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 右往左往する人影の数が増えたらしい。黒い穴に呑み込まれていく人々は、無邪気な子どもたちに暇つぶしに踏みにじられるアリたちのように、儚く無力だ。なすがままの彼らを眺めていると、アリの行列を眺めていたのがどこだったのか、ゆっくりと思い出すことができた。  それはずっと昔、婚約者の暮らす屋敷の庭でのこと。母たちの今思えば皮肉や嫌味にまみれたおしゃべりに飽きてしまい、こっそりと抜け出して働き者の虫たちの姿を眺めていた。小さな姿で懸命に生きている姿が愛おしくて、お茶会に出てきた焼き菓子の欠片を彼らに差し出したのだ。けれど私が長居をしたせいで、普段は庭に興味を示さない婚約者までもが隣にきてしまった。  大の虫嫌いだった婚約者は、庭師にアリの駆除を命じたらしい。次に婚約者の家に遊びに行った時には、こんもりと盛り上がっていた可愛らしいアリの巣は、かたく踏みつぶされていた。しばらく経ってからも復活することはなかったから、熱湯を注ぎこまれて巣の中から駆除されてしまったのだろう。それ以来私は、婚約者の屋敷の庭に出ることを避けるようになった。そしていつの間にか大人になり、小さな働き者の虫たちを見ることも忘れていたのだ。  遠い昔の記憶を思い出したのは、下界で逃げ回る彼らを眺めていたからなのか。それとも、神の生贄になることを拒み、ただひとりで逃げ出したことに対する罪悪感からなのか。それでも何度時間を遡っても、私は目の前のこの美しい男を呼び出すだろう。世界のために、崇高な使命を持って命を捧げるのではなく、私のために泣いてくれなかったひとたちを拒み、ただ寂しさを埋めるために魔王を召喚するに違いないのだ。  私の死が望まれた、こんな世界に未練などない。それでもどうしようもないくらいにみんなのことを愛しているから、全員まとめて先に見送ってあげる。自分で選んだ結果だと言うのに、いつの間にか目の前がぼやけて見えなくなった。 「泣かないでくれ」 「泣きたいわけじゃないわ。勝手に出てくるのよ。それにあなた、泣いてもいいって言ってたじゃない」 「そう言ったが、君には泣いてほしくない。ああ、それならいっそわたしが()かせてしまおうか」  あふれた雫は地面に落ちず、魔王にそっとぬぐわれた。
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