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愛する人の涙とネタバレ。
なあ、と先輩が手首を離し、代わりに俺の両肩を掴んだ。
「頼むから、教えてくれ。君は何を隠している? 私に言いたくないのか? 教えるの、嫌なのか? 知られたくないのか? 君がそう望むのなら仕方ないとも思うけど、寂しいんだ。悲しいんだ。だってずっと、君は私に何も隠さないでいてくれた。そりゃあたまに薄っすら靄を纏っている時もあったけど、出会ってから今日に至るまでいつも素直で正直に接してくれた。それもあって私は君に惹かれた。さっきも言った通り、大抵の人は靄を纏っているから。私に対してそういうものが無い君の裏表の無さが、本当に嬉しかった。ありがたかった。大好きだった。だから、お願いだよ。隠し事、しないでよ。私に、打ち明けてよ……」
喋る内に、先輩は泣き出してしまった。ねえ、とその細い体を俺に預けて来る。そっと抱き締め、そうだったんですか、と耳元で囁くと鼻を啜りながら頷いた。
「生き辛かったですか、嘘や隠し事で塗り固められた世界は」
「……慣れてはいたよ。そうしないと、人は自分を守れないって理解はしていたから」
「そんな生き物って、歪な在り方をしている気がします」
「そうだね。だからこそ、君の存在は私にとって貴重なんだ。ずっと、綺麗なままでいてくれた。それなのに、どうしてさ……! 田中君!」
背中に回された腕に力が籠る。その時、時計がカチリと音を立てた。午後九時丁度を迎えたのだ。同時に呼び鈴が鳴った。二人揃ってインターホンの画面に目を遣る。こんな時間にやって来るのは。
「……何だよ、揉めているのに間の悪い奴だな。荷物なんて頼んだか?」
目元を擦った先輩が体を起こした。俺は立ち上がり、通話ボタンを押す。
「お荷物をお届けに参りました」
ご苦労様です、と応じて一階のロックを解除する。判子は玄関にあったよな。しゃくり上げる先輩をリビングに残し、荷物を受け取りに向かう。扉を開けて待っていると、遅い時間にも関わらず配達員さんが笑顔で駆け寄ってきた。
「田中様、でお間違いないでしょうか」
「はい」
「こちら、お荷物になります。判子かサインをお願いします」
差し出された縦長の段ボール箱を受け取り、靴箱の上に置く。伝票に判子を押すと、ありがとうございました、と走って去って行った。お疲れだろうに爽やかな人だ。音がしないよう鍵を閉め、荷物を持ってリビングへ戻る。俺を見る先輩の目と鼻は赤い。その視線を気にすることなく、俺は先輩の元に歩み寄った。はい、と差し出す。何だよ、と目元を拭った。
「先輩宛ですよ。開けて下さい」
「あぁ? 最近、通販で物を買った覚えは無いぞ」
「じゃあ贈り物じゃないですか」
「何処のどいつだ、最悪のタイミングで頼んでもいない荷物を送り付けてきやがって。差出人は、ちっ、取り扱い業者か。開けてみたらわかるのか? むしろ連絡も無く寄越したんだから、わかる物は同梱されていなきゃおかしい」
ぶつぶつ文句を言いながら、案外素直かつ丁寧に箱を開けた。傍らで俺はスマホを開く。そして中から取り出されたる品物は。
「……酒瓶、か?」
ぼそりと呟いた。緩衝シートに覆われているため、それこそ白い靄がかかったように姿ははっきりと確認出来ない。先輩は慎重にテーブルへ置くと、段ボール箱をさかさまにした。しかし、は? と訝し気な声が響く。
「送り状も入ってない。何だこれ、誰が送り付けて来たのかわからんぞ。え、嫌だ。怖い」
一歩後ずさった先輩に、黙ってスマホの画面を見せる。途端に目を丸くした。おい、と眉が吊り上がる。
「これを送ったのは君なのか、田中君」
「はい」
「は? え? 何で?」
サプラーイズ、と両手を広げる。飛び込んでくるかな、と思ったけど先輩はその場から動かなかった。そして、いや意味わからん、と何度も右手を振った。
「サプライズ? 何の? 今日、四月二十六日は結婚記念日でもお互いの誕生日でも無いだろ? それとも私の知らないめでたい出来事でもあったのか?」
「違いますよ」
「じゃあ何でサプライズを仕掛けた? まさか、初めて一夜を共に」
「違います!」
慌てて否定をする。意味が分からない、と先輩は額を押さえた。そして、あれ、と目を見開く。
「靄が、消えている……?」
深く頷く。つまり、と先輩は酒瓶と俺を交互に指差した。
「この酒を夜の九時に送り付けるというサプライズを仕掛けたから、それを隠していたために黒い靄が君から滲み出ていたわけ……?」
「そうです! 俺の隠し事とは、このサプライズです!」
傍目に見てもわかる程、先輩の肩から力が抜けた。体を投げ出すようにダイニングチェアに腰掛ける。そして、説明を、と掠れた声を発した。
「説明を、してくれ。頼む、何一つ理解が出来ない」
いいですよ、と俺も腰を下ろす。
「出張先で思ったのです。先輩と離れて過ごす夜は寂しいな、って。そして、そういや先輩に出会ったのは八年前の四月、サークル勧誘の時だったな、じゃあ出会って八周年じゃないか! と思い至りました。毎年、別に何もして来なかったけど、今年は出張が入って先輩と離れると寂しいって実感をした。これは先輩が大切だと改めて気付くいい機会であったわけで、ある意味俺への戒めだったのかも知れない。それじゃあもう一度、一緒にいられること、俺と結婚してくれたことに感謝をして、贈り物をしよう! そう決めたのが火曜の夜でした。翌日、水曜日の夜。取引先の方と飲みに行った先で、滅茶苦茶美味いワインに当たりました。これだ! これを先輩にプレゼントしよう! そのために巡り合ったに違いない! と、確信しました。ホテルに帰り、早速ネットで注文しました。その時、どうせだったらサプライズにしようじゃないか、と思いました。先輩は二十時半に帰って来る。金曜日の二十一時に届くようにして、お風呂上りに突然見覚えの無いワインを見せて驚かせよう。そんな計画を立て、注文をしたわけです。いやぁ、まさか黒い靄でサプライズを隠しているとバレるとは予想だにしなかったな。失礼しました」
頭を掻く。先輩は俺の話が進む内に、腕組みをし、首を傾げ、唇を噛み、眉を顰めた。そんな表情も可愛いですね。
「出会った記念はともかくとして、八周年とかいう微妙な数も、決め打ちの日付じゃなくて四月とかいうざっくりした括りなのも、どっちもピンと来ない。寂しがってくれたのは嬉しいよ? ありがとう。私も寂しかった。だけどさ。サプライズの必要、あるか?」
先輩がぼそぼそと呟く。
「無いですね。無駄に先輩を泣かせただけです。大変申し訳ない」
バカ! と突然、だけど今度こそ飛び込んで来た。しっかりと抱き留める。
「寂しかったぞ! 悲しかったぞ! ずっと真っ直ぐ向き合ってくれた君に隠し事をされたのは、本当にさ!」
「すみません、とんだサプライズになってしまいました。そしてご心配なさらずとも、俺はずっと先輩へ誠心誠意、真摯に向き合うと誓います」
お互い、強く抱き締め合う。ありがとう、とくぐもった声が胸元から聞こえた。そうして顔を上げた先輩と、そっと唇を合わせた。
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