独り高度を上げ、森を上空から見下ろした。試験中のため通信魔法はここまで移動しなければ使えず、緊急用花火も魔物に濡らされ駄目になっていた。 「すみません、先生。応答願います」 「どうした」 「魔物が不自然に多く、苦戦しています。このままでは危険です。増援を頼みます」 「不合格は承知の上か」 「はい。いずれ再受験します」 「分かった、試験官を向かわせる」  これで一先ず安心だと、ほっと息を吐いたときだった。濃密な魔力に空気が満たされる感覚に、彼がいるはずの地上に目をやった。嫌な予感がし、箒で急降下しようとした刹那、  ――――ドンッ  凄まじい轟音が上がり、眼下は閃光に包まれた。その一瞬で、魔物の気配は全て消えていた。そして彼の気配も、忽然と消え失せていた。 「おい、何があった。応答しなさい。おい」  私は通信も耳に入らず、ただ茫然と燃え盛る木々を見つめていた。  ◇◇◇◇ 「私が弱かったせいで、自爆なんかさせた。私がもっとしっかりしていれば。役に立っていれば」 「そんなことない。僕だってあれ以外の策が無かったんだから。正攻法でやつらを一掃できるくらい僕が強ければ、ああはならなかった。君は悪くない」 「でも」 「どちらかと言えば僕のせいだ。あのときの実力は僕が学年トップだったのに。僕が守るはずだったのに」  ぐずる私を優しく諭す声に、荒んだ感情が落ち着いていく。あの結末が私のせいだということに変わりはなくとも、彼だけでも慰めてくれることが有難かった。人とまともに話したのも随分久方振りで、自然としがみつく力が強くなる。  それから数刻、彼は私の話に付き合ってくれた。私の望む返答や慰めで癒してくれた。だが、いつまでここに居られるのだろう。術の効果時間については、私も全く知らなかった。彼に聞いてみようと口を開きかけたとき、異変が起こった。 「――え」  今の今まで話していた彼が、ぐにゃりと蜃気楼のように歪んでいく。愛しい姿が、漸く創り出した最愛が、崩れ落ちていく。慄然とする私の前に遺されたのは、契約相手である醜い悪魔だけだった。下品に嗤うそれは、私をさも面白そうにねめつける。 「――馬鹿め、本当に死者を呼び戻せると思ったか。霊なんて存在しねえんだよ。霊だの魂だの、自分たちを慰めたいがための、生者どもの下らん戯言だ。大体お前ら、普段は墓参りなんざしねえくせに、都合のいいときだけ先祖を頼りやがって。何がいつも見守ってくれているだあ?馬鹿馬鹿しいったらありゃしねえ。じゃあお前、男といちゃこらするときも、人殺すときも幽霊に見守ってほしいのか。違うだろうがよ。お前らは神頼みしてえときに限って、お空の上から見守ってくれてるのよなんて白々しいこと言いやがる。馬鹿さ加減に反吐が出るぜ、まったく。実際四六時中見られたら邪魔だろうが。幽霊なんていねえの。魂なんざ都合のいい妄想なの。だのにお前ら、こうやって無駄な努力して、俺たちが化けてやれば涙流して喜んで。からかい甲斐があるってもんよ。あー面白え」  げらげら嗤いながら捲し立てる悪魔の声は、私の耳を擦り抜けていった。つまり、先程まで私が話していた彼は、こいつが化けた贋作だったということか。 「大体お前、あいつが死んだ理由知ってんのか。自分で魔物を呼んだからだよ、お前は気の毒な巻き添え。怪しまれず自爆するため大量の魔物を引き寄せて、口八丁でお前を追い払い、計画通りドカーンだ。そんなことも知らずぐだぐだ悩んだ挙句、幽霊なんざ呼び出そうとして、自分は悪くないなんて免罪符を得ようってか。幽霊が都合のいいことばかり言ってくれるわけねえだろ。いや、この場合あいつが勝手に自爆してんだから、結局真実お前のせいじゃないわけか。はっ、良かったな」  見当違いな励ましに、私の頭は真っ白になった。知った風な口を利くなんて。 「……ろ」 「何だって?」 「失せろ」  発した言葉は呪文となり、悪魔の姿を搔き消した。気配が消える瞬間、私の心臓に激痛が走る。大方、代金の寿命を削っていったのだろう。こんなの契約違反だといいたいところだが、問い質すだけの気力がもう残っていない。もう全部、どうでも良かった。 「全部、無駄だったのか」  改めて言葉にすると、一気に身体が重くなる。今までの努力は何だったのだろう。いっそ、彼本人だと騙されたままのほうが良かったかもしれない。またしても、胸に空虚な隙間が空いた感覚がする。一生埋まることのない、寂寥と自己嫌悪のみで満ちた穴。  悔しいことに、悪魔の言い分は概ね正しかった。死者は蘇らないし、魂がその辺をいつもうろついているはずがない。私は所詮、自分に都合のいい言葉を貰いたかっただけなのだ。彼からの許しが欲しかった。  自爆の件も、薄々気が付いていた。試験以前から頻繁に、彼は自死について話していた。あの時の私はただの無能な学生で、彼の思うように行動させるしかないと考えていた。責任をとる能力の無い者が口出しすべきではないと。彼のためなら一生を投げ出す覚悟を持っているつもりだったというのに。  私が自分を許せないのは、そこだった。危うさを感じていながら、何も言わなかった。独り森の中に放置してしまった。私がしっかり話していれば、気を付けていれば、何か変えられたかもしれないのに。自分が無能だったせいで、彼は全てを終わらせてしまった。  彼を呼び戻したかったのも、真相について彼の口から聞くためだった。最期に何を思って、彼は手を下したのか。私が結果的に殺してしまったのか。自死だけは止めてくれと冗談でも私が諭していれば、今も私といてくれたのだろうか。……結局その話はできなかったし、彼は偽物だったけれど。 「何だったんだろうな……」  私は魔法で床の図面を一掃した。壁際に追いやっていた家具なども一気に配置し直し、私の家は人間が暮らす空間の風情を取り戻した。  ◇◇◇◇  生きる目的が根こそぎ無くなってしまったけれど、彼のように自爆する覚悟は無いし、そうするほど辛い境遇でもない。彼の考えは永劫分かることは無く、私の罪滅ぼしも永久に終わらない。いつか本物の彼に、幻でも良いから逢えるまで、見苦しく生きていくしかないのだろう。  ――怠い腕でカーテンを引けば、久しく浴びていない朝日と共に、得体の知れない鈴の音が部屋に満ちた気がした。
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