伸明 42

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「…エッ? …逮捕?…」 思わず、素っ頓狂な声を上げた… だって、そうだろう… まさか、逮捕なんて、言葉、ユリコの口から、出るとは、思わなかった… いや、 ユリコに限らず、普通のひとから、逮捕なんて、言葉が、出てくるなんて、ありえないからだ… 私が驚いていると、 「…私、やり過ぎたのよ…」 と、続けた… 「…五井の女帝を甘く見ていた…うっかり、トラの尾を踏んでしまった…」 と、告白した… それから、さらに、 「…寿さんも、気をつけること…」 と、言った… …エッ?… …気を付ける?… …どうして、私が、気を付けなければ、いけないんだろ?… 私は、思った… 私は、考えた… 「…きっと、アナタも、目を付けられてる…」 …エッ?… …目をつけられてるって?… …どうして、私が、目を付けられてんだろ?… 思った… 考えた… が、 そこで、電話が切れた… メッセージが、途切れた… 実に意味深… 意味深な終わり方だった… これでは、この後、すぐに、ユリコに電話をしろと、言うべき終わり方ではないか(苦笑)… こんな終わり方では、たまったものではない… 続きを聞きたくなるに、決まっているからだ… だから、すぐに、電話を入れた… ユリコに、電話した… 後先、考えずに、電話した… すると、すぐに、電話が、つながった… 当たり前だ… ユリコが、メッセージを入れたのは、今さっき… 今ちょっと前だ… だから、すぐに、ユリコが、電話に出た… 待ってましたと、ばかりに、電話に出た… 「…ユリコさん…藤原ユリコさん…ですか? …寿です…寿綾乃です…」 と、私が、告げると、 「…エッ? …寿さん?…」 と、意外にも、ユリコが、驚いた… その言葉を聞いて、こっちも、驚いたが、すぐに、ユリコが、 「…今、メッセージを入れたばかりだから、まさか、こんなに、早く、電話が、来るとは、思わなかった…」 と、苦笑する声が聞こえてきた…  だから、私も、  「…いえ、寝ていたのですが、電話の音で、目が覚めて…」  と、言った…  いわゆる、皮肉だ…  …まさか、こんな時間に、電話が、かかってくるなんて、思わなかった…  と、暗に、言っているのだ…  が、  果たして、この皮肉が、ユリコに伝わるだろうか?  私は、思った…  私は、考えた…  が、  さすがに、その心配は、なかったようだ…  「…ゴメンナサイ…寿さん…こんな時間に電話をかけて…」  と、まずは、ユリコが、詫びた…  「…でも、どうしても、今、電話をしたくて…」  と、続けた…  切羽詰まった感じで、続けた…  私は、それを、黙って、聞いていた…  なにやら、いつものと、様子が、違う…  明らかに、いつものユリコではない…  切羽詰まっているが、同時に、それは、怯えている証でもあった…  明らかに、怯えている証拠だった…  だから、私は、待った…  ユリコが、今、なにを言い出すのか?  待った…  ユリコは、今、私に言いたいことがある…  私に伝えたいことがある…  だから、私に電話した…  急いで、電話をしたと、思ったからだ…  だから、自分からは、なにも、言わず、待った…  ユリコの言葉を待った…  すると、すぐに、  「…私、やり過ぎたのよ…」  と、ユリコが、電話の向こう側から、言った…  「…なにを、やり過ぎたんですか?…」  「…五井をいじり過ぎた…」  「…いじり過ぎた?…」  「…五井を引っかきまわして、あの五井の女帝を困らせて、やろうと、思った…」  「…」  「…FK興産が、持っている伊勢原周辺の土地を五井長井家の当主に、伝えた…あそこは、今後、小田急の車両基地ができる予定だから、値上がりする…今、FK興産の株を手に入れれば、五井の序列の中で、五井長井家は、上に上がれると、けしかけた…」  「…」  「…でも、それが、いけなかった…それが、あの五井の女帝にバレた…トラの尾を踏んだ…」  「…」  「…あの和子…あの諏訪野和子の怒りは、凄まじかった…五井に天下った、警察官僚に、命じて、警察の上層部を動かした…」  「…警察の上層部?…」  「…逮捕するか、どうかは、警察が決める…当たり前よね…」  「…」  「…そして、誰でも、叩けば、ほこりの一つや二つは、出てくる…」  「…どう、出てくるんですか?…」  思わず、聞いてしまった…  ホントは、黙って、ユリコの言葉を聞くはずが、つい、聞いてしまった(苦笑)…  「…それは、簡単…」  「…エッ? …簡単?…」  「…例えば、男なら、街で、立ちションひとつすればいい…すぐに、軽犯罪違反で、逮捕できる…」  「…」  「…つまりは、警察が、その気になれば、どうとでも、できると言うこと…」  「…」  「…とりわけ、私は、ファンドをやっている…投資ファンドの代表をやっている…その結果、自分で、言うのも、なんだけれども、人脈も広い…ヤクザから、政治家…財界人まで、広い…」  「…」  「…だから、自分で言うのも、なんだけれども、交友関係も派手…その気になれば、いつでも、逮捕できるネタを、たくさん持っているようなもの…」  私は、その言葉で、以前、このユリコが、高尾組というヤクザから、金を借りて、五井の関連会社の株を大量に、買い漁り、あの和子に、相場の3倍で、買い取れと、言ったのを、思い出した…  が、  あの和子は、2倍で、買い取ると、断言し、このユリコが、高尾組から、金を借りていることを、喝破した…  そして、いついつまでに、その金を高尾組に返さなければ、ならないか…  そんなことまで、見抜いていた…  その結果、ユリコは、白旗を上げた…  ユリコは、和子に屈した…  そのときの恨みで、今回、五井長井家の当主をそそのかしたに違いないが、それが、和子の怒りを買った…  そして、それで、気づくのは、和子も、ユリコも同じ…  どちらも、とんでもなく、人脈が、広い事実だ…  そして、もしかしたら、あの和子…  ユリコの件も、もしかしたら、五井の女帝は、五井に天下った警察官僚から、話を聞いているのかも?  と、気付いた…  五井に天下った警察官僚が、あの和子の情報元かもと、気付いた…  いや、  たぶん、それだけではない…  違うルートで、聞いた可能性もある…  ユリコの動きを知った可能性もある…  なにしろ、ヤクザの高尾組まで、知っている可能性が、高い…  とんでもなく、人脈が広い…  だから、私程度の知識で、考えるのは、早計というか…  私と同じに考えては、いけない…  私と同程度の能力の持ち主と考えてはいけない…  あらためて、そう肝に銘じた…  そう固く、肝に銘じた…  でなければ、私と同じに考えてしまう…  私と同じように、和子は、考え、行動すると、考えてしまう…  それは、ありえないことだからだ…  私とは、生まれも、学歴も、育った環境もまったく違う…  天と地ほど、差のある人間…  雲泥の差のある人間と、肝に銘じなければ、ならない…  そして、なにより、自分自身が、かつて、そんな人間を目の当たりにした事実を思い出した…  以前…  ずっと以前、FK興産でも、そんな人間を数多く見たことを、思い出した…  FK興産は、創業、わずか、十五年…  最初は、わずか、数人で、始めた会社だった…  それが、どんどん大きくなり、ITバブルの波に乗り、急成長した…  だから、最初は、どうしても、海のものとも山のものともつかない人間を雇った…  小さな会社だから、ひとを選んでいる余裕がなかったからだ…  それゆえ、正直、学歴も低い人間も、多かったが、それが、ITバブルの波に乗り、急成長すると、それまでとは、一転して、優秀な学歴の人間たちが、入社してきた…  すると、どうだ?  それまでいた、人間たちとは、明らかに、能力が、違った…  が、  古参の社員の中には、それすらわからない人間もいた…  つまり、明らかに、能力が、違うのに、自分たちと同じに考える…  要するに、自分たちと、なにも、変わらない…  ただ、学歴が、高いだけだと、考える…  そう、信じているのを、見て、唖然としたのを、思い出した…  そして、それが、今の私…  この寿綾乃…  この矢代綾子だと、思った…  私も和子も同じと考える…  同じ程度の能力…  同じ程度の人間と考える…  そもそも、天と地ほどに、生まれも、学歴も、育った環境も違うにも、かかわらず、同じと、考える…  これは、笑える…  まさにバカの極み…  自分と他人の違いが、わからない…  自分と他人の能力の違いが、わからない…  自分もまた、かつて、FK興産で見た古参の社員たちと同じだと、思った…  同じだと、考えた…  そして、そんなことを、考えていると、ユリコが、面白そうに、  「…寿さん…なぜ、私が、寿さんに、あの五井の女帝に、目をつけられていると言ったのか、わかる?…」  と、聞いてきた…  思いもしなかったことを、聞いてきた…  が、  当然、わからない…  そもそも、そんなことは、考えても、みなかったことだからだ…  だから、わからない…  意地を張っても、仕方がない…  わからないことは、わからない…  だから、素直に、聞くことにした…  ユリコに聞くことにした…  「…どうして、ですか? どうして、私が、和子さんに目をつけられているんですか?…」  と、聞いた…  すると、ユリコが、笑った…  実に、楽しそうに、笑った…  そして、  「…さすがの寿さんも、自分のこととなると、さっぱりわからないようね…」  と、告げた…  それから、  「…寿さんが、あの五井の当主、諏訪野伸明のお気に入りだからに、決まっているでしょ…」  と、告げた…                <続く>
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