6.太陽と月

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6.太陽と月

「…で。藤間さんが片思いしていた相手ってのが、瀧だったってわけか」  後になって、瀧から事の成り行きを聞かされた琉威と飯嶋は、自宅のソファーの背もたれへと二人して凭れこんでいた。 「すごい偶然だなぁ」  周囲からは偶然にしか見えないが、それがまるで運命のような必然でしかなかったということは、いずれ瀧の口から琉威へと語られることになるだろう。  全てが無事解決し、幸いにも瀧の恋愛は成就を果たすことができた。琉威もまた、ようやくのこと心の底からホッと胸を撫で下ろしたのだった。 「だから…大丈夫だって、言ったでしょう」  琉威は隣に座る飯嶋が、再三にわたって自分と瀧との仲を警戒していたことを思い返した。そもそも最初から、飯嶋が嫉妬するような要因などどこにもなかったのだ。  今まで散々自分と瀧との関係を警戒していた彼へと、恨めし気にして琉威は愚痴をこぼした。  けれど飯嶋は、すっとぼけた様子で琉威の話を聞き流してしまう。琉威を疑ったうえに、信じていなかったのは自分でしかなかったという自覚だけはしっかりとあるようだった。 (いや、でも心配になるでしょ。フツー…)  飯嶋も琉威のことを信じていないわけではなかった。けれど、僅かな不安を突くようにして疑いというものは生まれてしまうものだ。また、それに抗えなかった自分もまた未熟でしかないのかもしれない。  それでもそんな自分の全てをひっくるめてでも、飯嶋は琉威と共にありたいと願うしかないのだ。どれだけ自分が周囲に嫉妬してしまったとしても不安に苛まれたとしても、どれほどに自分がみっともなかろうとも琉威だけは手放す気は毛頭ないのだから。 「まぁ…。うまくいって良かったよな」  飯嶋は今朝、顔を合わせた瀧のことを思い浮かべていた。  わざわざ朝から自分のもとへと結果の報告をしにやってきた瀧からは、丁寧にお礼を言われつつ頭まで深々と下げられてしまった。瀧のその顔は気恥ずかし気ながらも幸せそうで、飯嶋もまたこれまで瀧に抱いていた己の疑念をすっかりと払拭することができたのだった。 「飯嶋部長〜! もう、こっちですよぉ」  経理部のフロアでは、琉威の困ったように上司を呼ぶ声が響いていた。飯嶋が紛失してしまった資料を一緒に探してあげているようだ。 「わりーわりー、サンキュー琉威」  それも策略なのか本当に紛失してしまったものなのか、飯嶋はそんな琉威へと相変わらず笑顔を燦々と振り撒いている。 「ふふ…」  そんな二人のやりとりが微笑ましくて、少し離れた位置から二人を眺めていた津田は、そんな彼らについ笑ってしまっていた。  二人の内情を知る津田のそんな姿を目にした瀧は、足をとめて思わずその琉威の上司へと声をかけていた。 「…やっぱり、矢野の相手ってあなたじゃありませんよね?」 「えっ?!」  突然そんなことを言われてしまい、津田は動揺しながらも声の主へと振り返ってしまっていた。 「矢野って、あなたのことを心から尊敬してるっていうのは見ててもわかる気がするんです」  静かにそう理由を続ける瀧に、津田も観念しつつも返事を濁した。 「そう…なんだ?」 「えぇ。それに、津田さんの琉威に向ける気持ちって、どちらかといえば…俺と同じなんじゃないかって思えて」  瀧が琉威に向けるそれもまた、津田と同じくかわいい後輩への気持ちと同じようなものなのだといえるだろう。 「そうだな…。矢野だったらむしろああいう…」  そう言って視線を送った先には、控えめにも楽しげに笑い合う上司と部下の姿があった。  部長の飯嶋をたてながら、必死に役に立とうと仕事をこなそうとしているその健気なまでの姿は、昼時の明るく照りつける陽射しのなかにひっそりと昇った月のように見てとれた。まるで、明るく世界を照らし出す太陽を静かに眺めるだけの、そんな月の姿と琉威が、瀧の目に重なる。  昼時に月が昇ろうとも、そんな月の姿など誰も目に止めはしないものだ。けれど、いったん太陽が隠れてしまえば、彼の代わりと言わんばかりに精一杯に照り返してみせる。そんな健気さを琉威からは感じてならなかった。  そんな魅力に溢れんばかりの琉威は、やはり飯嶋にはなくてはならない存在ともいえるのかもしれない。 「うーん…どうだろうねぇ。そのうち、矢野君から話してくれるんじゃないかな?」  そんな遠回しな“正解”に、瀧は納得したように顔を片手で覆い隠した。 「あー、やっぱ…飯嶋部長かぁ…。あの人の俺に対するアタリがどうも苦手だったんだよなぁ…」  と、そんな弱音が瀧から聴こえたその後に、瀧はふともう一人の厄介な面影が重なったのを口にする。 「あ…あと、菅野専務も似たとこあるんだよなぁ…」  なんで俺って上司から嫌われるんだろう?  と瀧はぼやくと、津田からは妙な反応が返ってきた。 「ふぇ?!」  菅野の名前が口から飛び出した途端に、津田は過度にも真っ赤になって反応してしまっていた。 「え…津田さん…どうしたんですか?」  普段から冷静沈着な津田が急に動揺をみせたかと思えば、今度は手に持っていたファイルをバサバサと床へと滑らせてしまう。急激に耳まで紅潮させながらそれらを拾う姿は、見るからに説明など必要ないほど如実に心情を物語っていた。  動揺する津田よりも、驚いたのは瀧のほうだった。 「え……? まさか、津田さんのお相手って…」  一緒に落としてしまったファイルを拾いながら、瀧の口からは的確にも関係が明るみにされてゆく。  再び顔を合わせれば、今度は津田の顔色がすっかりと青ざめてしまっていて、瀧でさえ言ってはならない事なのだとも暗に気付かされる。芋蔓式に紐解かれたその関係性に、二人は互いに沈黙せざるをえなくなってしまった。  同時に、普通にしていても恐ろしいまでの菅野の形相が、瀧の脳裏へと思い浮かぶ。  瀧の背筋へと悪寒が一気にかけあがった。 「だ…大丈夫ですよ、津田さん…! 俺の保身の為にも、これは一生墓場まで持っていきますんで…!」  イエスともノーとも答えられずにいる津田を見ないようにして、瀧はその先で未だじゃれ合う二人組へと視線を変えていった。  そんなことなどつゆも知らず。  経理部の太陽は、相変わらずこの世の中心であるかのようにして揚々と輝きを放っていた。  そんな光を受けて琉威は、精一杯に想い人へとその光を照り返している。  それは二人で一つの存在のようにして、どちらが欠けても成り立たない太陽と月のように。  今日も変わらず、琉威は経理部の片隅でせっせと業務を片付けていた。 「琉威ー。さっきの書類、オッケーだから資料用に上げておいて」  遠くの席からデスクの島の端へと、飯嶋は手を挙げながら部下へと指示を送った。 「はいっ、承知しました!」  キレイに返すその光に目を細めると、飯嶋は眩いばかりの彼へと愛しげに笑いかけた。 おわり。  
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