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 足元では、小さな黒い影たちがあたふたと逃げ惑っていた。あちこちに散らばっていく姿に既視感を覚える。一体何に似ているのだろうと首を傾げたところで、はたと気がついた。彼らの姿は、目指していたはずのお菓子を急に隠されててんやわんやするアリの行列によく似ているのだ。  小さな体で懸命に働いている姿が愛おしくて、幼い頃はお茶会に出てきた焼き菓子の欠片をたびたび彼らに差し出したものだ。あんなに大好きだったのに、どうして忘れていたのだろう。  まあ今の彼らに美味しいお菓子を差し出したところで、食べる余裕なんてきっとないのだろうけれど。物思いにふけっていると、甘ったるい声が耳元にささやきかけてきた。 「紅茶のお代わりはいかがかな?」 「ええ、いただくわ」 「外の様子が気になるかい? 今日は風もなく、日差しも穏やかだ。外でのお茶会に切り替えても構わないよ?」  私に声をかけてきた全身黒ずくめの男は、まるで執事か何かのように世話を焼いてくれる。本当はそんなことをする立場になんかないくせに。けれどぐずぐずに甘やかされることが心地良くて、はしたなくも自分のわがままを口にする。 「どうせならあなたのおひざの上に座って、外の景色を楽しみたいわ」 「そういうことなら、特等席で見学するかい?」 「特等席ってあなたのお姫さま抱っこのこと?」 「そうだよ。君を抱えて、アリのようにしか見えない彼らの姿を、もっとはっきり見える高さまで下りてあげるよ」  彼は喉をくつくつと鳴らしながら目を細める。そのまま折りたたんでいた背中の翼を思い切り広げてみせた。普通の屋敷なら家具やら小物やらを払い落としてしまいそうな大きさなのに、鴉の濡れ羽色をした彼の翼は悠々と広がっている。お城の部屋というものは、ひとつひとつが気が遠くなるほど大きいのだから当然なのかもしれない。 「嫌よ。お姫さま抱っこのままでは、紅茶を飲んだり、お菓子を食べたりしにくいもの」 「わたしが食べさせてあげるよ」 「お断りしておくわ」 「それならば仕方がない。おとなしく給仕に徹することにしよう」  ぷいっと顔を背けてみせたというのに、彼はおかしそうに笑うだけ。まあ、か弱い人間ごときが何を言ったところで彼にはどうでもいいに違いない。今のふるまいだって、すべて彼の気まぐれに過ぎないのだ。  とはいえわざわざ地上に近づいて、パニックに陥った人々の悲鳴や罵詈雑言を浴びる気にはなれなかった。いくら魔王にこの身を捧げた自分勝手な輩だとはいえ、ひとの不幸を見て悦に入るほど人間を辞めたつもりはないのだから。
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