喫茶店の入口に座り込んでいた女の子は

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 喫茶店の入口に座り込んでいる女の子がいた。この喫茶店は場末の、しかも裏通りにあるため、殆ど顔なじみの客を相手にしている。でもみな大人。子どもが来たとしても誰かしらの知り合いだ。この女の子は初見だ。  何処から来たのだろう。この店は両親と私で経営しているが、今日は定休日なので誰もいない。私が用足しついでに寄らなければ、この子はずっと座っていたのだろうか。 「こんにちは」  店へと続く3段の階段に座り込んでいた女の子が、パッと顔をあげた瞬間だった。  ドクンッ  私の鼓動が高鳴った。頭が真っ白とはこの事だろうか。お互いに見つめ合ったまま数秒。 「顕友(けんゆう)君だ」 「え、えっと絹加ちゃん」  暗かった女の子の瞳も声も全てに明かりが灯った。絹加ちゃん逢いたかったよ。  でも私はパニック。どうしても、この世にあの頃の10歳の絹加ちゃんがいる現実を受け止める事が出来ない。 「顕友君、おなか鳴っちゃった」  目を細めて八重歯を見せて笑う。そうだった。絹加ちゃんはこの笑い方だった。 「立てる? 」  小首をかしげて私を見る。また鼓動が跳ね上がる。どうして絹加ちゃんがいるのだろう。 「上手く立てないかも」 「じゃあ支えれば大丈夫かな」  私は動揺して、絹加ちゃんから手や身体を離しそうになってしまった。まるで冷凍庫に今まで入っていたかのように冷たい。衣服の上から支えているのに、まるで素肌に触れているかのように冷たさが伝わってくる。 「どうしたの顕友君」  動揺を悟られまいと笑顔で言う。 「ちょっとバランス崩しそうだったから。今ドア開けるから」  店内に入った瞬間に絹加ちゃんが言う。 「さっき顕友君びっくりしたよね。私の冷たさに。でも嬉しかったよ、顕友君が温かくて」  カウンター席に絹加ちゃんが座っている。 「懐かしいなあ。おじちゃんとおばちゃんは」 「今日は定休日だから家にいるよ。絹加ちゃん、いらっしゃいませ。メニュー表見て」  渡したはずのメニュー表を横に置いた。 「顕友君が昔、言ってくれたでしょ。絹加ちゃんに食べさせてあげたいって。大人になったら、たくさん作ってあげるって。だから、顕友君が作ってくれるのなら何でも食べたい」  パニックを悟られてはいけない。絹加ちゃんは10歳のままだから記憶が鮮明なんだ。私はもう20年以上も経過している。自分で言ったのに記憶がない。  笑顔で頷いて頭をひねる。思い出せ。絹加ちゃんが大好きなメニューって何だっけ。色々と考えていると、絹加ちゃんが声をかけてくれた。 「顕友君、おじちゃんに後姿がそっくり。この辺り変わっちゃったね」 「そうだね。あの頃の裏通りはお店がいっぱいあった。今じゃこの喫茶店が一番まともな店だよ」 「そっか。でも喫茶店あって良かった。気づいたら座っていたの」  変わっていないのは絹加ちゃんだけ。動かなくなった絹加ちゃんを見たプールの授業。あれ以来、私はプールの授業を見学し続けた。近づく事すら出来なかった遠い日の記憶。 「はいっお待たせオムライス」 「うわぁ美味しそう。いただきまーす」  あの頃も、こうやって私と食べた事が何回もあった。祖父母に育てられた絹加ちゃんは、祖父母が働いていたので良く喫茶店に来ていた。家も歩いて5分とかからない場所にあった。 「美味しい。卵がトロッてしてる」  笑顔で口に運んで行く絹加ちゃんを見て思う。大人になった絹加ちゃんに逢いたいと何回願った事か。でももう叶わないのだろう。 「えっ何で、どうしたのかな」  さっきまで笑顔だったのに、戸惑いの表情を浮かべて足を見つめている。いったん火を止めて絹加ちゃんに駆け寄る。 「どうしたの絹加ちゃん」  落ち着かせたいからゆっくりと笑顔で声をかけて、パニックになっている絹加ちゃんを見た。 「オムライス食べてたら、どんどん体が熱くなってきて。さっきまで身体が冷たかったのに温かいの脚だけ。しかも脚が長くなってきているの。ねぇどうしよう顕友君」   泣きながらオムライスを食べ続ける。脚に触れると温かくなってきている。 「大人になるならいいの。顕友君と釣り合うし。でも大丈夫かな、どうしよう」 「絹加ちゃん落ち着いて。一緒に大人になりたいって思ったから俺」 「私も。私も思ってて今も思った。えっでもそんな事ってある? 顕友君の料理が私が大人になるのを手伝ってくれるのならもっと食べる」  オムライスで、おなかいっぱいになったんじゃないかな? と声をかけようとしたら、絹加ちゃんが小首をかしげながら言った。 「おかしいのよ。食べてもまた食べたくなる」  なら良いのかな? 次は軽食をはさもう。サンドイッチを作った。ハム&キュウリと卵の2種類。 「顕友君、私このまま大人になるのかな。大人になっても大丈夫かな」  見れば脚だけじゃない。腕も長くなり、顔も少しづつ大人になってきている。それが何だか嬉しくて笑顔になっていたら、絹加ちゃんが訊いてきた。 「どうしたの? 私の顔に何かついてる? 」 「絹加ちゃんの顔も少しづつ大人になってきているよ。今は高校生くらいかなあ」 「えっそうなの? 顔もかあ。だよね。後で鏡見るね。オレンジジュースおかわり出来る? 」 「うん出来る。さすがにちょっと休憩した方が良いよね」  首を横に振って絹加ちゃんは言った。 「まだまだ食べられるよ。早く大人になりたいの。早く顕友君に見てもらいたいの。だってまた・・・・・・消えてしまうかもしれないから」  そうか。突然この世に現れたかと思ったら、またいなくなってしまうかもしれない。 「そういえば思い出した。絹加ちゃんはエビピラフが大好きだったよ」  絹加ちゃんは今、まだ成長過程で20代くらいにまでになっている。もう、10歳の頃と食の好みが変わっているかも知れないと思った。 「うん、おじちゃんがね、お子様ランチの旗たててくれた。私、忘れていないし大好き」  ピラフを食べ始めた絹加ちゃん。私に、私だけに成長過程を見せてくれる。恥ずかしがったり手で顔を覆ったり、泣いたりしてパニックになりながらも、大人に近づいて行く自分を受け入れている。 「服も靴も、そのまま大きくなってる。でも、大人の服着てみたいな」 「じゃあ後で服買いに行こうか。今からパフェ作るからね。ピラフもう少しで終わるね」 「うん。パフェにチョコつけてね星の形の」  絹加ちゃんの成長は料理を運ぶたびに進んで行き、私もドキドキして戸惑って、動揺を悟られぬよう笑顔。  パフェの星形は、父が絹加ちゃんにだけ付けてあげていた。そのパフェを思い出して作った。パフェに星形のチョコ。小さな色とりどりの星形のチョコが散って夜空みたいだ。 「きれいだね、いただきまーす」  絹加ちゃんの希望で抱きしめると、身体全てに温もりを感じる事が出来た。  30代に近づいた絹加ちゃんを車に乗せて少し遠出をした。服を着替えてもらったらさらにパニック。可愛くて美しくて。 「ねぇ、手をつないで良い? 」  広い広い公園で手をつないだ。 「もう冷たくないでしょ」  そう言ってニコッとしながら私と向かい合った。つないでいた右手はそのままに左手もつないだ。 「顕友君、ベンチに座ろう・・・・・・あっ何か向こうに屋台並んでいるみたい。行ってみよう」  視線の先には楽しそうな空間。絹加ちゃんは「何の屋台かなぁ、何があるかなぁ」と言いながら小走りになった。  そこで絹加ちゃんが食べたいと言ったのはかき氷。 「夏休み、お祭りで一緒に食べよって約束したのに。でも、今日やっと一緒に食べられる」  1つのかき氷を2人で食べているうち、どちらも無口になった。かき氷をベンチに置く。イチゴの香りが残る唇と唇が触れ合う。 「絹加ちゃん、ずっと一緒にいて」 「消えたくないよ、顕友君といたい」  少しづつ体が冷え、若返って行く絹加ちゃんを抱きしめた。私の作った料理を食べていないと退化するのだろうか。大人のままでいられないのなら、早く店に戻って私の作った料理を食べさせなくては。  どうか絹加ちゃんをまだ消さないで。お願いだから。             (了)
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