二二〇五年、豆の刑

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 記憶がなだれ込んでくる。  ハンドバッグ。パチンコで負けてイライラしてた時に目の前で揺れていた、茶色のハンドバッグ。いかにも金を持ってそうなオバさんが肩からかけて、見せびらかすみたいに歩いていた。  突き飛ばした。ハンドバッグを奪った。  記憶が飛ぶ。俺は警察官からあのオバさんが死んだと聞かされる。打ちどころが悪かったんだと言われても、俺は特に何も感じない。運の悪い奴はどこにでもいる。  また記憶が飛ぶ。  優しい母さんの鼻歌が聴こえてきて、俺が顔を輝かせている。幼い頃の俺だ。  「今日はねぇ、ハンバーグ作ろっか。材料買ってきたし作るの手伝ってくれる?」  母さんは不自由そうに手を動かし、買い物バッグを台所に置いた。昨日親父から肩を殴られたせいだろう。アイツはいつだって外から見えない部分に暴力を振るう。  何であんな奴が俺の父親なんだ。  見ているだけだった俺も同罪だ。卑怯者だ。アイツの血が流れているなんて考えたくも無い。  母さんは俺の前にザルを置く。  「筋を全部とってね。ヘタを折って、引っ張ったら取れるから」  俺は自己嫌悪を振り払って、目の前の手伝いに集中する。ハンバーグの付け合せにするのか、ザルの中にはえんどう豆が入っている。  ぷち、すーっと筋を取るのは単調だが気持ちがいい。母さんも鼻歌を歌いながら肉を捏ねている。ささやかだが幸せな記憶だ。  その幸せは、アイツが帰ってきた瞬間に終わりを迎えた。  言葉少ななアイツを、俺達は恐怖に引き攣った笑顔で出迎える。  「おかえりなさい、あなた。今日はハンバーグを作ったの。あの子も手伝ってくれたのよ……」  アイツは生返事すらせずテーブルにつき、出来たばかりのハンバーグを口に運ぶ。特に何のリアクションも無い。  俺と母さんは小さく視線を交わし、お互いホッとしている事を見て取った。  次の瞬間、机の上にあった全ての皿や茶碗がなぎ払われた。陶器が割れる音と同時にアイツが吠える。  「えんどう豆の筋が取れてねぇじゃねぇか!!」  俺は胃が全て凍りついたような恐怖で、その場に立ち尽くす。怒りの形相をしたアイツが俺を振り返った。  「手伝ったって言ってたな。筋取ったのはお前か」  止めて、とか、違うの、とか母さんが言っていた気がするが、俺はアイツに睨まれて竦んだまま動けない。息もできない。  瞬きする間も無く殴られ、皿の破片が飛び散る床に倒された俺を、アイツは更に蹴りつける。  「出来もしない事を手伝うな!!ふざけんなよ!!」  子供の俺でも、この暴力が理不尽で馬鹿馬鹿しい事はわかっていた。アイツにとって俺達を殴れるならどんな些細な事でもよかったんだろう。例えそれがえんどう豆の筋が取れてなかったと言う理由でも。  「ご、ゴメンナサイ!ゴメンナサイ!ゴメンナサイ!!」  泣き喚き、誰に許しを請うているのかもわからないまま、俺は謝り続ける。でもその謝罪に意味はない。ただこの苦痛から逃れる為に、壊れたロボットの様に繰り返しているだけだ。  「ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイイィイィィ!!!」    それでもアイツは消えてくれない。怒り狂った形相が俺の何もかもを塗り潰していく。パニックの渦の中、俺は意識を失う瞬間まで、ただゴメンナサイを繰り返した。
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