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4.苦肉の策
翌日。
飯嶋からは、藤間に関する情報が送られてきた。
『その藤間さんを好きな子に、ひととなりを教えるくらいだったらいいんじゃないの?』
琉威なら悪いようにはしないと判断してのことだろう。それは、少しでも相談役の琉威の顔を立ててやりたいという、彼なりの配慮の表れだった。
(友、ありがとう)
「よぉし。後は自分で、なんとかしなくちゃ…!」
そう意気込みだけは強く抱いて、琉威は右手を握りしめた。
かといって琉威の力でできることなど何も思い浮かびはしないのだが、大切な友人である瀧のためならば一肌脱いでやりたいと、琉威は彼らが顔を合わせられる機会をなんとか作ろうと試みることにしたのだった。
しかし、大して名案など浮かばないままに、月に一度の藤間が訪れる日である監査日当日がやってきた。
監査法人が使用する会議室へと資料を運び終えた琉威は、何の策も立てられなかった己の不甲斐無さをしみじみと実感するしかなかった。自身のデスクに肘を突いて、顔を覆いながらもため息を零す。
(あぁ…、もう藤間さんも到着しちゃうよぉ…)
まもなくして、監査法人らは揃って社内へと顔をみせた。
飯嶋と津田が彼らへと対応している。会議室に案内しながら、その一団は予定していた部屋へと入っていった。
会計士らと共に会議室へと入っていった飯嶋から、内線電話を通して琉威のデスクへと内線がかけられてきた。
『手の空いてる子に誰か、会議室までお茶出し頼んで貰えないか?』
お茶を出して欲しいという内容だった。
(もしかしてこれは、友なりの配慮では…?)
突然訪れた絶好の機会だったが、他部所の男性である瀧にお茶出しを頼むのは、あまりにも不自然でしかない。
しかも、それでは瀧の好きな相手が藤間なのだと、一緒に会議室に入っている飯嶋にも確実に知られてしまうことになる。この際、知られることなどどうでもいいことなのかもしれないが。
それでもここで瀧にお茶出しを頼むのは難しいだろうと、琉威は仕方なく自分で来客用のお茶を用意し始めた。盆を手にして琉威は会議室へと入っていく。会議室に入ってきた琉威がお茶を各々に配る姿をみて、飯嶋は不思議そうにして彼へと視線を送っていた。
(こうなってはもう仕方がない…!)
琉威はあらかじめメモ書きしておいた用紙を、藤間に差し出したお茶の下へとそっと挟み込んで渡すことにした。メモ書きには、後から時間をいただきたいという旨を書き添えている。
メモに気が付いた藤間は、テーブルの下でそれを確認した様子だった。
琉威が会議室から退室したのを見計らうようにして、藤間はさっそくメモ書きの通り、従順にも琉威の後を追って会議室を出ていった。
「君、僕に何か?」
琉威の後を追うように会議室を退室した藤間は、廊下の先でその小さな背中へと声をかけて呼び止めた。
「あ…っ、有難うございます…!」
琉威はあっさりと作り出された絶好の機会に、喜びも束の間にしてこの先何も考えていなかったことに我に返った。事前に瀧に知らせておけばよかったものをと、今更ながらに後悔する。
(あぁ、オレってばなんて浅はかなんだぁ…!)
「お…仕事中にすみません! あの、少しお話がありまして!」
とりあえず空いていた廊下突き当りのミーティングルームへと藤間を連れていくと、琉威は開けたままのドアの横で胸をなでおろした。これで瀧とも顔合わせの機会がもてそうだ。
「お話のことですが…。個人的なことで申し訳ありませんが、あなたのことを好きな…」
とりあえず藤間に説明をしてすぐに瀧を呼び出そうと、琉威は焦りながらも思い切って瀧の存在を口にしようとした。
しかし、そんな琉威を前にした藤間は、少し弱ったような顔をして小さく吐息をついた。明らかに困った様子で琉威のその言葉を遮ったのだった。
「君の話の前に悪いんだけど…、僕には好きな子がいてね。プライベートな話は全てお断りしてるんだ」
相手に先手を打たれてしまった。
(好きな子…?)
しかも、プライベートな話は受けないのだと断りまで入れている。告白に場慣れした様子だった。
「でも…付き合ってるんじゃなくて、好きな子…なんですよね?」
「えぇ、そうです。だからって僕も諦めるつもりはないんですよ。ごめんね」
琉威に謝罪を入れる藤間は、きっと琉威が自分のことを好きなのだと勘違いしているのかもしれない。けれど今はそれも、琉威にとってはどうでもいいことでしかなかった。
「あのっ、だったら一度だけでも会ってお話を…!」
結果はどうであれ、瀧に機会がないまま諦めさせるのは琉威には余りにも酷な気がしてならなかった。
思わず前のめりになって、藤間へと身を近づける。
「…ちょっと、待って下さい…?」
藤間はそこで一歩後退して琉威との距離を保とうとした。
ミーティングルームの続く一角の最奥をわざわざのぞき込む輩はそうそういない筈だったが、こともあろうにそこに現れたのは、同じく会議室から出てきた飯嶋だった。お茶出しにやってきたのが琉威だったことを怪訝に思って、後から様子を見にきたのだ。
「おいっ! …んなとこで、他所の社員になに手ぇ出してんだ?!」
必要以上に距離がない二人をみつけた飯嶋が突然、藤間の襟元へと掴みかかった。
ギョッとしたのは琉威のほうだった。
「待って! 友…っ! 誤解っ!!」
「誤解…?」
琉威の声に、飯嶋は掴んでいた襟元の力を一瞬緩める。その隙をついて、藤間もまた飯嶋の手を振り払った。
「そうだ、君の誤解だ。彼の方からの話だが、こちらとしても彼の気持ちを受けるつもりはない」
まるで琉威が藤間へと言い寄ったような物言いをする藤間に、飯嶋が再び彼へと掴みかかろうとする。琉威は必至で二人の間へと入り込んで止めに入った。
「だから!! 二人とも! 誤解だってば…っ!!」
これ以上ここで騒ぎ立てるわけにもいかなくて、琉威は二人の間に半ば強引に割り入ったまま、藤間の前であるにも関わらず琉威は飯嶋のその唇へとキスをしたのだった。
「———?!」
突然男同士のキスを見せつけられて、藤間が固まってしまう。そして、キスをされた側の飯嶋までもが同じようにして固まったのだった。
「橋渡し役ぅ?」
「……そう」
ようやく落ち着きを取り戻した飯嶋に琉威は事情を説明すると、隣で聞いていた藤間もまた同じように納得をしたようだった。
「誰との?」
「だからそれは…言えないんだ。けど…、藤間さんに諦められない好きな方がいらっしゃるというお話なら、そのことをこちらから彼にもお伝えしますので。残念ですが、この話はもうなかったことにしましょう…」
せめて一度くらいは瀧と二人で話す機会を設けてやりたがったが、こうなってしまってはさすがに琉威も無理強いするわけにもいかなくなってしまった。
「…”彼”?」
琉威の言葉を拾うようにして藤間がぽそりと呟いたが、琉威は失言も今更ながら仕方ないと、今回ばかりは逃げ切ることにする。飯嶋もまたその失言からこの相手が瀧本人なのだとはっきり判ってしまったことだろう。だからといって、とりたて騒ぎ立てたりはしないはずだ。
瀧には申し訳ないが今回ばかりは諦めてもらうしかない。相手に好きな人がいるとわかっただけでも、せめて気持ちも吹っ切れやすくなるのかもしれない。
「お時間をいただいて、有難うございました」
最後に一度頭を下げて琉威はその場を去ろうとした。
「…待って下さい! そういう話でしたら、私からもご相談したいことがあるんですが…!!」
部屋から出ようとした琉威に向かって、藤間はそう呼び止めた。
強い語尾の先には、琉威だけでなく飯嶋でさえ今まで見たことがないような藤間の必死な面持ちがうかがえた。
『その方とのお話はお受けできませんが…』と。
最後に藤間は、そう前置いたのだった。
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