二二〇五年、豆の刑

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発端は、自由刑への不信感だった。  人生の中で行動を制限する懲役などの自由刑は、犯罪によって被害者に与えられる苦痛より軽い。犯罪はやった者勝ちになり、被害者やその周囲の者達は犯人への処罰の在り方について不満を抱く様になっていく。    2198年にある社会学者が現行の刑罰の問題点として、自由刑と極刑にあまりにも差があることを指摘した。人権が守られる自由刑と、生命と人権そのものを奪う死刑とでは性質に差がありすぎる。刑罰はもっと段階的に、犯罪の度合いによって適したものを用意するべきだ──。  世界的な風潮も相まって、刑罰の種類にも多様化が進んだ。その中で最も画期的なものが恐怖刑と呼ばれるものだった。  まず、受刑者の詳細なデータをAIにかけ、"本人が最も触れて欲しくない潜在的な恐怖"をピックアップしていく。そして有力な恐怖の記憶を、特殊な薬剤によって増幅する。この薬は脳の海馬に作用するが、きっかけとなるものを見なければ恐怖心が呼び起こされる事は無い。  また、大脳意外の身体的苦痛が無いのも特徴だ。刑期は短縮され、大抵が一週間ほどで出所できる。  いわゆるトラウマを呼び起こすこの刑が、心理的な虐待であり人権侵害だと指摘する声もある。しかし2200年までに人権の在り方についても見直されていて、今では人権を守らない者にある程度の人権侵害はやむ無しという見方が一般的になっている。  この恐怖刑の問題点として、潜在的な恐怖を呼び起こすきっかけとなるものが多岐に渡る事が挙げられる。ある者は廃盤となったレコードの音楽であり、ある者は海外にしか無い花だったりするからだ。しかし自由刑と組み合わせる事でこの課題もクリアできている。  それに、そういった貴重な物がトラウマのトリガーだった事例は極少数である。92%以上の受刑者は、ありふれた日用品や食べ物に何らかの潜在的な恐怖を抱いている事がわかっている。普段は見て見ぬふりができるその恐怖を増幅するこの刑は、社会的な制裁としての側面も併せ持つ、非常に画期的な刑罰であると言える。  ──新人刑務官向け教材用AI(s.N.A.P.)より、刑罰の新しい歴史について抜粋
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